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真のサステナビリティとは各々が自分の価値観に従うこと 服飾史家 中野香織

中野香織

ラグジュアリー領域の研究を専門とする中野香織氏は、ビジネスプランナー・安西洋之氏との共著『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済10の講義』で、これからは誰もが互いの価値観を尊重し合う「新型」ラグジュアリーの時代だと語っている。エシカルという言葉も、もとはラグジュアリー分野、ファッション・アパレル業界から広がりを見せた。中野氏に、「エシカル」への意識の変化や、ファッション界の現状について聞いた。聞き手=小林千華(雑誌『経済界』巻頭特集「エシカルを選ぶ理由」2023年3月号より)

中野香織・服飾史家のプロフィール

中野香織
中野香織 服飾史家(独立研究者)/作家
なかの・かおり 文部科学省「価値創造人材育成拠点の形成事業」採択プログラム「京都クリエイティブ・アッサンブラージュ」専門家講師。日本経済新聞、『Forbes JAPAN』、北日本新聞、『LEON』など多媒体で連載中。2022年11月~23年1月に東京・渋谷BUNKAMURAザ・ミュージアムで開催の「マリー・クワント展」では展覧会パネルと図録の翻訳監修を務めた。

本音と建前の間で揺れる企業ジレンマを断ち切れるか

ーー ラグジュアリー領域において、消費者動向を受けた業界の流れはどのように推移してきたのでしょうか。

中野 現在のラグジュアリー産業の形態が生まれたのは、1990年代頃のことです。そこから2000年代までは大量に資本を投下してラグジュアリーを大衆化し顧客層を広げ、早いサイクルで人々の消費を動かしていました。ところが07年、アメリカのファッションジャーナリスト、ダナ・トーマスが著書『堕落する高級ブランド』(日本語版は09年発行)でラグジュアリービジネスの裏側を暴いたことで、世論が大きく動きました。「Made in Italy」を謳っていたブランドのバッグが、本当にイタリアで作られていたのはハンドルだけで、本体は中国製だった――など、当時でいえば衝撃的なニュースです。これまでラグジュアリーとされていたものは真のラグジュアリーではなかった、ラグジュアリーの大衆化・陳腐化が起きたと言われるようになったのが08~10年のことでした。

 それを受けてethical(倫理的)、もしくはresponsible(責任ある)といった言葉がラグジュアリー業界の年次会議で用いられるようになり、ハイブランドもそういう思想に沿った新しいコンセプトを次々と打ち出すようになりました。

 その後sustainable(持続可能な)という言葉がSDGsの制定を経て急速に広がっていったのですが、この言葉は業界を問わず広まるにつれてすっかり陳腐化してしまい、表面的な対応だけでサステナブルを名乗る企業や製品が氾濫しはじめます。そこで17年頃に新たな言葉としてconscious(意識的)が広まり、環境問題や人権侵害について常に「意識的である」ことが重要視されるようになってきました。これがこの20年ほどの流れです。

ーー その流れを経た現代、エシカルやサステナブルといった思想自体の認知度は上がりつつあるものの、その一方でファストファッションに群がる若者の姿も見られます。

中野 そうですね。この円安、不況の時代においては、消費者の意識が上がっても懐事情は追いつかないということもあるのでしょう。特に現在消費の中心であるZ世代と呼ばれる若い人々は、学校でもさまざまな社会課題、持続可能性について学んできた世代で、こうした考え方への理解は深いはずです。しかし問題が報じられるファストファッションを購入する層も若者が多いですよね。

 ここからも分かるように、企業側にも消費者側にも本音と建前の乖離があると感じます。企業側はエシカルに経営を行っていくべきだと思っても、コスト面に不安があってなかなか実行できない。消費者側もどういう考えを持って商品を選ぶべきか内心では分かっていても、目の前により価格の低い商品があればそちらを買ってしまう。そうしたジレンマを解消するのは非常に難しいことだと思います。

 05年に中国のジーンズ工場の労働者の生活を追ったドキュメンタリー映画『女工哀歌』が公開され、時給5角(1元のおよそ半分。日本円で約9円)で働く労働者の姿が話題になりましたが、当時から何も変わっていない現状は問題です。

ーー 特にアパレル製品は、糸や布といった多くのパーツを組み合わせて作られているものがほとんどです。製品を販売している企業側も、それぞれの生産国や流通の段階で経由する地域など、サプライチェーンの過程を全て把握するのは難しいのではないでしょうか。

中野 はい。衣類の原料になる綿などはそもそも農業によって生まれるものですし、原料の生まれる過程までを透明化することはなかなかできないでしょうね。

 しかし、製品を売るまでの過程にある地球環境問題や人権問題などについて、企業のトップが意見を表しやすい空気になってきたのは良い傾向だと思います。

 21年、ファーストリテイリングが新疆綿の使用を疑われ、問題になりましたね。柳井正会長は当初「政治的な質問にはノーコメント」として、問題について明言を避けていたのですが、海外からのプレッシャーなどもあってか、約半年後の10月には「人権侵害を絶対に容認しない」と。はっきりと自社の立場を示しました。トップが強い姿勢を世間に向けて表すことで、サプライチェーンに対するけん制の効果はあると思います。

 企業のブランディングに関しても、SNSが普及し始めたことで、企業が一方的にメッセージを発する時代は終わりました。企業の発信に消費者が反応し、その反応を受けて企業が新たなメッセージを発する。企業と消費者が一緒になってのブランドづくりというのが、これから課題になります。倫理に関してもそうで、会社として行っている取り組みや考え方を発信し、消費者の反応をうかがうことが容易になったのは理想的な流れです。

ーー ファッション界では、地球環境や人権侵害だけでなく、文化の盗用もしばしば問題になりますね。

中野 日本でもハイブランドの広告などを巡ってよく議論が起きますね。とはいえこうした問題には、かつて植民地化されたことのある地域の方のほうが敏感になりやすい傾向があり、日本で話題に上るようになったのはここ最近のことです。

 21年には、ヴァレンティノが発表した広告が、「モデルが着物の帯の上にハイヒールを履いて立っている」としてSNSなどで強く批判を受けました。一方、15年に英ボストン美術館が行った日本文化にまつわる展示では、来場者が打掛を着て記念撮影ができるイベント「キモノ・ウェンズデー」が、アジア文化の盗用だとしてアジア系アメリカ人などの抗議を受け、中止となった事件がありました。こちらの事件は日本のメディアではあまり大きく報道されず、問題に反応していたのも中国や韓国にルーツのある人々が大半だった印象です。

 ファッション界は今も昔も、政治的問題を炙り出しやすい業界ですね。

消費動機の変化を「ブーム」で終わらせない

ーー 中野さんは著書『モードとエロスと資本』で、21世紀に入ってから消費の動機は、「富の誇示から良心の誇示へ」移り変わってきたと書かれています。

中野 20世紀はむしろ「ワルい」方がかっこいい、遊ぶことがかっこいいというのがファッション界の感覚でしたが、最近はそれとは真逆の方向です。少し息苦しさを感じることもあるのですが……。
 特に10年代、エシカルやサステナブルという言葉が広まり始めた頃は、エシカルであること自体がファッションでしたね。思想が広まることは良いのですが、誇示することはエシカルの本質ではないはずです。

ーー ファッション感覚で表面的な行動だけ「エシカル」を謳っていると、一種のブームとしてすぐに終わってしまいそうです。

中野 エシカル、サステナブルであることは地球環境や私たち自身の存続に必要な大前提なので、一過性のブームで終わることは避けたいですね。企業も消費者も、「エシカルとは、サステナブルとは何なのか」と本質を問い直すべき時が来ています。

 たとえば、再生繊維を使用している製品だからといって、頻繁に買い替えていては本末転倒です。それに対し、毛皮製品は動物保護の観点から反対運動が増えていますが、子どもや孫へ受け継げるほど長持ちしますし、最終的には土に還る。見方によってはとてもサステナブルだとも考えられます。エシカル、サステナブルへの向き合い方にはさまざまな形があるので、各々まずは自分がどうありたいかを考え、その価値観に合った製品を選ぶべきです。

 その点イギリスのチャールズ国王などは首尾一貫しており、気に入った洋服や靴にはつぎはぎをしながら何十年も使い続けます。その姿がむしろスタイリッシュだと話題になるほどですが、それはチャールズ国王の環境に対する思想や行動と装いがしっかりつながっているからですね。
自分にとってのエシカルとは常に問うことが入り口に

ーー 「エシカル〇〇」と名乗る製品をやみくもに購入することが真のエシカル消費ではないのかもしれませんね。

中野 もっと多様性があっていいのです。安西洋之氏との共著で「旧型」「新型」のラグジュアリーについて書きましたが、世間の評価軸に沿って自分の持ち物を誇示すること、誰かをうらやましがること自体が既に前時代的。みんなが各々の価値観、倫理観に従って生き、互いを認め合うことが、これからのラグジュアリーの基本的な前提になると考えています。

 たとえば、自身の名を冠したイタリアのラグジュアリーブランドの創始者ブルネロ・クチネリは、何より重要なものは人間としての尊厳だという思想のもと、製品を生み出す職人の待遇を大幅に改善しました。すると責任感を持った職人が質の高い製品を作り、高い価格で取り引きされて、結果としてイタリア全体の文化的価値も上がるという好循環が生まれたんです。クチネリが自分の考える倫理を大切にした結果ですね。

ーー 思想と一貫した行動が大きな結果につながることの好例です。

中野 私もクチネリの思想に共感していて、自分の服を仕立てるのに、直接職人のもとを訪れたりするのですが、誰もがそこまで実行できる文化は根付いていないと思います。誰もが自分のできる範囲で「意識的」であること。これが少なくとも出発点にはなります。

 ラグジュアリー製品というのは、おしなべて最新技術や思想の結晶です。最近でもエルメスやステラ マッカートニーなどが、キノコの菌糸体を使用し、レザーに近い質感を再現したバッグを発売して話題になりました。そんなクリエーティブで質の高い製品を作るためには、能力のある人を差別なく登用して技術を結集させる必要があり、それが好循環を世界にもたらすきっかけにもなります。ですから、これからのラグジュアリーとは、決して単なる贅沢や王侯貴族の道楽のようなものではなく、社会全体にも良い影響を与えるものだと考えています。

ーー 誰もが自分のできる範囲で「意識的」であるべきというのは、消費者個人だけでなく、企業にも言えることです。

中野 たとえばサステナブルと言っても、何を持続させたいのか。食品の会社であればおいしいものが食べられる、提供し続けられることがその企業の理想のサステナビリティかもしれませんし、地域であれば景観の美しさを守ることもサステナビリティです。

 エシカルな選択を無理なく続けるためにも、それぞれのエシカルとは何なのか自問するところから始めてほしいと思います。