インタビュー
社名に「造船」と入っていながら19年前に造船業を切り離した日立造船。現在の経営の柱は環境事業で、ゴミ焼却発電事業や水処理など、地球環境保護につながるさまざまな取り組みを行ってきた。SDGsの先端企業にとって、昨今のSDGsブームはどのような意味をもつのか。聞き手=関 慎夫 Photo=横溝 敦(『経済界』2021年10月号より加筆・転載)
三野禎男・日立造船社長兼COOプロフィール
2015年、国連で採択された「SDGs(持続可能な開発目標」には、17のゴールと169の具体的な目標が掲げられている。その範囲は幅広いが、およそすべての企業活動はSDGsと密接な関係がある。とりわけ過去の経済活動により地球環境は大きなダメージを受け、気候変動などにつながっているため、経済活動と地球環境を両立させることがこれからの企業には求められる。そこで、環境事業を企業活動の中心に据える日立造船の三野禎男社長に、今までの取り組みとビジョンを聞いた。
祖業である造船を捨て環境事業に社運を賭ける
―― 三野さんは京都大学で環境工学を学び、1982年に日立造船に就職しています。当時の日立造船にとって環境事業の位置付けはどのようなものだったのでしょうか。
三野 都市ゴミの焼却発電処理施設を手掛ける会社としては、大手4社の一角でした。でも会社としては造船事業に大きく依存しており、環境事業の売り上げは数%にすぎませんでした。ですから社内でもそれほど評価されていたわけではありません。
―― その後、造船部門を切り離し、環境事業が主力の会社に変身しますが、入社時にこのような姿になるとは考えていましたか。
三野 全く考えていません。入社以前から環境汚染や公害は社会的な課題となっていましたから、その分野に貢献できる技術者になりたいと考えていました。ところが、70年代から80年代にかけて造船不況となり、入社して4、5年後には1万7千人いた社員を6千人以下にするという時代を迎えます。そこで90年代に環境事業を造船事業に続く主力事業とすることを会社の方針とし、さらに2002年に造船事業を分離してからは、環境事業に社運を賭けることになりました。
―― 環境事業に注力してから四半世紀たっています。ここにきて時代が追いついてきました。
三野 時代が追いついたというより、時代とともに環境事業が育ってきたと思います。ゴミ焼却発電以外にも、再生可能エネルギーやメタネーションシステム(※)などの技術開発をやってきましたが、ここにきてようやく日の目を見るようになってきたとは感じています。
―― 日立造船の株価は、昨年暮れから高値水準を維持していますが、その背景には昨年秋の菅首相の「2050年のカーボンニュートラル宣言」があります。事業環境も大きく変わってきたのではないですか。
三野 カーボンニュートラル宣言のあと、12月にはグリーン成長戦略が発表されたことで、いろいろなことが変わってきているように思います。CO2排出削減はこれまでも大きなテーマでしたが、取り組みが大きく加速しています。これは日本だけのことではなく、ヨーロッパはもともと先行していましたが、アメリカもバイデン大統領の誕生で脱炭素へ舵を切った。消極的かと思われていた中国も、60年までの脱炭素を打ち出しています。世界が脱炭素に向け動き出し、この分野への投資が活発になっています。法的な問題も整備され始めるなど、事業環境は整ってきています。
当社の事業でいえば、これまでも水素発生装置やメタネーションシステムなどに取り組み、環境対応技術としてアピールしてきました。しかし残念ながらコストや大型化などの課題もあり、それほど注目されてこなかった。それが今では、連日のように、メディアにも取り上げられるようになりました。日本全体が本気になってアクセル踏み始めたことを感じています。
SDGsへの取り組みは経営の胆力が問われる
―― 今では多くの企業がSDGsを経営の根幹に据えるなど、一種のブームのような現象が起きています。このブームをどう見ていますか。
三野 ブームというより大きなトレンドだと見ています。そして当社がこれまで取り組んできた事業は、SDGsと方向性が一致しています。ですから、私たちの製品・サービスを通じて持続的社会の構築に貢献できると考えています。
―― 脱炭素も含めSDGsは以前はコストと考えられていましたが、今では成長戦略の中に組み込まれるようになりました。そのため市場の拡大とともにプレーヤーも増えていきます。日立造船はゴミ焼却発電で世界のトップに立ちますが、優位性を保つには何が必要ですか。
三野 ゴミ焼却発電は、国内市場はあまり伸びないと見ています。でも新興国をはじめ海外は事情が違います。多くの国ではゴミを焼却せずに埋め立て処分していますが、これが環境問題化しています。ですからこうした国では今後も需要が増えていきます。その際、重要になってくるのが技術はもちろんですが経験です。廃棄物の処理のプロセスは地域や季節によって変わってきますので、世界中に同じ設計のプラントをつくるようなわけにはいきません。安定した施設をつくるには蓄積されたノウハウが必要です。この点において当社は一日の長があります。
―― ロシアのプーチン大統領にも頼りにされているとか。
三野 ロシアでも今までゴミは埋め立て処分されているため、悪臭が社会問題になっていました。プーチン大統領が市民と対話した時も、それを指摘されたのですが、大統領はそれに対し「日立(造船)のすぐれた技術を使って国営企業がゴミ焼却場をつくる」と発言されました。この時、われわれは受注に向けた活動はしていましたが、まさかプーチン大統領が当社の名前を出すとは思わなかった。大変驚きました。その後、モスクワでは4件のゴミ焼却発電施設を受注し、順次稼働していきます。
―― それ以外の環境事業の状況はいかがですか。
三野 期待しているのは風力発電、中でも洋上風力です。日本でも洋上風力発電が間もなく始まりますが、当社はその基礎部分の開発を行っています。これを大きな事業に成長させていきたい。それ以外にも先ほど申し上げた電解水素やメタネーションも伸びてくると思います。いずれ水素社会が到来するのは間違いありませんが、水素を運搬するにはコストもかかります。そこで水素ガスを必要とする場所で、水を分解して水素を発生させ、ダイレクトに供給する。一方でメタンガスは、単位体積あたりの熱量が水素よりも大きいし都市ガスに混入すれば家庭でも使えます。経産省では2030年には都市ガスに1%の合成メタンを混入し、50年には混合率を90%にまで増やす計画を立てています。そうなるとものすごく大きな需要が創造されますから、力を入れて伸ばしていこうと考えています。
―― ライバルも多そうですね。
三野 取り組んでいる会社はたくさんあります。他社さんのレベルがどこにあるかは分かりませんが、われわれは有利なところにいるか、そうでなくても少なくとも出遅れてはいないと考えています。今後は設備の大型化などの実証実験を行っていきますが、かなりの投資を行っていかなければなりません。その意味で経営の胆力が必要になってきます。
―― 造船会社だった時代に畑違いの環境事業を始めたように、現在の事業とは全く関係ない分野を手掛けることはありませんか。
三野 環境事業への進出は1965年に大阪市に日本初のゴミ焼却発電施設を納入したのが最初ですが、これは、造船で培った製造技術が応用できたからです。ですから造船と全く無関係ではありませんでした。その意味では、今後も既存事業の周辺へ広げていくのが主流ですが、中には全固体電池のように、既存事業とは少し離れている分野にも取り組んでいます。社会問題があり、その解決にわれわれの技術が貢献できれば、挑戦していきたいですね。
2030年の視点で事業内容を評価する
―― SDGsのゴールは2030年に設定されています。その時、日立造船はどんな会社になり、どういった形でSDGsに貢献していると思いますか。
三野 当社は17年に「Hitz 2030 Vision」を策定しました。これは30年の将来像を示す長期ビジョンですが、「クリーンなエネルギー・水の提供」「環境保全、災害に強く豊かな街づくり」をコア事業領域として、「サステナブルで、安全・安心な社会の実現に貢献するソリューションパートナー」を目指しています。
この長期ビジョンに基づき、そこから逆算する形で、今何をしなければならないか、と考えるようにしています。そのためにはグループ内の事業の評価方法も一新しました。
以前の評価方法は、収益性や事業の規模などが判断基準になっていて、それに基づいて事業ポートフォリオを組み立てていました。現在は、社会のサステナビリティや当社のサステナブルな成長性、そういった指標を組み込んで評価をしています。現在は収益にあまり貢献していなくても、2030年視点から、継続する事業なのか、伸ばしていく事業なのか、あるいは撤退すべき事業なのかの判断を下していく。
面白いもので、視点を変えると事業の見え方というのは全く変わってきます。やはり以前の評価は過去の事業を評価している傾向があったのに対し、現在は成長性やサステナビリティ、そして当社のビジョンとの整合性が判断の基準になっています。
―― 今は赤字事業であっても、日立造船の目指すべき姿と合致していれば継続するわけですね。
三野 たとえ今は収益に結びつかなくても将来の当社に必要な事業であれば、できるかぎり継続させる努力をする。そしていずれは収益に貢献できるようになることを期待しています。