経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

「絶好調の時ほどチャレンジする」50周年を迎えたアルペンの理念 ‐アルペン 水野敦之

水野敦之・アルペン

アルペンは1972年のスキー用品専門店としての創業から、ゴルフ、アウトドア、テニス、サッカー、野球、バスケなどさまざまなスポーツ用品を取り扱ってきた。2000年に入社して以来、創業者である父の背中を追ってきた水野敦之氏は16年に社長の座を引き継いだ。これまでの経営で大事にしてきた理念と、今後の戦略について聞いた。構成=萩原梨湖 Photo=横溝 敦(雑誌『経済界』2022年8月号より)

水野敦之・アルペン
水野敦之 アルペン社長
みずの・あつし 1977年生まれ。法政大学経済学部卒、早稲田大学大学院経営管理研究科修了。2000年4月アルペン入社。14年9月取締役就任、常務、専務と昇格。この間、デジタルマーケティング部長、マーケティング本部長などを歴任。16年に社長に就任した。

「スキーのアルペン」のイメージを払拭

―― アルペンは今年創業50周年を迎えましたが、それに合わせるように旗艦店「ALPEN TOKYO」(東京・新宿)が4月にオープンしました。これまでの手応えはいかがですか。

水野 やってよかったと思います。多くの情報番組で取り上げていただいたこともあり、想定を上回るお客さまがいらしてくださっています。また取引先さまからもとても大きな反響をいただきました。

―― 従来の店舗との違いはありますか。

水野 当社は郊外に多くの店舗がありますが、そことは客層が全く違います。10代~30代の若年層のお客さまや女性のお客さまの比率が増えています。売れ筋も違います。これまで新店をオープンする時は低価格なお値打ち品を厚く揃え、それが飛ぶように売れていきました。ALPEN TOKYOでも同じように用意したのですが、郊外型店舗に比べると動きが鈍い。それよりも「THE NORTH FACE」のキャンプ用品など、他ではあまり扱っていない商品がオープン直後に売り切れ続出しました。これ以外にも、他の店では入手しにくいものの反応が非常によくなっています。

―― この店は50周年を記念して企画されたものなのですか。

水野 偶然です。たまたまオープンが重なりました。都心店の検討自体は数年前から始めていましたが、希望の条件に合うところがなかなか見つからず、昨年の8月にやっと話が進みだし、11月に決定しました。

―― 今までは郊外中心に店舗を構えていましたが、都心に出店しようと考えた理由は何ですか。

水野 都心におけるシェアが低い、というのが一番の理由になります。競合店と比較したときに都心のシェアが低く、東京、神奈川あたりには出店してこなかったため伸びしろがあるなと感じました。

 また、アルペンに対するイメージと、売り上げ構成比の実態におけるギャップを払拭したいという思いもあります。アルペンはもともとスキー用品の会社だったため、アルペンと聞くと、皆さんスキーやウィンターといったイメージを浮かべると思います。しかし、現状はスキーとスノーボードを足しても全体の売り上げの3%程度しかない、というのが実態です。

10年間赤字続きだったゴルフが今では大黒柱に

―― スキーで業績を伸ばしてきたにもかかわらず今では売り上げが3%とおっしゃいましたが、ある意味ですごく変化のある業界にいる、ということですね。そんな中で創業から50年間続いてきた理由とは何でしょうか。

水野 絶好調の時ほど挑戦をしてきた、というのが理由です。ゴルフ用品専門のゴルフ5という業態がありますが、これは1983年、スキー絶頂の時代に一号店をオープンしました。アルペンというブランドしかなく、ウィンタースポーツが売り上げの80~90%を占めていた時代です。現在はアルペングループの売り上げ構成比35%をゴルフ5が占めていますが、実はオープンして以来10年間は、ずっと赤字だったんです。赤字が続いていたにもかかわらず、やり続けたお陰で、今では200店舗近くまで拡大し、会社を一番けん引する業態となりました。

 さらに、97年にはスポーツデポの業態をスタートさせました。スポーツデポは、売場面積900~1200坪のあらゆるカテゴリーのスポーツ用品を取り扱う大型店舗で、当時の主力業態であった300坪のスキー用品を取り扱うアルペンとは全く異なる業態です。これも、ウィンターの需要が続き、ゴルフ市場も徐々に拡大している中での挑戦でした。

 2018年にはキャンプ用品を主力として取り扱うアウトドア業態をアルペンアウトドアーズとしてスタートさせました。登山や山系を扱っている競合他社はあったのですが、キャンプ用品のみでシェアを取っている企業はなかったので、そこに目を付けました。

―― ゴルフ5は最初の10年間ずっと赤字で、しかも10年代に入ってからはゴルフ市場は小さくなっていきました。右肩下がりの市場にもかかわらずよく続けてきましたね。

水野 それは、父の強い信念によるものですね。創業者らしいといいますか、すごく尊敬している部分でもあります。

―― 新しい業態のチャレンジは、ボトムアップで上がってくるものなのでしょうか。それともトップダウンなのでしょうか。

水野 ゴルフに関しては父のトップダウンです。しかし、アウトドアに関してはボトムアップです。現場の方から、こういうことをやったらいいんじゃないかという提案がありました。

 アルペンアウトドアーズの一号店は、愛知県の春日井にあるのですが、もともとはスポーツ用品を取り扱うアルペンだった店舗です。当時アルペン春日井店の業績は右肩下がりで、このままいくと閉店も考えなくてはならない状況でした。しかしアルペンは愛知県に本社がありますし、春日井店は郊外での大型店展開の象徴となるような思い入れのある店舗です。このまま閉めてしまうのはもったいないし、どうせ閉めてしまうのだったら何かしたい、という思いを社員一同持っていました。そんな中、現場から、700坪の春日井店でキャンプオンリーの業態をやってみよう、という声が上がり、キャンプ需要が高まる18年、アルペンアウトドアーズ春日井店はオープンしたのです。

時代の方向性を見据え正しい変化を起こす

水野敦之・アルペン2
水野敦之・アルペン2

―― 水野さんが社長に就任したのが16年。就任時には赤字を経験していますし、人の削減にも着手していますね。就任からの6年間だけを見てもいろいろなアップダウンを経験されたと思いますが、どんな思いで経営をしてきましたか。

水野 やはりかつての〝挑戦のスピリット〟を取り戻したい、という思いですね。就任時は、もちろんみんな一生懸命やっていましたが、世の中がものすごいスピードで変化する中、やっている中身や方向性が時代にそぐわなかったり前例踏襲が多かったりで、全くスピードについていけていませんでした。父が創業したため幼少期から勢いのある会社を見ていましたが、当時と比較すると今のアルペンはおとなしいというか元気がないと感じていて、どうにか過去の栄光を取り戻したい、という思いが社長就任前からありました。会社を正しい方向に導いていくために新しい挑戦をしよう、と決心し、まずは会社のビジョンと戦略の見直しから手を付けました。当時弊社ではマスマーケティングが主流でしたが、デジタルマーケティングに変え、顧客の個別化を図るとともに、デジタル化に舵を切りました。あとは、出店場所を郊外ではなく中心部やショッピングセンター内に増やしたり、物流、システム、人材教育、評価基準などあらゆることの見直しを並行して行ってきた6年間でしたね。

―― 一番大変な決断は何でしたか。

水野 それはやはり早期希望退職ですね。もちろんすんなり全員一致で賛成、というわけにはいきませんでした。受け入れてもらうために何度もやり取りを繰り返しましたね。

―― 人員の是正は前から考えていたのですか。

水野 そうですね。当社はバブル期に大量採用したこともあり、年月がたつにつれ、社員構成比で上の年齢層が増え、若手が前に出にくい状況になっていました。それでも早期希望退職は最終手段と考えていましたが、収益の改善と世代交代を図るため、実行せざるを得ない状況だと判断しました。

―― 早期希望退職や、不採算店の閉店など、後ろ向きの施策を終えて、攻めに転じるまでの期間というのはどれぐらいだったのでしょうか。

水野 2、3年です。後ろ向きの施策はたくさん行っていましたが、もちろん前向きの施策も並行して行っていました。例えば、私が社長就任の直前に作った、ゴルフ5プレステージという業態があります。こちらのお店では高級品や希少アイテムを取り揃えるとともに、お客さま一人一人に合わせたゴルフ用品をカスタムしフィッティングすることで、ゴルフ5とはまた違った手ごたえを感じていました。日本橋に一号店を出し、現在は全国に5つの店舗を構えています。

 その他の取り組みでいえば、EC売り上げを拡大するために物流部門への投資を継続的に行っています。モール型EC(楽天、アマゾン、ヤフーなど)への対応だけでなく、自社ECの拡大のためにアプリ開発や物流倉庫の拡充、ロボットの導入を行い、効率化を進めるとともに売り上げ成長を続けています。

 ここ4年間だけを見ても、新業態のアルペンアウトドアーズ、ゴルフ5プレステージが市場に受け入れられるとともに、投資を続けているEC事業の売り上げは前年比150%を毎年クリアしており、やってきたことが結果に結び付くことを実感できるようになりました。社員にも自信がついて、少しずつ顔つきが変わってきたように感じます。