経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

脱百貨店後の未来は2勝8敗の組織でつくる J.フロント リテイリング 好本達也

好本達也 J.フロント リテイリング

2007年に百貨店の大丸と松坂屋が統合して誕生したJ.フロント リテイリングは12年にはパルコを子会社化するなど、小売業界で存在感を発揮してきた。20年以降はコロナ禍で苦境に立たされるが、その中で脱百貨店後の未来図を模索する。かつての「小売りの王様」はどんな姿になっていくのか。聞き手=和田一樹 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2022年11月号より)

好本達也 J.フロント リテイリング
好本達也 J.フロント リテイリング社長
よしもと・たつや 1956年、大阪府生まれ。79年に慶應義塾大学を卒業後、大丸に入社。2003年札幌店婦人服部長。08年同社執行役員東京店長。10年3月の大丸松坂屋百貨店発足と同時に経営企画室長に就任。12年同社取締役を経て、13年同社社長。持ち株会社のJ.フロント リテイリングでは13年取締役、20年5月から現職。

売り上げ3700億円消失。コロナ禍での社長就任

―― 2020年5月、コロナウイルス感染拡大下での社長就任でした。休業要請があり、業績に大きな打撃を受けています。今年度になって、月々の収益を見ると前年比では回復基調ですが、先行きをどのように見ていますか。

好本 大丸松坂屋もパルコも数字だけを見ればそのようになっていますが、このまま一直線で回復していくとは言えません。社長に就任してから、ずっとコロナ対応を強いられました。コロナ禍の1年目には、当社グループの売り上げが約3700億円も消失しました。今までにない状況で、何とか出費を抑えて守りを固め、売り場の改装投資などはストップせざるを得ませんでした。

 コロナが2年半以上続き、新しい暮らしが見え始めました。ここからギアチェンジをして攻めに転じます。コロナ禍は、10年後の変化を前倒しにしたととらえ、新しい戦略を定着させていく必要があります。具体的に言えば、アプリによるタッチポイントのデジタル化などでOMOを充実させ、お客さまの体験価値最大化を目指す「リアル×デジタル戦略」、全国主要都市に展開する大丸松坂屋とパルコを軸に、都市の資産を生かす「デベロッパー戦略」、ラグジュアリーコンテンツなどで国内のニューリッチ層、アジアの富裕層への対応強化を目指す「プライムライフ戦略」の3つです。

―― コロナの影響は大きかったと思います。しかし、一時インバウンドの盛り上がりがあったとはいえ、百貨店業界の売上高は1991年度の約9兆7千億円をピークに減少に転じました。79年に大丸に入社された好本社長は、長期的な苦戦の要因をどのように見ていますか。

好本 大丸での経験を中心に感じたことで言えば、百貨店が苦戦した一番の問題は前年主義でドラスティックな改革から目を背けていたからだと思います。百貨店という業態は、店舗を増やすことが簡単にはできません。売り上げや収益を伸ばすためには、一つ一つの店舗で数字を積み上げることが基本です。

 そうして前年の数字に固執する文化が浸透した結果として、前年通りにやることをいったん是認した上で、そこからプラスマイナスを考えるという発想に陥っていました。ですから、オペレーションを見直して少人数での運営を検討するにしても、前年この組織は100人だったとなれば、せいぜい90人でやろうかという発想になってしまう。どうしたって30人でやろうという発想にはならないわけです。もちろん、本質的な課題は、お客さまの変化に対応しきれていないこと。そして、組織や店舗運営の非効率性に原因はあったわけですが、さらなる背景にはこうした大きな要因があったのです。

―― 前年主義の深刻さを実感した経験などありますか。

好本 逆に前年主義を打破することで成功した経験を通じ、そうした思いは強くなりました。2003年の大丸札幌店のオープンと07年の大丸東京店の移転オープンです。この2つの店舗では、それまでの常識にとらわれない組織設計に成功し、その後の手本となりました。

 中でも札幌店は、ゼロからの出店でした。私は00年に、札幌店開設準備室部長となり新規出店に着手しました。大丸はそれまで東京店が最北端でしたから、まさに大丸にとっては未開の地での新店準備です。当時の大丸は、1997年に社長に就任した奥田務さんの下で、ビジネスモデルの大転換に取り組んでいました。総じていえば、人員や店舗運営のオペレーションなど、あらゆる面で圧倒的なスリム化を行っていたのです。札幌店は新店ゆえにしがらみが少なく、以前ならば社員800名体制のところを、思い切って400名で運営する組織にしました。

 こうして札幌店は順風満帆を絵に描いたようなスタートを切り、私は2004年に東京店の準備室に異動しました。大丸東京店は東京駅に直結した抜群の立地ながらも苦戦を強いられている状況で、移転を機にリニューアルするプロジェクトが立ち上がっていました。プロジェクトは、実際の店舗メンバーとは別組織で進みました。現状の店舗のメンバーが関われば、必ず前年主義の発想が持ち込まれるからです。東京店は、札幌店の成功を土台に、百貨店の顔ともいえる1階に食品売り場を展開するなど、さらに「進化」を加えました。

 札幌店と東京店はその後の大丸をけん引する店舗に成長しています。既存のやり方はご破算にする思い切った挑戦をすれば、まだまだ百貨店はやれると実感した経験でした。

グループの転換点になった銀座の大型プロジェクト

好本達也 J.フロント リテイリング2
好本達也 J.フロント リテイリング

―― 好本社長が大丸東京店の改革に着手されている間、07年に大丸と松坂屋が経営統合しJ.フロント リテイリングが誕生しています。グループ体制になってからで言えば、大丸の札幌店や東京店のような象徴的な経験は何がありますか。

好本 やはり17年にオープンしたGINZA SIXです。私は当グループが百貨店業界にポジショニングしているとは考えていません。脱百貨店という問題意識は、少なくとも15年以上前からありました。そういう意味で、百貨店の名を冠する施設ではなく、全フロア定期賃貸借契約で運営することでまさに脱百貨店を地でいったGINZA SIXは、シンボリックな挑戦でした。

 その後、19年に大丸心斎橋店がリニューアルした際、売り場の約65%を定期賃貸借契約で展開しています。GINZA SIXの定借モデルと従来型の百貨店モデルの組み合わせ、先々を見て百貨店の成長分野は自前で運営する新しいモデルです。外観や内装も、昔の百貨店の良さを残しながら先進性も取り込むことに成功しました。百貨店の姿が変わっていく、大きな転換点でした。

―― 歴史のある2つの百貨店が統合して生まれたJ.フロント リテイリングですが、脱百貨店を進めた時、これから何屋になっていくのでしょうか。

好本 外部環境の先行きが不透明なことも相まって、こんな時代だからこそみんなが希望を持てるようなグループの将来像をしっかり思い描くことは、社長の大きな役割だと考えています。

 正直申せば、今の時点でこれからどんな姿になるか明確に言語化できているわけではなく、必死で考えているところです。ただわれわれには、大丸時代から社是として掲げ続けてきた「先義後利」という言葉があります。義を先にして利を後にする者は栄えるという考え方です。この社是や『くらしの「あたらしい幸せ」を発明する。』というビジョンを最上段に置き、そこに連なる経営方針や事業戦略を描くことで、進むべき道は明らかになるはずです。

―― 先義後利は現代でも有効な考え方でしょうか。義理が先立ちすぎて、一方的なサービス過剰になったりしないのでしょうか。

好本 先義後利は、まさに今、当社グループが中核に据えるサスティナビリティ経営を示す的確な言葉です。事業活動を通じて社会課題の解決を実現する「共通価値創造(CSV)」とは、当社グループの社是を愚直に実践することに他ならないと考えています。

 昨今パーパス経営が流行っていて多くの企業がパーパスやビジョンを制定していますが、当社には必要ありません。大丸が大事にしてきた先義後利や、松坂屋が大切にしてきた、「諸悪莫作、衆善奉行」(諸悪を犯すなかれ、善行を行え)の精神は、絶対に間違いのない不変の真理であるはずです。

個人の内発的動機がグループ成長の芽を生む

―― これからグループの未来を形作っていくため、成長の芽をどこに見いだしていますか。

好本 やっぱり人でしょうね。特にグループの10年後、20年後を支えるのは誰なのかを考えれば、20代、30代が失敗を恐れず新しい事業やトライを積極的にできる環境を生み出していかないといけません。

 人材に対する投資の目指すべき姿は、2勝のために8敗できる体制づくりです。当グループは、大丸と松坂屋の統合で誕生しましたし、12年にはパルコを連結子会社化しました。それぞれで新規事業に取り組んできた結果として、既存事業のイノベーションや新規事業の開発に取り組むための機能を、グループ内でいくつもの部署が分業している状態になっていました。

 そこで、今年の3月に再成長への挑戦を後押しする部署をホールディングスに集約しました。投資枠も100億円規模で設定しています。やはり8敗しないとなかなか新しいものは生まれてこないわけです。こうした体制で挑戦を後押しし、その中で生まれる2勝で組織に成長への意識を植え付けます。

―― これからのグループや、日本社会を支える若い世代に、どんな言葉をかけますか。

好本 今年の入社式で新入社員に向けて言ったのは、終身雇用やメンバーシップという言葉は、当グループにはもうない。入社したらすぐに戦力として見るし、そういう機会も与える。昔のように長い年月をかけて一人前の大丸人とか松坂屋人とかパルコ人を育てるなんて考え方はないから、皆さんも自分のやりたいことを見つけ、どんどん挑戦してほしいという言葉でした。

 若者たちはぜひ思ったことを、どんどんとやってほしい。若いうちから自分の内発的動機を積極的に表に出すトレーニングを続けるべきです。人から指示されるのが当たり前になれば、その習慣が抜けなくなってしまう。自分の中から湧いてくる気持ちが明らかになったら、若いエネルギーの中で思い切ってトライしてほしい。そう思います。

―― 好本社長ご自身はどんな若手だったのですか。

好本 外部環境の話で言えば、自分はすごく恵まれていました。1979年に大丸に入社してから約20年間を心斎橋店で過ごしましたが、特にその前半の10年間は日本がバブル経済を駆け上がっていく時代です。極端に言えば、何をやってもうまくいきました。思い返せば、やりたいことをどんどんやっていましたね。

 ただ、もっと歴史をさかのぼれば、大丸も松坂屋も、300年前、400年前に創業した時は、恐らくみんな型破りな存在だったはずです。もちろん現代のコンプライアンスは大事ですが、そうした気風は忘れずに、みんなが熱量を発揮できるグループにしていきたい。

―― まだまだコロナは見通しが立ちません。経済の見通しも明るいとは言えず、業績回復には大きな力が必要です。

好本 前社長の山本良一さんが常に言っていたのは、「われわれのやっていることを聞かれたら、包み隠さず話したらいい。われわれのやり方はわれわれにしかできないから」という言葉でした。実際に大丸の札幌店も東京店も、どんな改革をやったのかすべてをオープンにしました。

 私もその言葉に強く同意します。われわれには、血のにじむような努力をして磨き上げてきた企業風土があります。大丸が、松坂屋が、パルコが、それぞれ積み重ねてきた経験は、必ずグループの強みになります。それら無形の資産は、売り場と人材に残っている。だからこれからのJ.フロント リテイリングは必ずやれる。そう信じています。