経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

リーダーの資質とは夢を語って諦めないこと ハイデイ日高 神田 正

神田正 ハイデイ日高

神田正 ハイデイ日高
神田 正 ハイデイ日高会長
かんだ・ただし 1941年生まれ。埼玉県入間郡高萩村(現日高市)出身。55年高萩中学校卒業、15ほどの職業を転々とし、22歳ごろ働いたラーメン屋で商売の面白さに目覚める。ラーメン屋の“雇われ店長”などを経て、73年に大宮北銀座で5坪の店「来来軒」を開店、大ヒットさせ、多店舗化を推進した。78年有限会社日高商事設立、83年株式会社に改組。98年に現社名に商号変更。99年ジャスダック上場(現在は東証プライム市場)。2009年から会長。

聞き手=外食ジャーナリスト/中村芳平 Photo=横溝 敦(雑誌『経済界』2022年11月号より)

コロナ禍で売上高は4割減、赤字に転落

 400店舗以上の「熱烈中華食堂日高屋」を、首都圏の1都3県に集中展開するハイデイ日高の2020年2月期の売上高は422億円と過去最高を記録した。同社は「首都圏600店舗」構想を掲げ、多店舗化を推進しようとしていたが、そこをコロナ禍に襲われ、21年2月期の売上高は295億円と激減、営業損益は27億円の赤字となった。さらに22年2月期の売上高は264億円、営業損益は35億円の赤字。ただし、まん延防止措置による時短要請協力金が約60億円入り、最終損益は15億円の黒字だった。

 「当社の強みは、中華食堂に『チョイ飲み』という居酒屋の要素を加えたところにあります。当社の売上高に占めるアルコール比率は17~18%と高く、同業他社の2~3倍あります。この強みがコロナ禍では時短営業、アルコール提供休止となり、かえって弱みになってしまい、予想外の減収減益に追い込まれました」(神田正会長)

 この危機に神田会長は創業者として責任を覚えた。「業績をV字回復させなくては引退できない。もう3年頑張る」と、81歳ながらリーダーとして先頭に立つ。23年2月期は売上高375億円、営業利益18億円を予想。V字回復への第1歩を踏み出そうとしている。

 ハイデイ日高は「第二の創業」に挑戦する。これまで「日高屋」は首都圏の駅前繁華街に出店、長時間営業し1店舗で1億円売るビジネスモデルを構築してきた。しかし22年2月期までに出店する24店舗のうち、6店舖は「岩槻インター店」「小田原飯泉店」などロードサイド店である。これまでロードサイドに出店したことがなかったが、ファミリー層から若者、高齢者まで幅広い客層を呼び込んでいて売り上げも好調だ。さらにはロードサイドに加え1都3県から栃木県、茨城県などにも出店地域を広げている。

 「ローカルの駅近くの〝ポツンと一軒家〟のような場所にも『日高屋』を出しました。乗降客も少ないけれどライバルも少ない。地域の食のインフラの役割を果たしたことで、売上高も予想以上で推移しています。住民からも地域が明るくなり、安全対策にも良いと評判になっています。このようなポツンと一軒家戦略も展開していきます」(神田会長)

 これと真逆なのが池袋の交番近くに開業している深夜食堂。繁華街の水商売などで働いている深夜族に食事の場を提供することで人気化しており、今後、新宿、浅草などに展開する方針だ。

 このように神田会長は、V字回復を目指し次々と攻めの手を打っている。今年4月には、義弟である高橋均社長から、青野敬成新社長にバトンタッチするなど体制も一新した。以下、神田会長に「不確実時代のリーダー像」について尋ねた。

ネバーギブアップで挑戦を続ける

日高屋 赤坂一ツ木通店
日高屋 赤坂一ツ木通店

―― 神田会長が自分がリーダーであることを自覚したのはいつ頃のことですか。

神田 私は1973年に大宮北銀座でたった5坪の路面店「来来軒」を開業、明け方の4時まで営業し風俗店などからの出前注文で大繁盛、タクシー運転手をしていた3歳下の実弟の町田功を呼んで手伝ってもらいました。75年には最大の繁華街大宮南銀座に「来来軒」の2号店を開店、妹の夫で義弟の高橋均(後に社長、現相談役)を店長に就けました。78年には「来来軒」蕨駅前店を開店、この年37歳で結婚しました。実はこのころ兄弟の間で考え方はバラバラ。義弟は故郷の茨城に帰って「居酒屋でもやる」と言い、実弟は「これ以上大きくする必要はない」と反対します。

 私はそんな2人に対して3人で力を合わせてやれば10店舗以上店ができ、豊かになれると説得しました。当時私の趣味は大宮競輪。いつも赤鉛筆を耳に挟んで暇なときは競輪の予想、「儲かるから」と2人を競輪場にも連れて行きました。そんな私のことを信用できず、2人は最初は乗り気ではなかった。それを店が終わった後などに集まって、何度も何度も説得しました。私が諦めていたらダメだったと思います。結果的に2人は私の言うことを聞き入れてくれたのです。その時、私は3つのことを約束しました。①経理のオープン化②私の給料のオープン化③大宮から赤羽まで京浜東北線の駅に「来来軒」を開店して提灯でつなげること――これが現在の日高屋の原点です。

―― このような不確実の時代にリーダーに求められる資質とは何だと思いますか。

神田 私は社員に夢を語って諦めないことだと思いますね。戦後父が傷痍軍人で復員、私たち4人兄妹は母・なかがゴルフ場でキャディーをして育ててくれました。私は長男なので小学6年生からキャディーをして家計を助けました。村一番の貧乏でしたが母は村一番の働き者で明るい人でした。その母の口癖は「頑張れば大丈夫」。頑張って一生懸命やってれば必ずどこかにチャンスが出てきます。

 これは私が社員によく言うことですが、お客さまが「日高屋ができてよかった」と言ってくれれば絶対生き残れるし、利益は後からついてくる、と。中には一度閉店した店でも、施設のオーナーから「地域の人が日高屋が一番いいと言っているのでまた出てほしい」と言われ、再び出店したケースもあります。リーダーはネバーギブアップの精神で挑戦を続けることが大切だと思います。

―― 「一番仕事に真剣に取り組み、私利私欲のない人を後継者にする」と新社長に生え抜きの青野敬成氏を就けました。理由は?

神田 数年前に部長、地区長クラスを数名選抜し、私塾を開きました。そこで強調したのは「私利私欲を追うな!」ということです。「いい家に住みたい」「高級車に乗りたい」。一定の収入を超えると、そういうものはすべて手に入ります。問題はそこから先。自分の欲のために動くのか、それとも人のため、社会貢献のために働くのか。そこがリーダーに求められる資質だと思います。私はイケイケどんどんのところがあり、やり過ぎるきらいがあります。青野は攻めと守りのバランスが良く着実に目標を実現していくタイプで、人に好かれるところがあります。適任だと思いました。

―― トップとして日々何を心掛けていますか。

神田 出店には1軒3千万円、5千万円といった費用が掛かります。私は出店はトップの専管事項と心得て全部決めています。ひと頃は私が電車に乗って物件を見に行き、決めていましたが、最近では私の直属でグループを編成、毎日5人ほどで物件を探しています。そこから提案された物件をクルマに乗って見に行っています。昼間1回、夜は2回、合計3回ほど物件を見に行きます。競合するライバル店がどのくらい売っているかチェックします。

 市場が大きければ問題ないですが市場が小さいと共倒れする危険性があります。いろいろな角度から分析、検討し最後は私が「勘」で決めています。駅前繁華街ではずっとやってきたので勘が働きますが、最近では不慣れなロードサイドの物件も見ています。100%とはいかないですが、かなりの確率で成功します。今期はV字回復のためにも、スピードを緩めずにどんどん出店します。

社員に対して所有株を無償贈与

―― 社員の人心掌握術の要諦は何でしょう。

神田 社員は経営トップのことは私生活から何から何までつぶさに見ています。最後は人間性、人格が問われます。「この人だったら応援したい」と思われるようでないと、ダメだと思いますね。

 それと企業というのは社員、株主のものだと思います。当社の株価は上場時の時価総額が60億円、それが今は800億円になっています。これは社員を中心に、パート、アルバイトの人たちが一生懸命働いて株価を押し上げてくれた結果です。私は数年前に社員に4億円ほど、株を無償贈与したことがありますが、感謝の気持ちを社員たちに示したかったからです。

 それと同じ動機で、5年前から毎年1回、社員はじめ、パート・アルバイトの皆さんに一流ホテルを借りて「感謝の会」を開催しています。400店舗以上、全員を対象に開催するので、全部終わるまでに7、8回開催します。普段会えない人たちにその場でお会いし、感謝の気持ちを伝えています。費用も掛かりますが、おカネの問題ではなく心の問題だと思っています。コロナ禍で2年ほど開けていませんが、また開いて感謝の気持ちを伝えたいと思っています。

 私の最終的な夢は、われわれが「食のインフラ」になることにあります。V字回復を成し遂げて少しでも夢に近づきたいと願っています。