少子化対策として、不妊治療とその環境の拡充は重要テーマの1つだ。主に女性側の問題にスポットが当てられる中、あまり意識されてこなかったのが男性の不妊治療。この領域でイノベーションを興そうとしているのがミツボシプロダクトプラニングの向井徹氏だ。文=吉田 浩(雑誌『経済界』2022年11月号より)
自身の治療経験から男性不妊の分野で起業
WHO(世界保健機関)の調査によると、不妊に悩むカップルのうち男性側に原因があるケースは全体の約24%、男女ともに原因があるケースは24%で合計48%となっている。男性不妊には、精子の数が少ない、動きが悪い、造成機能に障害があるなど、さまざまな要因がある。日本においては、男性不妊の患者数は86万人以上いると推定されている。
実態に比べて積極的に不妊検査を受ける男性が少ないのは、仕事が忙しいのを理由にしたり、男性特有のプライドや羞恥心が邪魔をしたりするケースが多いからだ。最近では男性不妊に対する社会的認知度が徐々に高まり、検査を受ける男性も増えてはいるものの、まだ十分とは言えない。
この課題解決に取り組んでいるのが、ミツボシプロダクトプラニング代表の向井徹氏だ。自身が不妊治療を受けてきた経験から、男性の不妊治療の分野で起業することを決意。現在は気化熱を利用した陰嚢冷却シートや、外気温の影響を受けにくく運搬しやすい採精容器などを製品化している。
「私の場合は、脳の病気が原因で男性ホルモンが出にくくなっていたのですが、それが見つかったのがちょうど妊活のタイミングでした。ホルモン療法などいろいろ行ったのですが、調べたところ、男性不妊の治療でできることがあまりないと分かったんです」と、向井氏は語る。
当時の仕事上のつながりから、獨協医科大学専任教授(当時)で生殖医療を専門とする岡田弘氏と知り合った向井氏は、産学連携で事業をスタート。最初に取り組んだのが精巣用の冷却シートの開発だ。睾丸の温度上昇によって精子の機能に障害が出るのを防ぐためのもので、当時は英国で1社だけが製造していた。向井氏は早速その製品を入手し、岡田教授と分析したところ、冷却機能がほとんどなく、装着すると皮膚のかぶれを引き起こすことが判明した。
「それなら日本製で良いものを作ろうと。発熱時などに使う市販の冷却シートは効果が長期間持たないし、陰嚢に貼ると場所的に気化熱が発生しにくい。これらを解決する成分や素材の研究に取り組みました」
冷却機能の他にも課題はあった。英国製商品の形状はただの長方形で、陰嚢に貼りにくい上、貼ってもすぐにはがれてしまった。そこで、鍼灸に使用するシートをはさみで切るなどして最適な形状を追求した。「完全にローテクなイノベーションなので、かなり苦労しました」と、向井氏は振り返る。
そうして出来上がった製品を学会で配布したり、Amazonで試験的に販売したりして、フィードバックを集めていった。さらに、医療機関と提携し、小・中規模ながら日本と中国で臨床試験も行った。得られたデータと反応は、予想以上に良いものだったという。
日本市場向けに製品の普及を進める一方で、当初から主要なターゲット市場ととらえていたのは、男性不妊患者が3千万人以上と見積もられる中国だ。現地進出している日本企業を通じて医療機関へと製品を卸し、約30程度の高度医療を提供する病院で処方が始まっている。新型コロナ禍で活動にはいったんブレーキがかかったものの、引き続き有望市場として力を入れていく方針だ。
ドンキ創業者から学んだ経営者としての姿勢
現在の事業を始める前、向井氏はドン・キホーテグループの子会社であるアクリーティブという会社で社長を務めていた。それ以前はITセキュリティベンチャーを経営していたが、ドン・キホーテグループ創業会長である安田隆夫氏と懇意にしていたことから誘いを受け、側近として働くことになったという経緯の持ち主だ。
「ドン・キホーテでは情報システム、物流、公正取引管理部の窓口、デジタルマーケティングの4部門を担当していました。あとB2C領域はやったことがなかったので、商売の仕方を吸収できたのが大きかったです」と言う。
安田氏から経営者としての姿勢を学べたことも幸運だった。ドン・キホーテでは同氏の経営理念やグループの哲学をまとめた『源流』という冊子を社員に配布しているが、その作成と社内への浸透にも向井氏は総責任者として尽力した。
「安田会長から学んだことで最も印象的なのは、“オールハッピー”の姿勢です。自分と顧客と世間の“三方よし”を目指すという意味ですが、お互いが長期的に良好な関係を築くことの大切さを知りました」
製品開発に注力した第1フェーズが終了し、多くの知財を獲得した。今後はコロナ禍で一時停滞した世界展開に本腰を入れていく予定だ。日本の大手製薬メーカーと提携し、中国や台湾を皮切りに医療機関を通じて普及拡大を図っていく他、米国市場も視野に入れているという。
また、今後増加するとみられるオンライン医療でも、生殖医療の分野は有望だと向井氏は語る。
「オンライン医療の事業主は製品が欲しいので、中国ではさまざまな製品の青田買いが始まっている状況です。生殖医療の分野はブルーオーシャンなので、われわれの製品にも多くの引き合いがあります。冷却シートの特許を取得した際には2億円で売ってほしいという話もありましたが、潜在的な市場ニーズは桁が違うので当然断りました」
将来的には製品の普及だけにとどまらず、不妊予防も含めたプラットフォームを構築し、ソフト面のビジネスも展開する構想を抱く。そのために若く顧客親和性の高い経営幹部の育成、人員強化をはじめとする社内体制の拡充に力を入れるという。
「最終的に目指すのは『日本の人口を増やすイノベーションを興す』『人生100年時代のQOL(Quality of Life)向上』の2つを実現すること。モノづくりだけではなく、不妊治療と不妊予防の分野で世界のデファクト・スタンダードになりたいですし、なれるポテンシャルは十分あると思っています」。