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「伝える」は専門チームに託し「見つける」「磨く」に注力―髙田旭人(ジャパネットホールディングス社長)

インタビュー

ジャパネットたかたは、創業社長の髙田明氏がテレビ通販番組に登場し、自ら商品を紹介することで有名だった。息子の旭人氏が社長になってからは社長が通販番組に出ることはなくなったが、同社の年間の売り上げは社長交代時の1550億円から2400億円に増えた。2代目社長が父から継いだ事業の核心は何だったのか。聞き手=唐島明子 Photo=山内信也(『経済界』2021年9月号より加筆・転載)

髙田旭人・ジャパネットホールディングス社長プロフィール

高田旭人
(たかた・あきと)1979年、長崎県生まれ。東京大学卒業後、2002年に野村證券入社。03年にジャパネットたかた入社、社長室室長着任。10年ジャパネットコミュニケーションズ社長、12年ジャパネットたかた取締役副社長、14年ジャパネットロジスティクス社長兼ジャパネットサービスパートナーズ社長、15年ジャパネットホールディングス社長兼CEOに就任。

ジャパネットたかたの事業承継はどう行われたのか

幼少期から会社を継ぐことを意識していた旭人氏

―― 髙田社長は幼い頃から継ぐことを意識していたそうですね。

髙田 幼い頃の私の悩みはちょっと変わっていて、「両親がいなくなったらどうしよう」とばかり考えていました。家族がすごく大事だったんです。それで両親が命を懸けて商売をしていることは分かっていたので、小学生のころには「自分がつなぐんだ」と考えるようになりました。

 しかし継ぐことについて、父から何か言われたことはありません。ただ、背中を見て学んでいたかもしれません。両親が通販を始めてから、夜の7時とか9時とかに家の電話が鳴るようになりました。その時に、「この電話1本で売り上げが15万円か」とか、そういう感覚はありました。

東大も野村證券も会社を継ぐための選択だった

―― 東京大学を卒業してから野村證券に勤め、その後にジャパネットに入ってからも、特に何も教わらなかったのでしょうか。

髙田 教わりませんでした。しかし、私の人生の選択は、すべてジャパネットに戻るための選択でした。大学受験も就職活動も。大学は東大に行っておいたらいいだろう、就職もジャパネットの事業と直接関係のない証券業界に入ろうと。

 私は母親の影響も強く受けていますが、母は「息子だから会社を継げるなんてことはない」という価値観の人です。「誰よりも一番想いがあって、一番仕事ができないと。子どもだから継げるなんておかしい」と言っていました。同様に、父も取材で「息子に継がせたいですか」と聞かれると、「一番ふさわしければ息子に継がせますが、そうでなければいいです」と答えていました。

 とはいえ、後を継ぎたかった私にとって、他の人より有利な位置にいたと思っています。会社を興した父と母の考えを一番近くで見ていて、この会社が何を大事にしているのかをずっと感じていたからです。

世襲がすべてダメな訳ではない

―― 日本では世襲については否定的な論調もあります。

髙田 世襲がすべてダメだというのは違うのではないでしょうか。もちろん会社を継ぐという想いや知識の部分ではアドバンテージがあります。一つの事業をやるにしても、その根っこにはどんな背景があり、どういう苦労や悩み、喜びがあって今があるのかとか、そういうことは見ていないと分かりません。

 ただ、そのアドバンテージを生かすかどうかは個人次第です。親を見ていて得られるものもあるけど、そこにさらに教養やスキルを肉付けする努力が加わらなければ、後を継ぐのは難しいはずです。それを踏まえてフラットに、いろんな選択肢の中の一つとして世襲があればいいのではと考えています。

―― 髙田社長は2015年にジャパネットたかたの経営を引き継ぎました。そのタイミングで継ぐきっかけは何かありましたか。

髙田 実は社長交代前の3年くらいは、社内のみんなも分かるくらい父とバチバチ戦っていました。父がいる佐世保と私がいる東京をテレビ会議でつないだ打ち合わせでも、同席している社員が下を向いてしまうくらいです。でも父が社員から嫌われるのはいやだったので、テレビ会議を切った後、そこにいる社員に「たぶんこういうことだと思うんだよね」と説明するのが毎回の恒例になっていたし、父は父で「まあ、気にするな」と私に電話をかけてきたり。

 そんな感じでバチバチしていたある日、家の食卓で2人になった時に父から「じゃあ、お前が社長やれば?」と怒り口調ではなく言われました。それまでも3~4回言われていて毎回受け流していましたが、その時初めて自分がやったほうがいいかもしれないと思えたんです。

 「父が社長をすること、それともジャパネットが成長すること、どっちが父にとって幸せなんだろう」と考えました。そして自分の中で、この会社のてっぺんに社員や社会を幸せにすることがあるのであれば、ひょっとしたら自分が社長をやったほうがいいのかもしれない。そう思った瞬間、父に「分かった、じゃあ自分が社長をやる」と言っていました。「あ、言っちゃった……」と思いましたが(笑)。

―― その後、1週間以内には本当に公表されてしまった。

髙田 そうですね。当時はちょうど大塚家具も話題だったのですが、大塚久美子さんにはすごく感じるものがありました。世間では「父親が作った会社から父親を追い出してまで継ぐなんて、なんて図々しいんだ」と言われていましたが、私は「父親を追い出してまでこの会社を守ろうという気持ちになる人しか、会社を継いじゃダメだろう」と思ったんです。

 結果はどうあれ、最後の最後、「お父さんが作った会社だから、お父さんがやりたいようにしていいよ」と言うのは違うのではないか。私は父を追い出したくないけど、世間から何と言われようが、継ぐからには覚悟を持たなければなりません。

高田旭人社長が継承したものとは

事業方針は「見つける」「磨く」「伝える」

―― ジャパネットとして継承していくものは何ですか。

髙田 ジャパネットたかたの分かりやすい特徴は、社長がテレビに出て売るということでした。それを継ぐと思う人も多いかもしれませんが、私はそういう表面的なところを継承したかったわけではありません。

 昔から両親は家に帰ってきて、政治や景気に対する文句をグチグチ言ったり、社員への不満を漏らしたりすることはなかった。ジャパネットには「それが本当にお客さまのためになるのか」を考える文化があって、ただ商品が売れればいい、利益を上げればいい、自分たちが贅沢したいとか、それがモチベーションではない、ちゃんとした感じの会社がすごく好きだったんです。その根っこの部分をつなぐことが大事だと思っています。表面的にはこの6~7年ですごく変わったように見えるかもしれませんが、中にあるものは全く変わっていません。

―― 現在のジャパネットは事業方針として、「見つける」「磨く」「伝える」を掲げています。

髙田 会社の未来では何をやろうかと考えていて、ある時、父がやってきた事業は「見つける」「磨く」「伝える」だとひらめいた。それで私が社長になってから、ジャパネットはこの3つに関わることしかやらないんだと決めました。

 父は商品について「伝える」ところが目立っていましたが、実はいい商品を「見つける」ための商談もしていましたし、商品の下取りを始めるなど、サービスを「磨く」部分にもかなりこだわっていました。だから私がテレビに出なくても、この3つをきちんとやれば会社としては行けるだろうという確信はあった。それで社員には「この3つをやるよ!」と伝えていました。

 よく社内で話し合っていたのは、「初めの2つのステップ、『見つける』と『磨く』が大事だ」ということです。よくない商品をうまく伝えて売るのは詐欺っぽい。しかし、いい商品を伝えるのが下手でも誰も傷つけません。社長になってから初めの約2年は、「伝える」は専門チームを信頼して託し、「見つける」と「磨く」に力を入れて、社内的にもエース級のメンバーをそこに集めました。

ジャパネットたかたの新規事業の決め方

―― 会社を継いでから、通販ではクルーズ船などの新商品を扱い始め、新たにスポーツ事業にも参入ました。

髙田 私たちは現在、通信販売事業とスポーツ・地域創生事業を展開しています。クルーズ船でもサッカーの長崎スタジアムシティプロジェクトでも、自分がワクワクするとか、これは面白いと思った時、3つのステップに立ち返るとほぼハマります。

 クルーズ船も最初、弊社の役員へ提案があり、では1回体験してみようと乗ってみました。そうしたら、物すごくいいんだけれど、何か物足りない。味噌汁が薄いとか、サラダのドレッシングが足りないとか、降りたらタクシーは自分で拾わないといけないとか。

 でも降りたときに巡回の無料バスが来たらうれしいし、船内の食事がおいしかったら最高です。それをすべてジャパネットでやれたらいいなと思い、調べてもらったら、クルーズ船を丸ごとチャーターしたら何でも好きに決められるということが分かった。では日本では年間どれくらいやっているのか聞いたら、1回くらいしかないということで、じゃあジャパネットは2回やろうと。2回やるとリスクは10億円くらい。それくらいであれば、失敗したらやめればいいだけです。

 商品やサービスを自ら体験してみてワクワクする。でも何か物足りない。この商品やサービスを自分たちが磨いたら、お客さまにもっといい価値を提供できそうだ。そうなったら「じゃあ全部自分たちでやればいいんだ」という流れで新規事業は決まっていきます。

社員の成長に合わせてワクワクする仕事を用意する

―― これからジャパネットたかたホールディングスの2代目として、会社をどうしていきたいですか。

髙田 35歳で社長になった時には約1550億円だった売り上げが、42歳の今は約2400億円。ではそれで世界が変わったかというと何も変わりませんし、それが1兆円になっても変わらない。だから正直、規模を大きくするとか事業範囲を広げたいとか、そういうきっかけの発想は全くありません。ただ、目の前で接している社員たちを見ていると、確実に成長しています。彼らにとって物足りなくない、ワクワクすることを常に用意する会社でいようとすると、結果的に大きくなっているのではないかと思っています。

―― 大きくなるのは目的ではなく、結果的になるものだと。

髙田 だから自分の中では規模を追い求めたり、名声を得たいから頑張ろうとはならないようにするブレーキだけは持とうと決めています。会社はお客さま、社員、関係者の幸せのためにやっていますが、規模や利益を目的にしてしまうと、ともすればお客さまや社員がハッピーじゃない状況になりかねません。

―― 自制心ですね。

髙田 小さい頃から、社長として後を継いだ時に、「社長だから」となんでも言うことを聞く人がそろっている組織に入ったら怖いなと思っていました。だからいまだに社員から褒められると「社長だからだろう」と疑ったりします(笑)。そこは後を継ぐ人にとっては大事なボタンなのではないでしょうか。