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堀 義貴・ホリプロ社長が語る「ネガティブシンキングから生まれる事業戦略」

堀 義貴・ホリプロ社長


インタビュー

ホリプロの堀義貴社長は、今から19年前の2002年、36歳で社長に就任した。自らをネガティブ・シンキングと称し、常に最悪の事態を想定して、それに備えておくという。その堀社長が、ホリプロの存続をかけて注力しているのは、海外とネットへの挑戦だ。聞き手=唐島明子 Photo=山内信也(『経済界』2021年6月号より加筆・転載)

堀 義貴・ホリプロ社長プロフィール

堀 義貴・ホリプロ社長
(ほり・よしたか)1966年、東京都生まれ。成蹊大学法学部卒。89年ニッポン放送入社、93年ホリプロ入社。テレビ番組・映画・音楽の製作や宣伝事業担当などを経て、2002年に社長に就任した。

社長として第一の使命は「潰さない」

―― ホリプロの社長になって19年たちました。これまでの経営で指針とされてきたことはありますか。

 社長になった時から、第1のミッションは「潰してはいけない」ということでした。父の代では何度も潰れかかり、そのたびに銀行はお金を貸してくれないという創業当初の苦労話も聞いています。

 この業種は人気者が1人いれば十分食べていけるけど、そのタレントが交通事故を起こしていなくなってしまった……ということも過去にありました。その経験があるので、1人のタレントに全体の25%以上を依存してはいけないという決めごとが生まれました。だから山口百恵が引退する時、ホリプロは潰れると言われたけど、山口百恵は24%で生き残ったんです。今度はタレントだけではなく、業種も多角化していけば、もっとリスクヘッジできます。

―― 会社を潰さないための対策をいろいろと講じてきたんですね。

 私は基本的にネガティブ・シンキングなので、最悪の場合はこうなる、だからこうしておかなければならないと考えるタイプです。

 ホリプロは東日本大震災の後に上場を廃止し、1年間は仕事が完全にゼロになっても大丈夫なように内部留保していました。そのため、コロナ関連の支援金がエンタメ業界には全く出ていませんが、私たちは今はまだ持ちこたえています。しかしこれが続くとさすがにしんどいですね。

何度失敗しても繰り返すネットと海外への挑戦

―― 堀社長がネガティブ・シンキングだったとは意外です。

 ネガティブですね。上場していた時は、新規事業で赤字を出すとすごく怒られるわけです。でも、私たちは毎日ベンチャーをやっているような会社ですので、それを言われてしまうと事業が成り立ちません。新人のタレントはゼロの状態から始まりますし、映画だって舞台だって、外れてしまえば何億円もの赤字になってしまいます。

 しかも少子高齢化で市場は黙っていても小さくなる。エンタメ業界はこれまで99%が国内の地産地消で、私たちがやっていない市場は海外とネットしかありません。だったら、海外とネットは何度失敗してもずっとやり続ける。黙っていたら潰れるだけです。

 だから何度失敗しても繰り返しやっています。この10数年、海外とネットばかりやってきました。極論を言うと、他のことにはほとんど興味がありません。

―― ネットの分野では、これまでどんな事業を展開してきましたか。

 ネットについては、ホリプロは早いんです。バーチャルアイドルを初めて作ったのも25年ほど前ですし、約20年前にアイドルの動画をネット配信するサービスもやりました。

 いずれも早すぎて、失敗して、撤退して、またやり始める。ただそうなると、最終的にはプラットフォームを持っていないとお金ばかりかかるのでやめていたら、今度はYouTubeが出てきて。YouTubeと会社として契約したのは、日本でも最初のほうだったと思います。しかし、いまだにそこで稼げる状況にはなっていません。

―― 海外進出はいかがですか。

 ホリプロの60年間では、初期のグループサウンズ時代もアメリカ進出しようとして失敗しているし、国際的な映画を作ろうとして日本でしか当たらなかったという経験をしてきました。そういう中で、小さくてもいいから少しずつ取り組んで、うまく行き始めたのが演劇です。

 テレビ番組はいくら製作しても私たちの著作権ではないから売りに行けませんが、蜷川幸雄さんと一緒に舞台の仕事をするようになってから世界中を回れるようになりましたし、海外の業界の方たちとの関係を築けるようになりました。スタートラインに立つまで20年かかりました。

コロナ禍で見えたオリジナル作品の重要性

―― 著作権を自分たちが持っていることが大切なんですね。

 例えば、日本が地震で大変な状況でも、何の問題もない海外で私たちの作品を上演してくれればロイヤリティが入ってきます。またコロナでは、海外から演出家を呼んでやる作品の多くは中止になりました。

 海外公演を日本に持って来ることもありますが、コロナ禍ではっきりしたのは、日本でオリジナル作品を作らなければダメだということです。ただ、「デスノート THE MUSICAL」というオリジナル作品がありますが、これはアメリカで著作権を登録してしまったので日本では使えなかった。その反省をもとに、「ミュージカル 生きる」はJASRACに登録しました。

 これもネガティブ・シンキングによるものですが、次のコロナが来た時のために、あと3本くらい、オリジナル作品を作っている最中です。

―― 組織としては、今後どんな会社を目指しますか。

 私が社長になった時、「とにかくチャーミングな会社を目指してくれ」と言いました。社員がチャーミングになり、チャーミングなタレントを輩出してくださいと。「また一緒にやりたい」と思われるには魅力がなければならない。

 ユニークでなくても、面白くなくても、暗くてもいい。「あいつとまたやるか!」と思われるためには、魅力的だったらいいんです。チャーミングだなと思う人のところには、黙っていたって人が寄ってきます。人がワイワイしてる間に、チャーミングな企画が生まれます。