【連載】刑法学者・園田 寿の企業と犯罪
企業の犯罪の事例の論点を法的な視点から掘り下げる本連載、今回は「疑惑議員から学ぶ企業と政治家の距離」の〈後編〉、接待の危うさ、贈収賄がテーマです。何が罪に当たり、何が当たらないのか、国家公務員の特権的な部分も含め、実際の事件を交えて解説していきます。(文=園田 寿)
園田寿氏のプロフィール
隠語「サンズイ」=「瀆職」≒「汚職」の歴史
時々「サンズイ」という言葉を聞くことがあります。もともと警察関係者の隠語で、贈収賄を意味する「瀆職(とくしょく)」を指していました。戦後の漢字制限によって「汚職」と書くようになりましたが、部首は共通の「サンズイ(氵)」とはいえ、ニュアンスはだいぶ違います。
汚職という場合は、「職を汚す」という意味で広く公務に関連した横領や背任といった財産犯、あるいは公文書改ざんなども含まれると思われますが、瀆職と言えば特に賄賂の収受(贈収賄)を意味しています(本稿でもその意味で使います)。
「瀆」という字には、「冒瀆」という熟語があるように、崇高なもの、大切なものを穢(けが)し、貶(おとし)めるといった意味が強くなります。また、汚濁を海に流し続ける大河の様子といった意味もあるようで、贈収賄の横行が国の骨格を腐らせる「亡国の犯罪」と言われるイメージも、この辺りにあるのではないかと思います。
瀆職に関しては、すでに8世紀の大宝律令(刑法と行政法からなる全17巻のわが国初の成文法典)に、賄賂によって法を枉(ま)げた場合は死罪とするという刑罰規定が存在していました。しかし、今でいう役職手当のような制度はなく、公務に報いるに「礼銭」と呼ばれる非公式の手数料を渡すことが一般の慣わしでした。奉行など激務にもかかわらず、その地位にふさわしい手当のない役職が多く、それらの役職においては礼銭が当然の収入源とされていました。
鎌倉時代には相手を宴会に招くこともしばしば行われており、宴会に招く代わりに差し出す金銭は「酒肴(しゅこう)料」と呼ばれました。不十分ながらも「役料」という役職手当の制度ができたのが江戸時代でしたが、礼銭の悪習慣は長く続いたようです。しかし、礼銭と賄賂は実質的には区別できません。このようなわが国の歴史的背景も、瀆職の禁が容易に超えられてしまう原因なのかもしれません。
上級公務員・政治家と一流企業の接待
冒頭でサンズイの話をしたのは、最近特に官僚や政治家に対する一流企業(特に東北新社とNTT)の高額接待が目立つからです。
東北新社の総務省幹部に対する接待では、直近の数年間で十数人が高額接待を受けており、その額は合計で60万円にもなります。NTTの接待問題では、グループ側が費用を多く負担するなど問題のあった会食が29件確認でき、そこには政務三役(大臣、副大臣、政務官)との会食5件も含まれ、会食費用が最も高額だったケースは1人当たり6万円ほどでした。一晩で数万の豪華なコース料理など、ほとんどの国民は生涯体験することはないでしょう。
あえて「事件」という言葉を使いますが、多くの人は、なぜこの事件で瀆職が問題にならないのかと不思議に思うのではないでしょうか。刑法の教科書で贈収賄の章を開くと、「賄賂」とは社交儀礼の範囲を超えるものであって、人の欲望を満たす一切の利益と説明されており、例として、金銭はもとより、高価な品物、豪華な食事、男女の情交なども賄賂になり得ると説明されています。
刑法典の賄賂の罪(刑法197条以下)は、数度の改正を経て複雑にはなっていますが、基本は「職務に関して賄賂を受け取ること」(刑法197条1項前段)であって、単純に職務上不正の金品などを受け取るだけで成立し、5年以下の懲役に処せられます。その際に「請託」(具体的な依頼)があれば、受託収賄罪として7年以下の懲役と重くなり(同条1項後段)、さらに実際に不正行為があれば加重収賄罪として最高20年の懲役となります(刑法197条の3第1項)。今回の総務省の接待事件では、具体的な請託や不正行為は確認されていないようですが、なぜ単純収賄にならないのかは理解しづらいのではないでしょうか。
例えば、岸田政権の下でデジタル相に就任した牧島かれん氏は、2019年と20年にNTTから5万円のコース料理の接待を2回受けているにもかかわらず、「政治家としてさまざまな方と意見交換を行うことは重要であり、問題ないと考えている」とコメントしています。しかし、仮にどこかの市長が就任後に地元の建設業者からこれと同様の接待を受けていたとしたらどうでしょう。「政治家として意見交換を行うことは重要で、問題ない」で済まされるでしょうか。
国家公務員倫理規程による処分と贈収賄の仕組み
今回の一連の接待でもそうですが、このような事件が起こった場合、問題になるのは「国家公務員倫理規程」です。これは、国家公務員倫理法という2000年に施行された法律に基づいて制定された政令(内閣が制定する命令)です。そこには「許認可等の相手方」や「契約の相手方」などの〈利害関係者〉との、国家公務員の側から見た〈距離〉が定められています。
具体的には、(1)金銭、物品または不動産の贈与を受けること、(2)金銭の貸付けを受けること、(3)無償でサービスの提供を受けること、(4)未公開株式を譲り受けること、(5)供応接待を受けることなどが禁止されています。
倫理法が制定されたきっかけは、1998年の(旧)大蔵省幹部接待汚職スキャンダルです。この時に某大蔵官僚が「接待で100万円を超えると収賄罪で逮捕されるが、それ以下だと許されるという感覚だった」と述べ、このような驕りが倫理法の制定につながりました。エリート官僚と一般社会の感覚のズレに、今さらながら驚いたものです。
しかし倫理規程はできたものの、違反した場合の罰則としては減給や戒告などの懲戒処分に留まり、刑罰は科されない、つまり原則的に犯罪にはならないという点は問題として残っています。
そして、それと共に重要なのは、高額接待を受ける方が収賄罪にならなければ、接待を行う方も贈賄罪にはならないという点です。東北新社もNTTも担当者を社内の内規に従って処分したに留まります。これは、贈収賄が賄賂を媒介にして「贈る側」と「受け取る側」という対向関係にある双方の行為から成り立っている犯罪(対向犯と言います)であるため、一方が犯罪でないならば他方も犯罪でなくなるという関係にあるからです。
なお、政務三役の場合は、いわゆる大臣規範の適用を受けますが、これには罰則はありません。接待を行う側ももちろん犯罪ではありません。
国家公務員の瀆職を放置すれば国家が揺らぐ
国家公務員倫理規程は、一般職の国家公務員に対する会社の内規のようなものであって、言わば内輪のルールです。刑法の感覚で言えば、一般社会の社交儀礼の範囲を超えれば賄賂性が問題になりますが、一晩で数万円の食事はどうなのでしょう。これが仮に地方公務員ならば、同じような高額接待で立件されているケースは多いはずです。そして、有罪になればほぼ確実に懲戒免職処分は免れません。もちろん、接待した側も贈賄罪で有罪になります。
瀆職については、国民の誰かが具体的に何らかの迷惑を被ったり苦しんだりすることはありません。しかし、瀆職を放置すれば国民の間に公務に対する不信感が募り、国の屋台骨がガタつくことになりかねません。これが瀆職を禁じる最大の理由です。今一度、「瀆職」の意味を考えてほしいと思います。