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科学技術のリーダーが集まるSTSフォーラムの存在意義―小宮山宏(三菱総合研究所理事長)

真鍋淑郎博士がノーベル物理学賞を受賞したことで日本人(外国籍を含む)のノーベル賞受賞者は計28人となった。その一方で、日本の科学技術人材の不足や、それに伴う研究成果の低迷が指摘されている。日本はこのまま科学技術立国であり続けることはできるのか。三菱総合研究所理事長で、ダボス会議の科学技術版といわれるSTSフォーラム会長を務める小宮山宏氏に話を聞いた。聞き手=関 慎夫 Photo=横溝 敦(『経済界』2022年1月号より加筆・転載)

小宮山宏・三菱総合研究所理事長プロフィール

小宮山宏・三菱総合研究所理事長
(こみやま・ひろし)1944年栃木県生まれ。67年東京大学工学部化学工学科卒業。72年同大学大学院工学系研究科博士課程修了。88年東京大学工学部教授、2000年工学部長、大学院工学系研究科長、03年副学長などを経て、05年4月第28代総長に就任。2009年3月に総長退任後、同年4月に三菱総合研究所理事長、東京大学総長顧問に就任。

STSフォーラムの概要

1400人のリーダーと28人のノーベル賞受賞者が参加

―― 10月に開催されたSTSフォーラムの理事長を務められているそうですね。

小宮山 STSフォーラムは「科学技術と人類の未来に関する国際フォーラム」で、言うなればダボス会議の科学技術版です。この2年はコロナ禍のためにオンライン開催でしたが、毎年国立京都国際会館で開かれており、今回で18回目を迎えました。

 私は第一回から理事として参加していましたが、科学技術に関する世界のトップリーダーが会するイベントで、今年は世界各国で1400人が参加、その中には25人のノーベル賞受賞者も含まれています。

100~500年先の未来を見据えて議論

―― どんなことをテーマに話し合われているのですか。

小宮山 科学技術には光と影の両面があります。うまく使えば人の暮らしは豊かになり、寿命も延びます。しかしその一方で原子爆弾のような大量破壊兵器や地球温暖化、さらにはAIの問題など、場合によっては文明を滅ぼす可能性もあるわけです。この「Lights and Shadow」については、常に科学者として考えていかなければならない問題だととらえていますし、STSフォーラムでは100~500年先の未来までを見通して議論しています。

 加えて今回からは新たに「Analysis&synthesis」「Breaking silos」というセッションを加えました。前者は分析と統合、後者はサイロを壊すという意味ですが、この2つを活用することの重要性を訴えました。

 オープニングスピーチで私は「ハリセンボン」の写真を使って話し掛けました。ハリセンボンの針1本1本は、専門家や企業、研究機関が持っている知識です。例えば、現在、学会の数だけでも2千以上あります。それぞれが専門知識を積み重ねている。これをうまく分析・統合すれば、今まで解決できなかった問題も解決できるようになる。

 一例を挙げれば、新型コロナウイルスのワクチンです。2019年の暮れに中国で発生した新型コロナですが、翌年1~2月頃、専門家にワクチンの実用化はいつになるかと聞くと、普通は10年、だけど、今回は非常時だから4年でなんとか、という人が一番多く、最短でも3年という答えでした。ところが実際には、わずか10カ月で接種できるようになっています。ファイザーおよびモデルナ製ワクチンはm-RNAというタイプですが、専門家でも知らない人が多かった。それがこれまでの知見などをうまく組み合わせれば、短期間の間に実用化できる。これはAnalysis&synthesisの成果です。

 地球温暖化にしても、知識を分析・統合すれば、必ず解決への道筋が見えてくるはずです。ただしそのためには、専門家が入っているサイロを壊す必要があります。いかにすぐれた知見でも、自分たちの世界だけに収まっていては新しいものはうまれません。だからこそハリセンボンの針と針をむすびつける必要があるのです。

―― 既にある知識や技術でも、サイロを壊し分析・統合することで新しい可能性が生まれてくるわけですね。

小宮山 シュンペーターもイノベーションを生むのはニューコンビネーション(新結合)だと言っています。スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクにしてもゼロから新しいものをつくったというよりも、既にある技術を組み合わせて、付加価値を創出しています。カーボンニュートラルには技術的な課題も多くありますが、決意があれば必ず実現できると信じています。

日本の科学技術分野の未来はどうなるか

STSフォーラムの議論から社会モデルを構想

小宮山宏・三菱総合研究所理事長

―― 1年ほど前に当時の菅首相が脱炭素宣言をしましたが、日本ではいまだ火力発電比率が高く、自工会の豊田章男会長も、カーボンニュートラルは大事だと言いながらも、自動車産業に携わる人たちの雇用をどう守るか、といった発言をしています。

小宮山 その点で日本はヨーロッパやアメリカ、そして中国よりも遅れています。中国では60年までにカーボンニュートラルと言っていますが、実際には50年には達成できると見ています。中国の場合、電力需要が旺盛なため、新しい発電所を再生可能エネルギーで動かせば、必然的に化石燃料の比率は下がっていきます。しかし日本ではそれほど電力需要が伸びないため、カーボンニュートラルのためには既にある発電所を止めて新しい発電所をつくっていかなければなりません。そうなると雇用の移動も必要になってくる。でもそこで保守的になっていては新しい時代に対応できません。

 10月のフォーラムではスピーチを私は次のように締めくくりました。

 《科学技術が人類に悲惨な未来をもたらす可能性を否定することはできません。しかし、輝かしい未来をもたらす可能性も科学技術にあるのです。さまざまなサイロを超えて、人類の輝かしい未来のために議論をしたいと思います。(中略)STSに参加する各界のリーダーたちが、議論し、各自の結論を得て、社会を変革するアクションに移すならば、社会は良い方向に向かうことでしょう。それが私の希望です》

 環境問題や高齢社会という2つの課題を高いレベルで解決し、地球が持続し、豊かですべての人が自己実現を図ることができる社会モデルである「プラチナ社会」を私は提唱していますが、STSフォーラムの議論から触発された部分も非常に多い。それと同じようなことを各界のリーダーが行ってくれれば、必ず社会は良くなると信じています。

博士課程に進む学生が少ない理由

―― 科学技術によって幸せな未来がもたらされることを願ってやみませんが、その一方で日本では、科学技術分野の人材不足が指摘されています。最近では科学技術の論文や特許数の世界ランクも低迷しています。

小宮山 最大の問題は、若い人たちが大学院の博士課程に行かなくなったことだと思います。これは金銭面の問題で、トップクラスの研究員は、企業に行けば多くの報酬を受け取れます。ところが大学院に行けば、逆に授業料を払わなければなりません。昔は研究さえできればいいという人もいたかもしれませんが、それはある意味、情報が限られていたためです。今では新卒のエンジニアに2千万円の給料を払う時代となり、そのことを誰もが知っている。これでは学生は博士課程に進もうとは思いません。

―― アメリカなどではどうしているのですか。

小宮山 博士課程ではほとんどの場合、授業料は免除されます。というよりは、世界的に見て博士課程で授業料を取っているのは日本ぐらいです。奨学金も、アメリカでは入学時点でもらえるか決まっているのに、日本では入学した後でないともらえるかどうか分からない。さらには日本でもアメリカでも、企業から研究を依頼されるケースがありますが、アメリカの大学は委託料が非常に高い。なぜなら、そこから学生に奨学金を支払っているからです。そのお金で学生は生活することができる。だから学生は安心して研究に打ち込むことができるわけです。

若い人から変わり始めた「議論をしない日本人」

―― 先日ノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎博士は、「アメリカでは好きな研究ができる」と語っていましたが、その一方で日本では「調和を重んじる。私は周りと協調して生きることができない」とも言っています。これは日本の研究環境への苦言と受け止められています。

小宮山 日本は議論がしにくい国です。議論をすることで違う視点を知ることができる。そこが重要です。ところが日本では、当たり前のことを議論しようとすると、「あいつは俺に反対した」となってしまう。だから若い人たちが何も言えなくなってしまう。

―― それではイノベーションは生まれませんね。

小宮山 でもそれほど悲観はしていません。というのも、学生たちのスタートアップへの感度がとても高くなっているからです。私が東大にいた時代にアントレプレナー道場というのをつくって、最初は単位もない講義だったのが、今ではカリキュラムに組み込まれ、東大生の10%が受講するまでになっています。さらには東大発のベンチャー企業で上場した会社の時価総額は1兆5千億円を超えるなど、官僚や大企業ではなく、自ら起業しようという人たちが増えています。そういうマインドの学生が増えてきたことは間違いありません。そこから新しいイノベーションが生まれてくることを期待しています。