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阪急出身者のオーナー就任で阪神タイガースは勝てるのか?

年も押し迫った昨年12月21日、阪急阪神ホールディングスのトップ人事が発表された。しかしそれ以上に注目を集めたのが、傘下の阪神タイガースのオーナー人事で、初めて阪神電鉄ではなく阪急電鉄出身者が就任した。果たしてこの人事、どのような意味を持っているのか。文=経済ジャーナリスト 小田切 隆(雑誌『経済界』2023年3月号より)

阪急タイガース誕生への布石?

 プロ野球・阪神のオーナーに、阪急阪神ホールディングス(HD)の社長を務めていた杉山健博氏が2022年12月21日付で就任した。06年に経営統合して以来、阪急出身者が球団オーナーとなるのは初めてで、プロ野球ファンからは「ついに『阪神タイガース』が『阪急タイガース』に生まれ変わるのか」という声も上がった。異例の人事の背景には、阪急阪神HD会長である角和夫氏の強い意向があるともいわれる。

 ここで杉山氏の経歴を見ておこう。

 杉山氏は1958年生まれの64歳で、兵庫県の出身だ。82年に東京大学法学部を卒業後、阪急電鉄に入社して以来、「阪急一筋」。

 2006年には、阪神電気鉄道の経営統合に、阪急側から重要な役割を果たした。16年、阪急阪神HDの副社長に就任。17年に社長に就任した。この間、同会長である角氏の右腕として、経営手腕を発揮してきた。そして22年12月、サプライズの阪神オーナー就任。阪急阪神HD社長は退任し、後任には嶋田泰夫副社長が昇格する。

 前球団オーナーの藤原祟起氏は退任。藤原氏が兼任してきた球団会長には、新たに、阪神電鉄社長を務めてきた秦雅夫氏が就くことになった。これまで、球団の会長と社長は同一人物が兼任するのが慣例だっただけに、今回、別々の人が会長とオーナーをやることになったのは、極めて異例。なお、代表権は秦会長が持ち、杉山オーナーは持たない。

 阪神タイガースは、23年に球団設立88周年を迎える。関西に住むプロ野球ファンの大半が阪神ファンだといわれるほど、関西にはなじみの深い存在だ。

 「阪神」の名前にもなじみが深いだけに、「阪急一筋の杉山氏が球団オーナーになって、実質的に『阪急タイガース』になるのではないか」という可能性は、関西のファンにとって、とてもショックが大きいものだった。しかも、関西にはかつて「阪急ブレーブス」という球団があっただけに、複雑な心境となったのだ。

 だが、杉山氏は12月21日の就任発表会見で、関西のファンの疑念を打ち消そうと懸命になっていた。

 「阪神タイガースの経営権は阪神電鉄にある。『阪急タイガース』などあり得ない。阪神タイガースは長い間、ファンから愛され歴史を重ねてきた、唯一無二のブランドだ」

 確かに、代表権を持つのは、阪神側の秦会長であることを考えると、杉山氏の言葉には、うなずけるものがある。しかし、球団の運営に対する阪急側の発言権が増すのは間違いなく、関西のタイガースファンの疑念が消えることがないはずだ。

オーナー人事で分かる「阪急」「阪神」の力関係

 では、阪神ファンの懸念や反発を招く「危険」があるのに、なぜ杉山氏が球団オーナーに就任することになったのか。そこには、阪急阪神HDのCEOでもある総帥・角会長の強い意向があるとみられる。

 角氏は1949年生まれの73歳、兵庫県出身。早稲田大政経学部を卒業後、73年に阪急電鉄に入社し、やはり「阪急一筋」。

 2006年の経営統合時にHDの社長に就任、以来17年近くトップの座にある。辣腕経営者といわれ、現在は関西経済連合会の副会長も務めている。23年5月には現在の松本正義会長(住友電気工業会長)が3期目の任期の満了を迎えるが、その後任候補の一人として名前が取りざたされている実力者でもある。

 その角氏が、右腕の杉山氏を阪神球団に送り込んだのは、ひとえに球団強化の思いからだ。

 阪神は22年1月、春季キャンプ直前に、矢野燿大前監督が「今季で監督を退任しようと思う」と宣言し、大混乱に陥った。シーズン開幕後に連敗、結果的に68勝71敗4分の3位と17年連続で優勝を逃した。

 この矢野氏の退任宣言をめぐる経緯に対する不信感や、チームが低迷していることへの阪神側の危機感が薄いことに角氏はいらだちを強め、「阪神側には球団改革を任せておけない」と判断したと見られる。

 さらに後任監督として2軍の平田勝男監督の昇格案もあったが、最終的に阪急側が推したとされる岡田彰布氏が就任することで落ち着いた。

 岡田氏は、かつて阪神やオリックスの監督を務めたこともある。今後、阪神は、杉山オーナー、岡田監督という、いわば「阪急側」のコンビで抜本的な改革に取り組んでいく。

 もっとも、こうした人事も、阪神側の阪急側に対する力関係がもっと強ければ、簡単には通らなかったかもしれない。「阪急が阪神より強い」という力関係は、そもそも06年の経営統合のときから始まっている。

 ここで、06年の経営統合に至った際のいきさつを振り返ってみる。

 きっかけは「モノ言う株主」である村上ファンドが、阪神電鉄や阪神百貨店の株式を買い占めたことだ。

 05年8月に450円前後をつけていた阪神電鉄の株価が急上昇を始め、9月には1200円前後まで値上がりした。当初、株価上昇の原因はよく分かっていなかったが、9月下旬に村上ファンドが明らかにした大量保有報告書で、阪神電鉄株の26・67%、阪神百貨店株の18・19%まで買い占めていたことが判明する。

 村上ファンドが阪神電鉄に目をつけた理由には、西梅田や阪神甲子園球場など沿線にある不動産が簿価で評価され、多額の含み益があったことや、高い人気を誇る超優良ブランド、阪神タイガースを保有していたことなどがある。村上ファンドはその後も株式を買い進め、阪神電鉄株の保有比率は約47%まで高まった。この間、村上ファンドは阪神タイガースの上場を提案するなどし、ファンからの怒りを買っていた。

 阪神側が助けを求めたのが、当時の阪急HDだ。水面下での交渉を経て、06年3月、阪神電鉄が阪急HDに対して経営統合を提案、4月に基本合意して、阪急HDが阪神電鉄のTOBを行うことになった。

 阪神と阪急の統合の話はそれまでも何度か浮上したことがあったが、いずれも阪神側が阪急側を傘下に収める形での話だったという。しかし、今回は完全に立場が逆転していた。

 前述のように、阪神側には多額の含み益を抱えた優良不動産があり、阪急側には魅力的だった。阪急側はバブル後、本社ビルの流動化や不動産投資信託(REIT)の活用など、不動産を最大限に生かすノウハウを積み重ねていた。阪神側の優良不動産を手に入れれば、大きな利益を生み出すことができる可能性があった。

 その後、証券取引法違反容疑で村上世彰代表が逮捕されたこともあり、村上ファンドは阪神電鉄株の買収をあきらめ、TOBに応じて株式を手放し、06年10月、阪神電鉄が阪急HDの完全子会社になり、阪急HDは阪急阪神HDへと名称を変えた。一連の経営統合は、戦後初めての私鉄大手の再編劇となった。

 こうした経緯からも、「阪神より阪急が強い」力関係がよく分かる。

経営の自由度を奪うプロ野球「30億円問題」

 とはいえ、今後の阪神球団の運営にあたっては、実情はどうであれ、阪急側は「自分たちが球団運営の主導権を握っている」と気を遣わざるをえないだろう。

 一つは、長年のタイガースファンの反発を受けないようにするためだ。ファン離れが進み、来場者収入などが落ち込んでは元も子もない。

 もう一つは、「30億円問題」が再燃する懸念を避けなければならないからだ。06年の経営統合時、阪神球団は「経営母体が変わったことになるのではないか」とオーナー会議から指摘を受け、預かり保証金25億円、野球振興協力金4億円、手数料1億円の計30億円を日本野球機構に支払うように命じられた。実際、前年にプロ野球へ参入した楽天などは支払っている。

 阪神側はオーナー会議の決定に対して異議を申し立て、根回しにも奔走した。そして、「球団の経営は阪神に任せる」との誓約がなされ、阪神電鉄と球団の関係に変化はないと判断された。この結果、預かり保証金25億円と野球振興協力金4億円は免除され、阪神側の支払いは1億円ですんだ。ある意味、薄氷を踏む思いの経緯だった。

 もし、杉山氏のオーナー就任で球団経営のイニシアチブが阪急側に移ったと見られれば、「やはり経営母体は変わったのでないか」とみられ、再び、加盟料30億円を支払うべきだとの声が出てきかねない。このような事態を避けるため、杉山氏は、口が裂けても「阪急タイガースになる」とは言えないわけだ。

 改革を進め優勝を狙えるチームにしなければならない一方、「球団が生まれ変わった」と思われすぎては、巨額のお金を支払う義務が生じ、経営が打撃を受けることになりかねない。そんなジレンマを抱えながら、阪神タイガースは23年のシーズンに突入していくことになる。