戸村光の「進撃のベンチャー徹底分析」(第6回)(『経済界』2021年11月号より加筆・転載)
2021年8月8日、東京オリンピックが閉会を迎えた。日本のメダル獲得数は合計58個となり、過去最多だった16年のリオデジャネイロ大会で獲得した41個を大きく上回る結果となった。
今回取材したのは、その東京オリンピックで銀メダルを獲得した女子バスケットボール日本代表として活躍した馬瓜(まうり)エブリン選手だ。本欄でスポーツ選手をなぜ取材するのかと読者諸兄は不思議に思うかもしれないが、実は彼女は現役のアスリートでありながら、Circle of lifeという企業の経営者でもあるのだ。エブリン選手のバックグラウンドと、彼女が展開するサービス「Quick Coach」について今回は解説したい。
バスケの才能を伸ばした優れたコーチとの出会い
エブリン選手は愛知県豊橋市で生まれ、東郷町で育った。両親はガーナ出身で、14歳のときに家族で日本国籍を取得した。日本で生まれ育ったにもかかわらず、幼少時代はクラスメイトたちと自分自身の見た目が異なることなどに対して悩み苦しんだという。
母親に「なぜ自分は他の人と違うのか」と相談したところ、「他の人と同じである必要はない。違うことが魅力だと思われるような存在になりなさい」と諭された。その後は他人と異なることに対して誇りを持てるようになったと語る。
他人と違うことを誇り、楽しむ。それがエブリン選手のアスリートとしての原動力になっている。性格は前向きで明るく、やがてインタビューの受け答えやメディア出演時のユニークな発言などでも世間の注目を浴びることになった。
バスケットボールを本格的に始めたのは高校生になってからだ。愛知県の名門校である桜花学園高校に入学後、優秀なコーチに恵まれたことで才能が一気に開花した。U-17日本代表にも選出され、世界選手権でベスト4に進出。適切な指導者に適切なタイミングで出会ったことによって大きく運命が変わったという。
アスリートが抱える課題解決を目指す
そんな自分自身の経験を元にエブリン選手が立ち上げたサービスがQuick Coachである。スマホで15秒から30秒程度の動画を送ると、それに対してプロのアスリートからアドバイスを返してもらえるというものだ。適切なアドバイスをもらいながら質問を考えることによって、将来アスリートを目指す子どもたちに自ら考える力を育んでもらうことが目的だという。
そして、サービスを立ち上げたもう1つの目的が、アスリートのセカンドキャリア支援だ。
起業という若いアスリートにとって極めて稀な決断にエブリン選手が踏み切ったのは、東京に遠征で訪れた際の出来事が影響している。エブリン選手は当時、心底憧れを抱いていたアスリート界のレジェンドが、八百屋で働いている光景を目撃して大きなショックを受けた。スポーツ選手にとってアスリートとして花を咲かせること自体が非常に難しいだけではなく、仮に花を咲かせたとしてもその期間は人生の長さを考えるとほんの一瞬にすぎない。ほとんどの選手が引退後、現役時代とは全く関係のない職業に就くことになる。
ちなみに、筆者は大阪桐蔭という野球名門校で中学、高校時代を過ごしたが、野球部員が100人近くいる中で、甲子園の晴れ舞台にレギュラーとして立てるのはわずか9人。さらに、ドラフト会議で指名されてプロ野球チームに入団するのはその中で半数いるかいないかである。つまり、ほとんどの野球部員はプロ選手になることはもちろん、甲子園でスポットライトを浴びることもなく野球人生を終えてしまう。それまで競技一本やりで人生を歩んできた選手たちにとっては、人生の大きな方向転換を迫られることになる。
こうしたアスリートのセカンドキャリアの問題は、日本のみならず世界共通の課題とも言えるだろう。Quick Coachを立ち上げた背景には、その課題解決に貢献したいというエブリン選手の思いがある。アスリートによるスポーツのスキルシェアサービスが普及することで、現役を終えても、アスリート人生を生かせる環境が生まれる。それにより、スポーツ選手を目指す若者の増加につながる可能性も高まるだろう。
潜在的価値を秘めるスキルシェアマーケット
クラウドワークスやココナラの成長を見ても分かるように、スキルシェアマーケットの可能性は計り知れない。海外ではCameoやMasterclassなど、現役のアスリートが短編動画でスキルをレクチャーするサービスが大型の資金調達に成功し、成長を遂げている。この波は日本にもそう遠くない将来押し寄せてくるとみられる。
Quick Coachではエブリン選手がバスケを教えるだけに留まらず、あらゆる競技のアスリートたちが集結し、スマホを通して1時間から学べるのが特徴となっている。
子どもを育てる保護者にとって、この点は経済的な面からも魅力的だ。さまざまなスポーツを子どもに学ばせたいと考えても、通常は入会金をはじめとする各クラブの初期費用が結構な負担になるため、保護者は簡単に競技種目をスイッチングしにくい。Quick Coachでは入学金がなく、種目のスイッチングコストも不要にしているため、誰でも手軽にスポーツを始めることが可能で、かつ、複数の種目をアスリートのアドバイスを受けながら学べることができる。
これはスポーツ教育業界における画期的な取り組みであり、スポーツ市場が拡大するきっかけにもなり得るだろう。エブリン選手の取り組みが日本、そして世界のスポーツ業界を盛り上げるムーブメントになることを願ってやまない。
戸村 光(とむら・ひかる)――1994年生まれ。大阪府出身。高校卒業後の2013年に渡米し、14年スタートアップ企業とインターンシップ希望の留学生をつなぐ「シリバレシップ」というサービスを開始し、hackjpn(ハックジャパン)を起業。その後、未上場企業の資金調達、M&A、投資家の評価といった情報を会員向けに提供する「datavase.io」をリリース。一般向けには公開されていない企業や投資家に関する豊富なデータを保有し、独自の分析に活用している。