セブン&アイ・ホールディングス傘下の百貨店、そごう・西武が売却される見通しだ。コロナ禍で業績は悪化し、株主からもテコ入れを迫られたというが、それはひとつのきっかけにすぎない。低迷から抜け出せないそごう・西武の苦悩はすべての百貨店に共通する悩みでもある。文=関 慎夫(『経済界』2022年4月号より加筆・転載)
かつては日本一だったそごうと西武百貨店
セブン&アイ・ホールディングスが、傘下百貨店のそごう・西武を売却する。具体的スケジュールは明らかになっていないが、2月中に入札を行い、売却先を決定すると見られている。
そごう・西武は社名からも分かるように、旧そごう、旧西武百貨店が経営統合して誕生した会社だ(正確には2003年に経営統合でミレニアムリテイリングが発足、05年にセブン&アイの子会社となり、09年にそごう・西武に社名変更)。
そごうは1980年代から90年代にかけ、日本興業銀行(現みずほ銀行)出身の水島廣雄氏の指揮のもと拡大路線をひた走り、一時は海外を含め40店舗を構える日本最大の百貨店グループだった時代がある。
片や西武百貨店は、経営者かつ文化人であった堤清二氏率いるセゾングループの中核であり、エルメスなどヨーロッパの有名ブランドを日本に持ち込み、独自の地位を築き上げた。旗艦店である池袋本店は、単店当たりの売り上げで日本一の百貨店になったこともある。また西武渋谷店は70~80年代の渋谷の若者文化をリードした。
百貨店業界は、三越(現三越伊勢丹)や髙島屋など、江戸時代に呉服店から始まった老舗百貨店が市場を牽引してきが、そごうや西武百貨店は新興百貨店として、独自の地位を築くことに成功した。
そごう・西武百貨店の統合と手を差し伸べたセブン&アイ
ところが、その代償として、膨れ上がった本体と脆弱な財務体質に悩まされる。日本経済が成長しているうちは、「売り上げはすべて癒す」と問題は表面化しなかったが、バブル経済破裂とともに一気に膿が噴き出した。
結果、そごうは1兆8700億円の負債を抱え、2000年に民事再生を申請、経営破綻する。その後、中興の祖の水島氏は、古巣の興銀から連帯保証を求められ、125億円の支払い命令を受けてもいる。
一方、西武百貨店は、インターコンチネンタルホテル買収などセゾングループの無謀な投資が裏目に出て、西友やファミリーマート、西洋フードシステム、クレディセゾンなどを切り離す。事実上のセゾングループの解体だった。そして西武百貨店は03年に2200億円の債権放棄による私的整理を経てそごうと経営統合する。
とはいえ百貨店業界そのものが、1991年をピークにつるべ落としのように売り上げを落としており、その中で弱者連合が浮上できるはずもなかった。そこに手を差し伸べたのが、セブン-イレブンを中核に小売業界きっての収益力を誇るセブン&アイだった。
セブン&アイの源流は洋品店。そこからスーパーマーケット業態のイトーヨーカ堂が生まれ、さらにはコンビニのセブン-イレブンが派生した。いわばその時代におけるもっとも収益の上がる業態へと主力事業を移してきた。それなのになぜ、当時既に斜陽産業と見られていた百貨店業に食指を伸ばしたのか。
小売業関係者の百貨店への憧れ
少し前まで、いくら落ち目であろうと、百貨店は小売業の頂点に位置していた。富裕層などの優良顧客を持ち、有名ブランドを扱い、店舗は都心の一等地。さまざまな催事が行われるなど文化度も高い。歳暮や中元などの贈答品では、同じ品物でも百貨店の包装紙にくるまれていた方がありがたがられる等々。いくら他の業態が売り上げや利益で上回っても、「百貨店は別格」との意識は強かった。
1980年代には、当時の日本一小売業だったダイエー創業者の中内功氏が、髙島屋株を10%以上、買い集めるという「事件」もあった。両社は提携したのちに破談するが、ダイエー系の百貨店、プランタンは当初、ダイエーと髙島屋の合弁事業だった。
イトーヨーカ堂も、84年埼玉県春日部市にロビンソン百貨店を開業(その後、西武春日部店となり、2016年に閉店)する。中内氏にとっても、イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊氏にとっても、百貨店は憧れの存在だった。
「業態論」を否定した鈴木敏文氏
06年にセブン&アイがそごう・西武を買収した背景にも、そのような憧れがあったことは間違いない。そしてもうひとり、当時のセブン&アイには小売業界のカリスマ、鈴木敏文氏がいた。
鈴木氏は書籍取次のトーハンを経てイトーヨーカ堂に入社。1974年に東京・豊洲にセブン-イレブンを開業。日本人のライフスタイルを一変させた。
単に24時間365日オープンという業態だけでなく、おにぎりなどの中食の販売や、プライベートブランドの拡充など、もともとは海外から移植したコンビニが日本で独自の発達を遂げ、さらには世界へと広まっていった。また2001年には小売業としては初めて銀行業に進出(現セブン銀行)して各店にATMを設置するなど、常にコンビニ業界をリードし続けてきた。
鈴木氏はかつて「業態論」を否定していた。時代によって業態の流行りすたりがある。一例を挙げれば、かつてGMS(総合スーパー)が百貨店から客を奪ったが、その後、家電や紳士服などのカテゴリーキラーの侵攻を受ける、といった具合だ。
しかし鈴木氏は「ダメな業態があるのではない。お客さまの求めるものを提供できないからモノが売れないだけ」と言う。
鈴木氏は小売業を変化対応業だと言い切っていた。消費者の心理を見抜き、何を求めているか潜在意識を探り提供する。そうすれば必ず客はついてくる、という考え方であり、それは百貨店業態にもそのまま当てはまる。だからこそ、そごう・西武を引き受ける気になったし、自信もあったに違いない。
ところが鈴木氏は、16年に半ばクーデターのような形でセブン&アイを去っていく。後を引き継いだ井坂隆一氏(現会長)は、セブン&アイを着実に成長させてきたものの、そごう・西武の再建には成功しなかった。鈴木氏時代にも不採算店舗の閉鎖を行っていたが、鈴木氏退任後はそれがさらに加速、買収時には28店舗あったものが、現在は10店舗にまで減っている。
そごう・西武が象徴する百貨店の不動産業化
今年1月25日、米アクティビスト(物言う株主)のバリューアクト・キャピタルは、セブン&アイに対し部門売却や分社化を含む「戦略的選択肢」を検討するよう書簡を送った。不採算部門を売却し、コンビニ事業など収益力のある事業に集中すべき、というわけだ。
ここから、そごう・西武の売却が動き始め、同月31日には「そごう・西武を売却する方向で検討」との報道が流れる。しかし提案からわずか1週間足らずで事態が大きく動くはずもなく、社内で検討していたものがアクティビストの行動によって表面化したと見るべきだろう。
原稿執筆時点では、そごう・西武が今後どうなるかは分からない。それでも西武池袋店やそごう横浜店のように駅直結の好立地物件もあるため、それなりの金額での売却が期待できる。裏を返せば、今のそごう・西武には百貨店としての魅力より、不動産価値のほうが評価されているということだ。
そしてこれをきっかけに百貨店の不動産業化が加速することは間違いない。髙島屋やJ・フロントリテイリングなど百貨店業界の勝ち組と言われるところは、いずれも店舗の一部をテナントに貸すなど不動産収入の比率が高い。
しかしこの路線を極端に進めていけば、全国のショッピングセンターのように同じようなテナントばかりが入っているという状況になりかねない。そうなれば百貨店の魅力は一段と薄れていく。
コロナ禍により、デジタル社会は一層、身近になった。メタバース時代になれば、ネットでのウインドーショッピングも可能となる。その時リアル百貨店は何を売り物にしていくのか。そごう・西武だけではなく、すべての百貨店に突き付けられた課題である。