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ニュースのフェイク性を自覚したネオ・マスメディアへの道 服部 桂

服部桂

SNSが成熟し、客観的事実よりも感情を高ぶらせる虚偽の情報への信頼が優位となった「ポスト・トゥルース」の潮流は留まることがない。しかし、ネット環境下でマスメディアの影響力の低下が自明となったことで、あらためて見えてくるものがある。この状況を、メディアの進化論としてとらえるべきだと服部桂氏は述べる。聞き手=金本景介(雑誌『経済界』巻頭特集「ウェブメディアの現在地」2023年1月号より)

ジャーナリスト 服部 桂氏のプロフィール

服部桂
服部 桂 ジャーナリスト
はっとり・かつら 1951年生まれ。東京都出身。早稲田大学理工学部で修士号取得後、78年に朝日新聞社に入社。84年にAT&T通信ベンチャーに出向。87年から89年まで、MITメディアラボ客員研究員。科学部記者や雑誌編集者を経て2016年に定年退職後、関西大学客員教授に就任。著書に『人工生命の世界』『マクルーハンはメッセージ』『VR原論』他。訳書に『デジタル・マクルーハン』『ヴィクトリア朝時代のインターネット』『テクニウム』『〈インターネット〉の次に来るもの』など。

―― SNSでのエコーチェンバーに見られるように自分が信じたいものしか信じない、極端な個人主義の時代です。マスメディアの役割も変化せざるを得ません。

服部 元来、電子メディアは、反中央集権的なカウンターカルチャーの役割を果たしていまAした。既存のマスメディアが上から目線で、従来通りの方法論でニュースをネット配信しても上手くいくわけがない。工業時代を経て近代国家が成熟し、物から情報をベースにした形に社会は組み替えられました。この状況にも良し悪しがある。国家とマスメディアを中心とした情報のトップダウンがなくなることで、過度なミーイズムに陥るのは当然の帰結です。テクノロジーはピカピカの未来だけでなく、野蛮状態を導く可能性もあります。ネットは国家の制度や論理を超えた情感が支配する明文化できない複雑なルールで動いています。

 極論ですが、数だけみれば世界最大の国は、アメリカでも中国でもなく、インターネットであるかもしれません。メディア学者のマーシャル・マクルーハンは、電信を通して世界がグローバル・ヴィレッジとして一つにまとまるといいました。ただ、まだまだ途上です。ネットにより情報環境的には超グローバリズムになっても、過半数の人は見たいものしか見ないという点で、実生活は極めてローカリズムであるからです。

―― 権威や道徳観が揺らいだポストモダン的状況だからこそ、安直に信じられるものが求められています。

服部 フェイクニュースや新興宗教がはびこるのも、価値観と選択肢が増え過ぎた弊害です。ただ、マクルーハンも言っていたように、どんなに信頼できそうなニュースであっても、それはすべてフェイクであるといえます。ニュースには極めて恣意的な性格があります。情報を吟味し、報道機関が真実性を保証したものが、正しいニュースだとされますが、それでも間違いは避けられないのです。現在は、記者以外にも、ネット上で情報共有しながら、誰しもが取材者になれる時代です。紙媒体をはじめとしたマスメディアは、メディアの進化過程の袋小路にすぎず、時代に合わなくなった形式です。

―― あるいは今後、時代に適応したマスメディアが成立する可能性もゼロではありません。

服部 誰もが発信できる現代には、「ネオ・マスメディア」としての、より双方向的な新しいメディアが求められています。「情報発信の中心点」としての国やマスメディアの権威は否定されつつありますが、同時に視野狭窄な個人主義にも陥らない中間地帯を模索すべきです。「ポスト・トゥルース」や「情報倫理」といった流行テーマに限定せず、歴史的な観点から「メディアの進化論」的に考える必要があります。