経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

「3年で逆境から追風へ。全社員が同じ方向を目指す」―堤 浩幸(フィリップス・ジャパン社長)

堤 浩幸・フィリップス・ジャパン

インタビュー

デジタル技術を活用したヘルスケアソリューションを提供するフィリップス・ジャパンの堤浩幸社長は、日本、米国、韓国、オランダと4カ国の企業を渡り歩いてきた経営者だ。スーパーポジディブシンキングで有名な堤社長は、グローバル企業でどのような逆境を経験し、それらにどう対峙してきたのか。聞き手=唐島明子 Photo=山田朋和(『経済界』2021年5月号より加筆・転載)

堤 浩幸・フィリップス・ジャパン社長プロフィール

堤 浩幸・フィリップス・ジャパン
(つつみ・ひろゆき)1962年生まれ、山梨県出身。85年慶應義塾大学卒業後、NEC入社。2004年シスコシステムズ入社、06年同社取締役に就任、07年米スタンフォード大学ビジネススクールエグゼクティブプログラム修了、09年シスコシステムズ上席副社長に就任。15年4月サムスン電子ジャパンに入社COO就任、同12月CEO就任。16年11月フィリップス・ジャパン入社COO就任、17年3月社長就任。

―― 堤社長は新卒でNECに就職し、その後は米国のシスコシステムズ(以下、シスコ)、韓国のサムスン電子ジャパン(以下、サムスン)、オランダのフィリップス・ジャパン(以下、フィリップス)で副社長や社長を歴任しています。そこではどんな逆境がありましたか。

 私は皆さんからスーパーポジティブシンキングな人と言われていますが、正直なところ、毎日が逆境かもしれません。シスコ、サムスン、フィリップスではトップマネジメントとして企業経営に携わっています。逆境という言葉になるか分かりませんが、会社が変わった時はそれぞれの考え方、やり方に慣れるまでは大変でした。

 日本のNECで20年弱働いた後、米シスコへ転職したときに痛感したのは、日本と米国ではマネジメントの方法が全く違うということです。米国式のマネジメントでは相当数の戦略が米国本社で決まり、それを実行するのが各マーケットの役割です。ですから指示は明確かつスピーディー。いろいろなことがウイークリーで進みますので、フレキシビリティを持つとともに、「こうなった時はこうしよう」と次の手を事前にいくつも想定しておく必要があります。

―― 現在のフィリップスはどのようなディレクションですか。

 フィリップスは欧州・オランダの会社ですが、スピード感は米国ほどではなく、各マーケットにかなりの権限が委譲されています。そのため各マーケットには、自ら考え、イノベーションを起こしていくことが求められます。

 新しい会社では、最初は意気込んで自分のスタイルを出そうとしたりしますが、今まで自分が自信を持ってやってきたことすら全部ダメ出しされたりします。それぞれの企業の文化を理解し、それを経営にも生かさないといけないことを学びましたし、その文化に適応するところに大きなチャレンジがありました。

堤 浩幸氏が語る「失敗についての3つのルール」

―― 新しい環境で全部ダメ出しされたときなど、大きな不安を感じたりしそうです。

 不安を感じることはあります。ただ、私の場合、その時間が短い。失敗したら後悔するし、反省も人一倍しますが、すぐ立ち直ります。

 私は失敗について3つのルールを作っています。1つめは同じ失敗を繰り返さないこと。2つめは、失敗するにしても法律などのルールは守ること。コンプライアンスを逸脱した失敗はダメですよね。3つめは、失敗して悩んだとしても、すぐに次のアクションに移ることです。ポジティブなことを考えるようにします。

―― 失敗して「ああすればよかった」というマイナスな後悔を、「今度はこうしよう」というプラスの思考に変えていくということですか。

 そうですね。失敗では学びがありますし、痛い目にあわないと身につかないこともあります。社員にも「失敗から学ぶように」「失敗を恐れて何もしないのが一番ダメなパターンだ」と言っています。今のフィリップスは失敗してもOKな会社です。

―― 堤社長がフィリップスに転職された時の逆境は、具体的にどのようなものだったか教えてください。

 フィリップスを選んだ理由のひとつは、医療業界はITをあまり重視しておらず、ITによる価値創造が一番できる環境だと考えたからです。私はそれまでIT業界で生きてきましたが、テクノロジーを駆使すれば医療はもっとイノベーティブになると確信していました。ただ、当時はDXやITに対して、フィリップスの社員や医療業界の方々はそれほど積極的ではなく、それを変えるのは大きな逆境でした。

―― どう対峙しましたか。

 社員の間では、「社長がいきなりDXとかITとか言っているけど、いったい何ができるのか」などの反応がありました。そこは、「こういう開発を進めよう」「ここに市場がある」「この企業とパートナーシップを結ぼう」などと一つ一つ具体化し、外堀を固め、一歩ずつ結果を出すことで社員からの信頼を得ていきました。

 あとは粘り強く話すことです。そして話すときはなるべく簡単に、簡潔にするようにしています。だから、「堤さんが言ってることって、すごく簡単だよね。なんかシンプルなことしか言わないよね」と言われるとハッピーです。なぜなら、彼らが理解してくれるからです。

―― 社員が変わってきたなという手ごたえは、どれくらいたってから感じるようになりましたか。

 3年目でしょうか。会議でも社員がDXについて熱く語るようになり、みんなが「ヘルスケアインフォマティクス」など、同じことを言うようになってきました。

 今、私は本当に社員に感謝しているし、社員もマネジメントチームもすごく信頼しています。フィリップスはtrusted each otherです。経営者としてプレッシャーはありますが、日本のマネジメントチームがいますので一人ではありません。

「4倍速」で進んだ先のフィリップスのビジョンとは

―― フィリップスは現在、何を目指していますか。2017年にヘルスケアカンパニーからヘルステックカンパニーへ生まれ変わると宣言しました。

 私たちはデジタル技術を駆使し、少子高齢化や医療格差などの社会課題を解決して、健やかで満ち足りた暮らしを提供するヘルステック企業です。直近では25年の社会、生活パターン、医療、街づくり。そういうものを考えて事業開発を進め、お客さまに提案しています。

 情報科学は実用化の3年前から研究開発が始まります。今だったら25~30年のことを考えて技術を進化させ、ちょっと先の技術、ちょっと先の市場状況を前提に、サービスやソリューションをお客さまに提案していかなければなりません。

 新型コロナでDXは前倒しになり、世界は今、倍速で動いています。でも、その倍速に合わせて私たちもオペレーションしていては間に合わなくなってしまう。半歩先、一歩先を行くために、私は社員に「4倍速」で進もうと伝えています。

―― 4倍速の先にはどんな世界が広がっているのでしょうか。

 25年には、今よりもっとセンシング技術が進化していて、今私たちが使っているウエアラブル端末などは不要になります。センサーが1個、部屋にあれば、心拍数、血圧、SpO2(経皮的動脈血酸素飽和度)などがすべて分かり、そのデータが病院に送信される。そのデータを元に、人々がより健康になるにはどうしたらいいかというアドバイスが、個人に対して提供される。そしてAIやデジタルツインを駆使し、最終的には一人一人にマッチした医療を提供することになると考えています。

 私たちが目指しているのは、安心、安全、健康、かつ災害に強い街づくりです。そのベースはもうできています。街づくりですから、建設業、通信事業者などを含め、160を超えるエコシステムパートナーと連携し、一緒に進めています。

―― 壮大なビジョンです。

 壮大ですが、25年、30年には実現しているはずです。

 中世ヨーロッパは教会を中心とした街づくりでしたが、これからは医療機関を中心とした街づくりになると考えています。ただ、医療機関と言ってもそれは病院ではなく、例えばヘルステックセンターという言葉から連想されるような施設です。

 また、今後は病院が〝来る〟時代になります。私たちはソフトバンクやトヨタ自動車などによる共同出資会社・MONET Technologiesとともに、ビデオ会議システムや医療機器を搭載したオンライン診療できるクルマを開発しました。看護師がそのクルマに乗り、患者の自宅を訪問するような仕組みも、長野県伊那市ですでに稼働し始めています。

長野県伊那市の実証実験で2019年12月から運用開始したヘルスケアモビリティ車両
長野県伊那市の実証実験で2019年12月から運用開始したヘルスケアモビリティ車両

堤 浩幸氏のバイブルは『重職心得箇条』

―― エコシステムパートナーが160超とは、とても多いです。

 ほとんどが、私がこれまでの経験を通じて知り合った企業のCEO、COOとの連携で生まれたものです。直接お会いし、「こういう価値創造をしていきましょう」とお話をしてパートナーシップを広げてきました。

 今までの仕事で皆さまにご迷惑をかけ、お世話になってきた分、いろいろな方を知っています。

―― 逆境への対処も含め、堤社長のチームビルディングや意思決定プロセスなどに影響を与えている経営哲学、思想があれば教えてください。

 私のバイブルは佐藤一斎の『重職心得箇条』です。小泉純一郎さんが首相だった時、外務大臣になった田中真紀子さんに送った本で、私もマネジメントチーム全員に配りました。そこにある17カ条の心得は現代の経営に非常にマッチしています。グローバルで活躍する経営者にも響く内容ですし、このコロナの時代にも役立つことばかりですので、ぜひ皆さんに読んでほしいです。

 あとは苦しい時こそ道の真ん中を歩く。社長も社員も、逆境から逃げるのではなく、立ち向かっていくこと。社長1人でできることではありません。社員と一丸となって、チャレンジを楽しみながら進んでいくことが大切だと思います。