日本電産の永守重信会長は、今や日本を代表する経営者。買収先の会社の業績を次々と立て直す手腕は「永守マジック」とも言われている。そんな永守氏が唯一、思うようにいかないのが後継者の育成だ。果たして眼鏡にかなう後継者は現れるのか。文=経済ジャーナリスト/小田切 隆(雑誌『経済界』2022年9月号より)
わずか10カ月でCEOを退任した日産出身社長
「永守リスク」。モーター大手、日本電産をめぐり、こんな言葉がささやかれている。創業者で会長兼CEO(最高経営責任者)である永守重信氏の後継者がなかなか決まらず、永守氏が突然退場しなければならなくなった場合の経営リスクが小さくないことを指したものだ。4月には、日産自動車出身の関潤氏からCEOの座をわずか10カ月で取り戻し、復帰。これまでも外部から招いた後継者候補を次々に“不合格”としてきた永守氏の眼鏡にかなう人物が果たしているのか、注目される。
「関はまだ見習い。いま一生懸命教えている」
6月17日、京都市のホテルで開かれた定時株主総会で、後継者問題に関し、永守氏はこう語った。
「逃げない限り、彼は後継者として育つだろう。逃げたらパーだ。その時は、(後継者の座を)プロパーに渡す」
総会後の記者会見でも、後継者問題に関し、永守氏は辛口のコメントを口にした。
関氏は日産自動車で一時、社長候補の一人と目されていた人物だったが、日本電産に移って2020年4月、社長に就任。21年6月、永守氏からCEOを引き継いだ。
世界的なモーターメーカーである日本電産は、永守氏が1973年、京都市で創業した。同社のホームページには、「『世界一になる!』この思いのもと、社員4名、小さなプレハブ小屋から日本電産はスタートしました」とある。
早くから米国や欧州、アジアに進出し、積極的なM&Aで規模を大きくしてきた。永守氏自身、「1年間のうち、元日の午前中しか休まない」という猛烈な働きぶりで知られる。
同社は最近、電気自動車のモーターなど、自動車に搭載する部品に力を注いでいる。永守氏が関氏をCEOの座に就けたのは、世界的な自動車メーカー、日産で技術畑を歩んだ関氏の手腕を見込んだからだ。
関氏のCEO就任が正式に決まったのは、2021年6月22日の株主総会と、その直後の取締役会でのことだった。
「日本中の経営者を探しても、これ以上の人物はいない」「(関氏と)二人三脚で成長へ努力していきたい」。株主総会で永守氏がこう持ち上げると、関氏も「非常に緊張している」と表情を引き締めた。
関氏は既に社長として車載モーター事業を主導し、21年3月期決算で増収増益を達成しており、永守氏の期待は高かった。
しかし、CEO就任から1年もたたずに、関氏の立場は暗転する。
22年に入ると、永守氏と関氏の間に不協和音が起きていることが、メディアで報じられるようになった。
1月下旬、海外メディアが「永守会長が関社長に失望感」という記事を配信。事情に詳しい複数の関係者の話として、永守氏が車載モーターが不振であるとの認識を示しており、経営力が低い人物をトップに据えたのは永守氏自身の判断ミスであり、外部からの人材を後継者に据えること自体が甘い考え方だったとみていると記されていた。
直後のオンライン決算記者会見で永守氏は、報道で書かれている内容を「三流週刊誌みたいなこと」と批判し、否定。海外の出張先から会見に参加した関氏も「永守経営とは1ミリもずれていない」と、不協和音があるという見方を打ち消した。
しかし、報道の内容が事実であったことは3カ月後に明らかになる。日本電産は4月21日、突如として関氏のCEO退任と、代わりに最高執行責任者(COO)に就任することを発表したのだ。
記者会見には永守氏と関氏がそろって登場し、「公開処刑」とも評された。
永守氏は「1年でCEOを渡したのは早すぎた。反省している」「創業者としてすべてを知りつくす私が指揮をとり、業績を改善する」と発言。苦悩の表情を浮かべた関氏は「闘志は衰えていない」としつつ、「正直、悔しい」「日本電産のような特徴のある企業に、外から入る難しさを感じた」と声を絞り出した。
実は、この日発表された日本電産の22年3月期決算は、売上高が前期比18・5%増の1兆9181億円、本業のもうけを示す営業利益が7・2%増の1714億円と、いずれも過去最高を更新している。
しかし、鋼材価格の高騰を価格転嫁できなかったことなどから、業績の拡大は永守氏の求めていた水準には達していなかった。
また、1年前には1万2千円~1万4千円台だった日本電産の株価が、8千円台で低迷。「今の株価は耐えられない株価だ」と会見で話すなど、永守氏は不満だったようだ。
永守氏は6月17日の記者会見でも「(関氏が出身の)日産は緩い会社だ。一番厳しいのはトヨタ自動車。競争に勝つには、リーダーは狼にならなければ」と関氏を批判。わずか1年足らずで関氏に“不合格”の烙印を押した永守氏に対し、業界周辺からは「厳しすぎる」との声も上がった。
眼鏡にかなわなかった4人の「永守後継者」
後継者候補と目された人が永守氏に“切られた”のは、関氏が初めてではない。この10年間で後継者候補とされたのは、関氏を含めて合計4人。いずれも、その道を全うすることはできなかった。
永守氏は6月17日の会見で次のように語っている。
「次に継いでもらう人には、一番に私の『イズム』を体得してもらわなければならない。今までやめた人は、私の考えを理解できなかった。私から首を切ったわけではない」
4人のうち1人目は、日産の部品子会社カルソニックカンセイ(現マレリ)の社長をつとめ、同社の経営を立て直した呉文精氏だ。それ以前には米GE子会社の社長なども務め、コスト削減の得意な「プロ経営者」と評価されていた。
その手腕に目を付けた永守氏が日産幹部へ根回ししてまで引き抜いた呉氏は、13年6月に日本電産の副社長に就任。しかし、15年9月には日本電産を退社することになった。
同年10月の会見で永守氏は「業績が上がっていれば、辞めることはなかった」「世の中に良い人材がいると思ったのは錯覚だった」「よそから良い人を持ってきて業績を上げようという安易な気持ちを持ってはいけないという戒めだ」と厳しく指摘。
その後、呉氏がルネサスエレクトロニクスの社長に就任するも解任されたことを念頭に、今年6月17日の記者会見で永守氏は「呉は日本電産をやめたけど、次の会社でも首になっている」と非難した。
候補に上がった2人目は、シャープ元社長の片山幹雄氏だ。
片山氏は07年にシャープ社長に就任し、主力の液晶事業に対し積極的な投資を行ったものの巨額の損失を出し、経営危機を招く。そして12年、シャープ社長を引責辞任した。永守氏は片山氏の技術者としての知見と経営者としての経験を見込みスカウト。14年10月、新設した副会長ポストに就けた。だが結局、片山氏はCEO職に就くことなく、最終的に日本電産の特別顧問になっている。
3人目は、永守氏が創業以来、初めて社長の座を譲った吉本浩之氏だ。吉本氏は、日商岩井(現双日)、日産自動車などを経て15年に日本電産へ入社した。永守氏が副社長だった吉本氏を社長に抜擢したのは18年6月で、吉本氏は当時まだ50歳。永守氏はその自動車部門での業績改善の手腕を評価し、「若い人に(社長の座を)渡したいという強い思いがあった」とも語った。
しかし結局、永守氏は会長職と兼務し続けたCEO職を吉本氏に譲ることなく、20年、副社長に降格。社長の座は、同じく日産出身の関氏が奪う形になった。
そして、今回の関氏の降格劇。外部から招かれた人材が永守氏から
“合格点”をもらえない実例が、また増えることになった。
だが、日本電産にとって良くないのは、今年4月に永守氏がCEOに復帰した後も7月上旬に至るまで、株価が7千~8千円台で低迷したままということだ。永守氏の復帰に市場があまり大きな期待感を寄せていないことを意味している。
一つは、永守氏が7月時点で77歳と高齢であることが理由だ。いかに一代で世界有数のグローバル企業を築き上げたカリスマとはいえ、経営の舵取りを続けていくのは精神的にも肉体的にもきついだろう。
そして、関氏の降格劇は、依然、日本電産が永守氏ひとりの意思だけに左右される「永守商店」であることを示した。突然、永守氏が経営から退く事態になれば、日本電産の経営がピンチに陥るのではないかとの連想が働くのは当然だ。
永守氏は、関氏が育てば、再びCEOの座に就けるとしているが、長年の後継者問題に本当にケリをつけることができるのか、これから数年が正念場となる。
辞めたくても辞められないカリスマ経営者の悲哀
ところで、カリスマ経営者が率いる大企業が後継者問題に悩むケースは、日本電産だけではない。
世界中でカジュアル衣料品店「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングの実質的な創業者である柳井正会長兼社長も、誰を後継者に選ぶのか注目されてきた。
2002年には社長の座を玉塚元一氏(現ロッテホールディングス社長)に譲ったものの、業績を思うように上げられなかったことを理由に玉塚氏を解任し、05年9月、社長に復帰した。柳井氏は現在73歳。取締役には長男と次男がついており、2人の存在が後継者問題にどう影響してくるのかが注目される。
このほか、孫正義会長兼社長が1981年に創業したソフトバンクグループ(SBG)も後継者問題が焦点だ。60代で経営を後継者に任せるとしてきた孫氏も7月時点で64歳。米グーグル幹部だったニケシュ・アローラ氏を招き、一時は後継者であると公言していた。しかし、結局アローラ氏がSBGのトップを譲られることなく、短期間でSBGを去っている。
古くから「創業は易く、守成は難し」という。「事業を始めることは簡単だが、守り続けていくのは難しい」という意味だ。うまく人材を見つけ出し、自分の会社の「守成」につなげることができるのか。永守氏をはじめ「スーパー経営者」たちが“最後”に手腕を発揮できるのか、注目される。