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アマゾン創業者、ベゾスを形成する10の要因

Jeff Bezos(ジェフ・ベゾス)氏は、言わずと知れたAmazon.com(アマゾン・ドット・コム)の創業者だ。その傍らで宇宙旅行を手頃な価格で提供することを目的としたBlue Originの創設やワシントンポストの買収など、さまざまな分野で精力的に活動している。 類稀なる優秀さで世界のイノベーションを牽引するジェフ・ベゾスは、一体どんな人生を送ってきたのだろうか。今回は彼の人生における10の起点を分析した。

ジェフ・ベゾスに影響を与えた10の要因とは

ポップの存在

Jeff Bezos(Jeffrey Preston“ Jeff” Bezos”)氏は1964年1月12日にニューメキシコ州アルバカーキで誕生した。サーカス団員の父と、高校生の母の結婚生活は1年も続かず、ジェフは母親と共に母方の祖父宅に住むこととなった。

祖父ローレンス・プレストン・ギース氏は国防高等研究計画局の研究員として、最先端化学技術の軍事技術への転用を行なっていた。インターネットの原型とも言われている、非常時でも機能する軍事用の通信ネットワークの原型の開発に携わった経験もある。

ギース氏(ジェフはポップと呼んでいた・以下ポップ)は退職後、テキサスの牧場での生活を始めた。ジェフは幼少時代の多くをポップと風車を直したり、家畜の予防接種をしたり、牧場の手伝いをして過ごしたという。

ここでの経験が、卓越した問題解決能力に繋がったとジェフは話す。外部からの助けがない状態で、ポップは牛の縫合といった獣医師のような仕事までしており、自身でほとんどのことを解決していかなければならない立場にいた。

例えば、こんなエピソードがある。ポップが5000ドルで購入した古い建築機械を修理する際に、そもそも修理用具を持ち上げることができないという問題があった。そのため、ポップはミニクレーンから自作した。

また、ある時には、ポップが親指の先を切り落としてしまったことがある。まだ皮が繋がっている親指を千切ってジェフに投げ捨て、自力で病院へと向かった。

そして、医者たちに通常の手法ではなく、尻の皮膚を移植させるようにと指示を出したのだ。

ポップについて、ジェフは「初めはどうすれば良いかわからない大規模なプロジェクトに取り組んでは、それをやり遂げていく。問題があれば、回復力と問題解決力を発揮して、窮地を脱する方法を生み出すんだ」と語っている。

初めてのビジネス

ジェフは小学生の頃に初めてのビジネスを経験している。サマーキャンプ「ドリーム・インスティテュート」で、価格はおよそ$600。4年生〜6年生を対象としたもので、参加者は6人だった。必読書として「ロード・オブ・ザ・リング」を設定した。

また、小学6年生のころには、先生をスコアリングする評価システムを作り上げていた。「人気順」ではなく、「能力順」を指標としていたことからも、今尚受け継がれる理論ファーストな思考が確立されていることがわかる。

科学への興味

ジェフはヒューストンで、リバー・オークス・エレメンタリー・スクールに4年生から通学した。幼少の頃からジェフは科学やテクノロジーに興味を示しており、ベビーベッドをドライバーでバラバラにしたり、電気アラームを使って自分の部屋に他者を入れないようにしたりしていた。 家族がフロリダ州マイアミへ移ると、ジェフはマイアミ・パルメット・シニア・ハイ・スクールへと進学。高校生のときベゾスはフロリダ大学の学生科学訓練プログラムに参加するなど、優秀な学生だった。

1986年にジェフはプリンストン大学で電気工学とコンピューターサイエンスの学士号を取得し、ファイ・ベータ・カッパという成績優秀な学生が集まるクラブを経て卒業した。さらにプリンストン大学在学中にジェフはタウ・ベータ・パイ(Tau Beta Pi、エンジニアリングの名誉協会)にも選ばれていた。

卒業後、ジェフはインテルやアクセンチュアといった会社からのオファーを断り、スタートアップ企業であるFitel社に就職。そこで国際貿易のためのネットワーク構築を任されることになった。その後、開発部長およびカスタマーサービス担当ディレクターを経て、バンカーズ・トラストのプロダクトマネージャーになった。

しかし彼は、Fitel社からウォール・ストリートの投資管理会社D.E.Shawに転職。転職活動中には、後にCNETを立ち上げるHalsey Minorと、ニュースをFAXで配信するスタートアップをローンチ直前までいっていた。しかし、結局ローンチはせず、D.E.Shawに入社。わずか4年で副社長にまでなっている。

妻との出会い

D.E.Shawでジェフは、運命を変える出会いを2つしている。一つ目は、のちに離婚することになった妻・マッケンジーとの出会いだ。結婚しようと思い立った時に、友人たちがお膳立てしたお見合いデート相手の一人だった。ジェフは彼女のことを「未開地の牢獄から連れ出してくれるような女性」だと表現している。

ジェフがAmazonを設立するかどうか迷った際に、たとえ失敗するかもしれなくても、「やるべきだ」と背中を押したことや、テキサスからシアトルに向かう際に、ビジネスモデルについて考えるジェフの横で、運転をし続けるなど、彼女のサポートはAmazonの成功に必要不可欠だった。

後に彼女はジェフと養子を4人(3人の息子と1人の娘)迎え、子供達が4歳の頃から軽いナイフを、程なくして電動工具を使わせる、と言ったチャレンジ精神を重んじる教育を行なっている。もし怪我をしたとしても、それは学びに繋がるからだ。彼女は「知恵のない子供よりも、9本指の子供を持ちたい」と考えているそうだ。

インターネットとの出会い

そしてもう一つは「インターネット」だ。投資をするため、新しいベンチャー企業を求めてネットサーフィンをしている時に、彼はインターネット関連サービスが月に2300%成長しているということを知ったのだ。オンラインショッピングに可能性を見出した。

もちろんD.E.Shawはジェフを引き留めた。それでも彼は止まることはなかった。D.E.Shawの上司は、オンラインショッピングのアイディアを、「良い仕事をしていない人にとっては、「ましな」アイディアだ。」と評価した。

起業の決断

ジェフは、このままD.E.Shawで働き続けるか、オンラインショッピングで起業するかで迷ったが、今後の人生から見た時に、「後悔を最小にする方を選ぶことにした」という。間違った行動に対しても後悔を感じることはあるが、それよりも「行わなかったこと」に対する後悔の方がより強い、と考えたジェフは、D.E.Shawをやめることにした。

「あまり考える必要はないことだった。もし失敗しても80歳になった時には、挑戦したことを誇りに思うだろう」とジェフはこの時のことを語っている。

そして1994年にジェフはD.E. Shawを辞任した。

Amazon.com設立

会社を辞めたジョフは、シアトルに引っ越すことにした。人材が豊富で、ビジネスに最適な場所だと判断したからだ。シアトルに向かう道中でマッケンジーが運転している傍ら、ジョフがビジネスプランを詰めていたというのは有名な話である。

ジョフは、家族や友人からおよそ100万ドルの投資を受け、その資金を元にシアトルの自宅ガレージに事業立ち上げを行なった。

1994年7月5日には「Cadabra」社を設立。しかし、その1年後には弁護士が「Cadaver(死体)」と勘違いしたため、商号の変更を行なった。当時の案としては、スター・トレックシリーズから影響を受けた「MakeltSo.com」「Awake.com」「Browse.com」「 bookmail.com」などがあり、そのうちのいくつかは実際にドメインを取得していた。最終的には、辞書のAで始まる単語の中から、「Amazon」を選び、Amazon.comとなった。

ジョフとマッキンゼーは家をオフィスにし、スタッフミーティングは全て書店であるBaners&Nobleで行なった。準備が整うと、テストサイトを稼働させた。そしておよそ300人のユーザーに、試用を依頼した。

1995年7月16日にウェブサイトを本格的に始動。商品が売れるたびに鐘を鳴らすことにしていたが、数日後には鳴りすぎて鳴らすのを辞めたそうだ。およそ2ヶ月後の9月までには、売上高が週2万ドルを突破していた。

ジョフは、IPOを目標に、採用活動を始めた。Barnes&Nobleが最大の競合相手となった。

IPOを3日後に控えた1997年5月12日にBarnes&NobleはAmazonを訴えた。しかし、皮肉なことにこの訴訟はAmazonに関心を惹きつけるだけ、という結果になった。その後もBarnes&NobleとAmazon.comは争いを続け、ドイツの大手メディアBertelsmannから投資を受けたBarnes&NobleもIPOを行なった。その後にジョフは商品ラインを急速に拡大し、書籍の他にも音楽やDVDなども取り扱うようになった。

Amazonの株式は当初、IPO価格を下回っていた。IPO当初のNASDAQ(AMZN)では、株価は$12〜$14に設定されていた。しかし、最終的には$18となり、市場価値は4億3800万ドルになった。ジョフは1999年にTime’s Person of the Yearに選ばれている。

IPOで5400万ドルの資金を得たジョフは、それを使って小規模な同業他社の買収を繰り返した。2002年に天気チャンネルとウェブサイトトラフィックからのデータをまとめた「アマゾンWebサービス」を始めた。 2002年の終わり頃に、急速な支出を繰り返したAmazonは財政的危機を引き起こした。銀行から20億ドルもの借り入れを行い、物流センターを閉鎖し、従業員の14%を解雇することで、ピンチを脱却。2003年に4億ドルの利益をあげることに成功した。

Amazonは、Gapなどのアパレル業者と定型し、2002年10月に衣料品の取り扱いを始めた。合わせて、顧客がToys ‘R Usのようなブランドのサイトから商品を注文することを可能にする「Amazon Services」という子会社を設立した。2003年には、電子商取引サイトに焦点を当てた商用検索エンジン「A9」も立ち上げた。また、「A9」と同時に彼らは約3000の異なるブランドを提供するオンラインスポーツ用品店をオープンした。 ジェフはAmazonを急速に拡大させたが、eBayに対抗して作り上げたAmazonオークションのように、全てがうまくいった訳ではなかった。一方でAmazon Primeのように、大成功を収めるサービスも生まれた。

また、Amazonは2007年に*Amazon Kindleを開発した。最初に取り扱った書籍の購買体験を変えようとしたのだ。Appleが2010年にiPadを生み出すまで、独占市場となっており、アメリカ市場の95%を獲得していた。ジョフはKindleの小売価格を引き下げ、新しい機能を追加することにした。

2011年にAmazonは「Whispersync」機能を搭載しているKindleFireを発売した。この機能は、複数デバイスを使用しているユーザーが、本のどこで一時中断したかをマークする栞を作り、別デバイスからでも同じ箇所から再開することができるというものだ。

Amazonの売上高が2011年の480億8000万ドルから2015年には1070億1000万ドルへと122%増加したことは注目に値するが、純利益の伸びは依然として不安定である。例えば、Amazonの純利益の伸びは2014年には2億4100万ドル減少した。急激に伸びている売上高に比べると、純利益の伸びはごく僅かである。ジョフは、「ビジネスでNo.1のプレーヤーになるためにAmazonの収益の大部分をマーケティングとプロモーションに注ぎ込んでいる」と語っており、その言葉通り、研究開発費は2年連続世界首位を記録している。

Blue Origin設立

ジェフはAmazonが軌道に乗ったあと、幼い頃からの夢だった宇宙へと事業を広めることにした。

彼が高校卒業時に登壇した代表スピーチの締めくくりはこうだった。「宇宙、それは最後のフロンティア。そこでまた会おう」。これはジョフが好んで見ていたスタートレックシリーズで定番となっている決め台詞を使用したものだ。

そんなジェフは、2004年にBlue Originという名の航空宇宙会社を設立した。同社は、シアトルのすぐそば、26エーカーの研究キャンパスを所有しており、2015年11月には、離陸後のロケットを着陸パッドに着陸させることに成功している。

「インターネットで経験したように、何千人もの起業家たちが、宇宙でスタートアップを始めることができるようにするには、参入するためのコストを軽減する必要があるんだよ」と語るジョフは、複数回利用可能なロケットで、宇宙開発コストを下げる試みを行なっている。

ワシントンポスト買収

2013年8月5日、ジェフはThe Washington Postを2億5000万ドルで購入した。

Amazon.com関連ではなく、ジェフ個人での買収だった。このことに関して、彼は、1973年のウォーターゲー事件の公聴会をポップが食い入るように見ていたことが、無意識に影響を与えているのではないかと語っている。

また、買収直後にジョフは、新聞との潜在的な利益相反があるとして非難を受けたが、新聞は独立性を維持していると主張し続け、2016年にオンライン読者が急増したのち、買収後初めての黒字を記録した。

ベゾス・エクスペディションズ

ジェフは、投資会社ベゾス・エクスペディションズを通して投資を行なっている。1998年には、Googleに25万ドルを投資し、最初期の株主となった。彼はこの投資でGoogleの株式を約330万株取得したが、その株を今でも保有しているかは明言していない。

また、そのほかにも老化を遅くしたり、止めることで寿命を延長させる研究を行うユニティ・バイオテクノロジー社やUberにも投資を行なっている。

ベゾス・エクスペディションズはそのほかにも、慈善活動の支援を行なっている。ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットと比較して否定的に取られることが多いジョフの社会貢献活動ではあるが、彼らと比べると目立たないものの、実際には多くの支援を行なっている。

2009年から2017年の間に、フレッド・ハンチントンがん研究センターに複数回寄付しているほか、2013年には元Amazon従業員によって設立された非営利団体であるワールドリーダーにも50万ドルの寄付を行なっている。また、同年大西洋からロケットエンジンを回収するプロジェクトにも資金を提供しており、このエンジンはアポロ11号ミッションにて使用されたものだとされている。2017年にはアメリカのジャーナリストにプロボノの法的サービスを提供する「報道の自由のための記者委員会」へ100万ドルの資金提供した。その他にも、ホームレス問題や未成年移民問題などに支援を行なっている。

ジェフ・ベゾスの性格は?

ジェフが追いかけているAmazonの理想像は「全てが購入できる」会社だ。しかし、現時点ではprime会員向けの翌日・当日配送も対象地域が限られているなど、やるべきことは多数ある。

彼はワークライフハーモニーという言葉を好んで使っている。「バランスという言葉には、厳しいトレードオフの意味を含んでいるから」だ。家庭でもうまくやることができるなら、会社でも良き社員、良き上司になれるだろう、と考えている。

彼は人生について、「人類誰もが、自分自身の物語を選ばなくてはならない。私たちを形作るものは、自分の行なった選択の結果であって、生まれ持った才能でないんだ。私たちにできることは自分の選択を誇りに思うことだけだ。」と語っている。ジョフのように「奉仕と冒険」の人生を選ぶことも、「安らぎと快適」の人生を選ぶこともできる。ジョフにとって、80歳になった時に、より誇らしく思えたのは前者だったということだ。

ジェフは非常に厳しいボスで、社員に対して感情を爆発させることもあったようだ。怒りをコントロールするコーチを雇っていたという噂があるほどだ。

社員のみならず。ビジネスに関することは強く注意を払っていることでも知られている。楽天家でもありながら、部下に対して強く干渉を行うマイクロマネージャーでもある。契約書の細部から、Amazonの全てのプレスリリースまでを細かくチェックする経営者だとポートフォリオ・ドットコムは述べている。