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「失敗してもゼロに戻るだけもう一度スタートすればいい」―小野文明 nmsホールディングス社長

インタビュー

コロナ禍により、世界の工場が一斉にストップした。製造業の人材派遣・請負を手掛けるnmsホールディングスも、大きな影響を受けた。しかし小野文明社長は「過去の苦労に比べれば大したことはない」という。小野社長が過去に味わった逆境とはどんなものだったのか。文=関 慎夫 Photo=横溝 敦(『経済界』2021年5月号より加筆・転載)

小野文明・nmsホールディングス社長プロフィール

小野文明
(おの・ふみあき)1959年生まれ。東洋大学法学部を卒業後、いくつかの会社を経て96年テクノブレーン入社、99年テスコ・テクノブレーン取締役、2002年から日本マニュファクチャリングサービス(現nmsホールディングス)社長を務める。

コロナを機に構造改革

―― コロナ禍に見舞われた今期の第1四半期決算は赤字転落という厳しい数字になりましたが、第3四半期にはかなり持ち直しているようですね。

小野 われわれは人材派遣・請負業の中で、ほぼ唯一、海外展開に積極的な会社です。EMS(組み立て請負工場)も海外に複数持っています。1年前にコロナが流行した時は、中国をはじめとした海外の工場がロックダウンによってすべて止まってしまいました。それが決算数字に表れています。今では中国はフル稼働していますし、アジア各国でも元に戻りつつあります。ただし、メキシコではまだロックダウンが続いているために、現地のEMS工場はいまだ稼働していません。それが動き始めれば、むしろ業績は大きく好転すると見ています。

―― 1年前にコロナが流行し始めた時、最初にどんな決断をしましたか。

小野 これまで、毎月のように海外に行っていましたが、それもできなくなりました。ですので、国内の立て直しに力を入れようと。海外に力を入れ続けた結果、すこしぜい肉がついてきた。そこで構造改革に取り組むことにしたのです。その結果、随分と筋肉質になってきました。

 ただし、構造改革をするにあたっても、人は切らない。会社が立ち行かなくなれば別ですが、自己都合以外の退職は認めないと決めました。というのも、彼らは皆スキルを持っています。そしていずれはコロナも収束する。その時、彼らがいてくれれば、大きく成長することができる。そう考えたのです。

創業時、気が付けば踏切の前に立っていた

―― コロナ禍における経営も大変でしょうが、これまでの経営者人生を振り返って、一番厳しい状況に置かれたのはいつですか。

小野 今までで一番きつかったのは、やはり事業を起こした当初です。私は以前、別の製造業派遣の会社で働いていましたが、その後テクノブレーンという会社に入り、そこで自分で人材派遣業を立ち上げました。古巣からの嫌がらせなどにもあいながら、売り上げを順調に伸ばして行ったのですが、3年半後に突然、事業を売却されてしまいます。

 そこで1999年に仲間とともにテスコに移って、一からビジネスをやり直しました。この頃までが大変でした。立ち上げの苦労だけでなく、移った会社との軋轢など、さまざまな問題が立ちはだかりました。それを一つ一つ解決して業績を伸ばしていき、その後MBO、2007年には上場を果たしたことで、ようやく一息つけました。

―― もうダメだと思ったりしませんでした?

小野 精神的にも少しおかしくなっていて、ふと気がついたら踏切の前に立っていたということもあります。でもそこを乗り切ってからは、何があっても命までは取られないだろう、というのが、私の支えになっています。もし失敗したとしてもゼロに戻るだけ。そこからまたスタートすればいいと考えることができるようになったのです。上場の1年後のリーマンショックでは、製造業派遣はどこも大きな影響を受けたのですが、それでも、最悪でもゼロに戻るだけだと考えて乗り越えてきました。

―― 厳しい状況にあった時に、支えになったのはなんでしょう。

小野 自分で人材派遣をやろうと思ったのは、この業界を変えたい、もっと有意義な業界にしたいと思ったからです。それまで、製造業の人材派遣のイメージは非常に悪かった。私の古巣もそうでしたが、社会保険に入っていない、セクハラ・パワハラ当たり前、派遣する社員を食い物にするような会社も多かった。

 そこで私は、自分でビジネスを始めた時、それを正していこうと決めました。ですから最初から、100%、社会保険に入るなど、企業として当たり前のことをしてきました。その分、派遣先の企業にとってコストが増えることになりますが、1社1社に理解していただいて、受け入れていただきました。

小野文明
人材派遣業界を変えたいという理由で創業した

人材派遣から請負、EMSへ

―― nmsの最大の特徴は、人材派遣から始まり、請負、そしてEMSへと広げていったことです。しかも海外展開にも積極的です。

小野 きっかけは00年に3週間、コアなメンバーとアメリカ視察に行ったことです。今後どういう方向を目指すべきか、アメリカの事情を学んできました。訪問先は人材派遣や請負業、再就職支援の会社やEMSなどさまざまでしたが、そうした企業を視察しているうちに、われわれはモノづくりの会社を目指すべきだと考えるようになりました。

 人材派遣の場合、派遣先の指示に従ってモノづくりに従事します。しかしそのうち、ラインごと引き受けてほしいという要望が寄せられるようになります。つまり製造請負です。請負の場合、自分たちで技術を持ち、工程管理もしなければなりませんから、派遣よりもはるかにスキルが必要ですが、これをやらないことにはわれわれの未来はないと考えたのです。その結果、請負がどんどん増えていき、今では売り上げの6割以上になっています。工場まるごと、当社が請け負っているケースも珍しくありません。

―― その延長線上にEMSがあるわけですか。でも、EMSでは、自社工場が必要ですから、従来の持たざる経営から持つ経営へ転換しなければなりません。

小野 EMSを始めたのは、10年にEMSの志摩電子工業を買収したことがきっかけです。その翌年にはTKRがグループに加わりました。TKRは大手電機メーカーなどの製造を日本、中国、マレーシアの工場で行っていました。志摩電子も中国とマレーシアに工場があったので、親和性もある。この2社が加わり、EMSを本格的に始めたことで、われわれの未来が見えてきた。この方向が間違いではないことを確信しました。

―― 海外展開もそこから始まったのですね。

小野 海外はもっと前からです。03年頃から中国に行くようになり、紹介していただいた現地の人と2人で、中国全土を回りました。そうやってコネクションをつくって、最初は中国人技術者を日本に送ることから始め、ピーク時には300人以上の中国人が日本で働いていました。その後は中国やアジア各国の日系企業へ人材派遣を始めています。

nmsグループの伸びしろは大きい

―― 最初に、海外で事業を行っている同業者はあまりいないと言っていましたが、それだけ現地で人材派遣をするのは難しいということではないですか。

小野 現地にはローカルの会社があって、そことの競争に勝つのは難しい。ですから、最初はみんなに反対されました。その中で、事業を始めていったのですが、われわれは、現地の会社を買収し進出するのではなく、自分たちの手で、ゼロから立ち上げることを選びました。そうやって、地元の警察や大学、市政府、さらには国の政府とのネットワークをつくり、信頼を得ていきました。それが今ではわれわれの最大の武器になっています。

 アジアでも、人材派遣から始まり、請負にも事業を広げていきました。ある現場を請け負うと、そこの工場長などから、ほかの国の工場でもやってくれないかと言われたりします。そうやって、請負件数も増えていきました。

 現在、nmsグループでは1万2千人が働いていますが、そのうち日本国内は3500人にすぎません。残りはすべて海外です。それだけ海外の比重が大きくなっています。そして苦労はしましたが、ようやくここ1、2年で海外でも利益が出るようになってきました。

 ここまでこれたのは、諦めなかったことに尽きます。大変なこともたくさんありました。それでも諦めないでここまでやってきた。それも皆さんが支えてくれたお陰です。一緒に仕事をしている相手からも、「撤退しないでくれ」と頼まれ、新しい取引先を紹介していただいたりもしました。だからこそ、頑張り続けることができたと思います。

―― 今後も海外は伸ばしていくのですか。

小野 さらに成長していくはずですし、来期以降、収益にも大きく貢献してくれるでしょう。というのも、コロナ禍もあり、日本から人を出すことが難しくなっています。その点、当社には現地の優秀な人材がたくさんいますから、オペレーションを任せることができる。

 最近では、工場ごと、われわれに任せるといったような大きな話がたくさんきていますし、今後はファブレス化を実現するために、工場をまるごと当社に買ってほしいという依頼も増えると考えています。そうした工場の空きスペースを使ったEMSも可能です。

―― これまでの施策が結実するわけですね。

小野 人材派遣からモノづくりへと舵を切り、そして積極的な海外展開をここ10年ほど進めてきました。ただしこの間、当社の業績はそれほど上がっていません。でも私は最初から、5年後、10年後ではなく20年後を見ろ、と思ってきました。その時、どこが一番大きくなっているか。それがモチベーションになっていた部分も大きいです。

 現在61歳ですが、70歳までは第一線で頑張ることを公言しています。70歳になった時、どこまで大きくなっているか。このままいけば、その頃には世界で10万人以上が働くようになっているはずです。伸びしろはまだまだ大きいと考えています。