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食品卸のスペシャリストが描く「食品文化を売る」企業体とはープレコフーズ 高波幸夫

プレコフーズ社長 高波幸夫

プレコグループは食肉・冷食加工品などを扱うプレコエムユニット、野菜・果物のプレコヴイユニット、鮮魚・水産品のプレコエフユニット、サニタリーサービスのプレコサニオと、グループを統括するプレコフーズから成る。一都三県約2万7千軒の飲食店に生鮮3品(食肉・野菜・鮮魚)を、注文を受けた当日に届けている。文=榎本正義

プレコフーズ社長 高波幸夫
プレコフーズ社長 高波幸夫(たかなみ・ゆきお) 1958年東京都生まれ。米国ブルックスカレッジ卒業。83年鳥利商店(プレコフーズの前身)に入社。94年に社長に就任し、プレコフーズへ組織変更。それまでのメーン事業だった小売りを辞め、飲食店卸に転換。町の鶏肉販売店から飲食店卸のトップランナーになった。

首都圏で圧倒的な強さを誇る新鮮食材のスペシャリスト

プレコフーズ社長 ベイセンター
国内最高クラスの衛生設備を備える加工・物流センター。
写真は6つあるセンターの1つ、東京ベイセンター

 プレコフーズは、新鮮食材のスペシャリストだ。顧客数は約2万7千軒、東京都内だけで約2万軒。都内には飲食店が約8万9千軒あると言われるので、そのうちの約22%、5軒に1軒がプレコグループの顧客という計算になる。ちなみに区ごとのシェア率トップ5は、渋谷区が49・7%、目黒区48・9%、世田谷区36・8%、港区33・8%、千代田区27・4%。渋谷区と目黒区は2軒に1軒が同社の顧客で、渋谷ヒカリエの飲食店契約率は86・6%と圧倒的な強さを誇る。

 髙波幸夫氏が入社した1983年当時の年商は8千万円ほど。それが今や200億円に迫ろうという規模まで成長した。

 始まりは髙波氏の父・利夫氏が東京・品川区大井に創業した鳥利商店。その後、戸越銀座商店街に移転するが、言わば町の食肉専門店だった。

 「1階が店で、2階が住居。私も小さい頃は、店で鶏の解体を手伝ったものです。でも家業を継ぐのは嫌だったので、日本の大学を3カ月で中退すると、アルバイトでお金を貯めて渡米。ファッションマーチャンダイジングを専攻し、いずれはニューヨークでファッション関係の仕事がしたかった」

 髙波氏は当初、働きながら学校に通うが、学業に付いていくのも大変だったので、父親に「今度はちゃんと卒業するし、帰国したら店を継ぐから学費を援助してほしい」と、その場しのぎの手紙を書いた。この申し出は受け入れられ、無事卒業できたが、しばらくすると利夫氏から帰国要請が舞い込む。しかも以前幸夫氏が書いた手紙まで添えられていた。

 「泣く泣く日本に帰ることになりました。その後、父の下で11年働きましたが、米国の学校まで出て英語も話せてファッションビジネスのことも分かっているのに、自分はここで何をしているのかと悶々とした毎日でした。仕事は頑張ってはいましたが、やはりもう一つ気持ちが入っていなかったのだと思います」

 94年、社長に就任することになったが、前年の93年、事業の柱である小売りの1日の売り上げは1万8千円まで低下。また、商店街の肉屋のため、人材獲得には大苦戦していた。そんな中で、若い人が集まるようにとまず手掛けたのが社名・組織の変更だった。「食肉店を継ぐのではなく、食品文化を売る」(髙波氏)。プレコフーズのプレはPRESIDENTS(社長たち)、コはCOOPERATION(協同体)。社長たちの協同体としての〝社長会〟を作りたいと願い命名した。

 続いて、落ち込んでいた小売りを一切やめて卸売りに特化することにした。より大きな飛躍をするために、究極の安売りを提供するのか、高品質かつ安全性の高い高付加価値の追求をするのかという選択肢のうち、後者が社会のニーズ、髙波氏の考え方に合っていると考え、衛生設備を整えるため大型投資を時代に先駆けて断行。「安全・品質・鮮度を追求」した食品を扱うことを理念に掲げ、国内最高クラスの衛生管理システムを完備した。また、1軒当たりの納品量は少なく単価は低くなるが高収益が見込め、競合も少なく、市場規模ではチェーン店より個人経営の小規模な飲食店の方が多いため、個店をターゲットに事業展開していった。

過去最高売り上げ達成後に襲った〝コロナショック〟

プレコフーズ社長 配送車
独自の流通システムで注文食材は即日納入

 食の安全に対する需要の高まりも追い風となり、その後は毎年15~30%の伸び率で成長を続け、コロナ禍前の2019年3月期連結売上高は192億円。過去最高の数字を達成し、一段の成長への期待を高めていたところに新型コロナに見舞われた。政府・自治体による飲食店への時短営業要請で、当時2万4千軒ほど抱えていた取引先のうち、約5千軒を休業や閉店で失った。プレコフーズの売り上げも20年4月は前年同月比6割減、5月も同5割減と大幅減少を示し、経営は大打撃を受けた。

 しかし、髙波氏は「今こそ新規開拓だ」と逆境をはねのける決断をし、飲食店からは「こんなときにも来てくれるのか」と想像以上に好評だったという。多くの食品卸は飲食店からの注文が減ったため、配送頻度を毎日ではなく、2~3日に1回程度に下げ、注文も一定量以上に限って受け付けるようになった。だがプレコフーズは、もともと配送希望日当日の午前1時まで注文を受け付ける仕組みで、金額も1千円から可能、しかも配送料無料のまま。結果的にプレコフーズの優位性が一気に高まった。さらに顧客の要望に応じて食材の加工や味付けも請け負う。コロナ禍で5千軒失った納入先の数は、今や以前を上回る水準となっている。

 「食肉の納入先に、野菜や果物、鮮魚や水産品、そして害虫・害獣駆除、店舗・厨房清掃などのサニタリーサービスを行う多層階に渡るサービスを提供しています。今後も首都圏をさらに掘り下げ、顧客数を積み上げていきたい。飲食店だけでなく、病院や高齢者福祉施設、学校などの法人顧客の開拓や、安心安全で鮮度を追求した食品を一般の方にも楽しんでいただけるBtoCのEC事業、小売り事業も計画しています。将来的には50億、100億の売り上げとなる当社のもう一つの柱となるような事業にしたい」と髙波氏は意気込む。EC事業では既に宅配の「プレコグループ卸直送便」が稼働中。22年度中には、さらなるバージョンアップを目指してシステムの開発を進めている。小売り事業については、現代の消費者ニーズに合わせたリアル店舗を計画中。現在出店エリアや商品ラインナップなどを選定中とのこと。

 7年後の29年度にはグループ売上高合計で400億円を目指しているというプレコフーズ。会社のロゴマークは緑の1本の幹(プレコフーズ)の周りを枝と葉(グループ各社)が囲む形になっている。社長就任時に髙波氏が思い描いた、社長たちの協同体としての〝社長会〟も、今やしっかり地に根を張っている。今後はBtoCでも展開するので、同社の名前はより身近になるはずだ。