インタビュー
そのパッケージを見れば誰もが知っているヤマトの糊。この会社を率いる長谷川豊氏は創業者から数えて4代目の社長となる。前職の外資系プライベートバンカーとはあまりに違う世界なだけにとまどうところも多かったに違いない。いかにしてその壁を乗り越えてきたのだろうか。聞き手=関 慎夫 Photo=横溝 敦(『経済界』2021年9月号より加筆・転載)
長谷川 豊・ヤマト社長プロフィール
15年間務めたプライベートバンク
―― アラビックヤマトなどの糊のメーカーとして知られるヤマトですが、もともと長谷川家の事業ではなかったそうですね。
長谷川 創業者は木内弥吉という人で、創業は1899年です。当時の糊はデンプンから作られていたためすぐに腐ってしまう。そこで創業者は防腐剤入りの糊を日本で初めてつくりました。これがヤマト糊の起源です。しかし子どもがいないこともあり、私の祖父が今で言うM&Aでのれんを引き継ぎ、その後、現会長である父、そして私が社長を務めてきました。
―― 小さい頃から会社を継ごうと考えていましたか。
長谷川 そういう環境で育てられました。家と会社が近かったため、小さい頃から社員を知っていましたし、周りは私が会社を継ぐと思っていたでしょうね。
―― でも大学を卒業したあと、アメリカのプライベートバンクに就職します。
長谷川 大学のゼミの関係でアメリカに行って、そのままニューヨークの大学院でMBAを取り、就職しました。父が許してくれたのは、ニューヨークにヤマトの米国法人があったからです。日本がいけいけどんどんの時代で、三菱地所がロックフェラーセンタービルを買ったのもこの頃です。ヤマトも米国事業を拡大していましたが、その意味で私がいたほうが便利だったのでしょう。そしてそのまま現地のプライベートバンクに勤めました。
―― 反対されなかったのですか。
長谷川 好きにさせてくれました。それからアメリカで10年間、そして日本で5年間、勤めました。その間も例えばヤマトがデトロイトに工場をつくった時などは結構手伝いましたし、日本に戻ってからもそれはかわりませんでした。
―― ヤマトとはつかず離れずだったわけですね。そして2000年にヤマトの社長に就任します。プライベートバンクに未練はなかったのですか。
長谷川 00年にヤマトは創業100周年を迎えます。その2年ほど前から、そのタイミングでどうだ、と会長からは言われていました。決断したのは、当時、会長の体調があまりよくなかったこともありますし、プライベートバンクで私が担当していた業務から撤退することが、米本社の方針として出たことも後押ししました。そこで、ある程度時間をかけて辞める準備をして、ヤマトの社長に就任しました。
父・会長の教えは「新しいことをやれ」
―― 金融の最先端と、昔から続く糊屋では、随分と勝手が違うでしょう。
長谷川 全く違いますね。糊はひとつ売って儲けが何円という世界です。ところがプライベートバンクでは億単位の資産を持つ人が顧客です。
それに文房具というのは古い業界で、その慣習がたくさん残っていました。例えば手形決済が当たり前で、振り込みなどはほとんどなかった。そこに違和感を感じた私はそういうものをどんどん改めていきました。あるいは展示会などでは取引先を1泊2日で招待するなど、非常に悠長なものでしたが、やめました。そのお陰で業界内では宇宙人と言われていました。
ECサイトでの販売もそうです。ASKULで販売を開始した時は文具店から不買運動まで起こされました。それをなんとか理解していただき、販路を拡大していきました。
社内的には、女性の登用を進めていきました。文具というのは女性が使う比率がけっこう高い。ところが社長に就任したころは内勤以外、女性はほとんどいなかった。それが今では男女比は6対4になり、営業や開発でも女性が活躍しています。
―― 新しいことを取り入れる時に会長から反対はされませんでしたか。
長谷川 これをやるなというのはなかったですね。逆に好きなようにやれ、新しいことをやれと言われ続けてきました。
例えば会長は、アラビックという日本で一番売れている液体糊を開発しました。それと自動車内部の接着用途の開拓も行っています。自分自身が新しいことをやってきたので、私に対してもどんどん新しいことをやれとはっぱをかけられています。
ただし、粘着・接着という分野にはこだわっています。ここからはずれた事業に手を出すつもりはありません。
長谷川豊社長が考えるファミリービジネスの強みとは
―― ファミリービジネスの長所・短所は何でしょう。
長谷川 長期的視野で経営ができるということもありますし、やはり社員はみな昔から知っている家族のようなものです。だからこそ、風通しのいい会社にしようとしています。毎月、誕生会を開いたり、今はコロナでできませんが、夕方は地下のラウンジでお酒を飲むこともできます。私の部屋のドアはいつでも開いていますし、言いたいことがある社員は私にメールをしてきます。その中から新しい商品が生まれたこともあります。
そういう家族経営的な良さがある一方で、やはりコンプライアンス的に甘かったところはあると思います。ですからそういったところはどんどん変えていきたいですね。
―― 日本は少子化で文具の売り上げも減っています。今後どうやって切り開いていきますか。
長谷川 文具はロングテール商品で、なくなることはないですし、急激に落ちることもありません。ですから今のうちに、新規需要を開拓する必要があります。例えばシニアのホビー向けの製品などは巣ごもり消費もあって、売り上げが伸びています。今後は海外展開も考えていきたいですね。