進撃のベンチャー徹底分析 第22回
今回、紹介する急成長企業は、長野県佐久市でいちご農園を経営する井上寅雄農園の井上隆太朗社長だ。いちご農園の名前の由来でもある、〝寅雄〟は井上社長の祖父である、故・井上寅雄氏にあやかったものだ。農家の後継問題が深刻化する中で、井上社長がたどり着いた、いちご農園成功の鍵に焦点を当て話を聞いた。文=戸村 光(雑誌『経済界』2023年3月号より)
いちご農園を始めたのは祖父を超えるため
井上社長の祖父は、長野県でりんご農園を経営していた。「うちのりんごは世界一うまい」と毎日聞かされていたことが幼少期の祖父にまつわる思い出だ。
当たり前のように、毎日美味しいりんごをおやつとして食べていた井上氏は、いつか祖父を超える農園を開きたいと思うようになっていった。
しかし祖父は生前、孫が自分の農園を継承してくれると想定をしておらず、所有している農地のほとんどを売却してしまった。一方の井上社長は、オランダに農業を勉強するために留学。そこで、日本では普及していない数多くの農業技術を学ぶ。中でも注目したのは吊り型式農法で、同じ面積の農地でも2倍以上の栽培を可能とする画期的な農法だった。
また四季の気温による影響を受けにくいため、地元の長野市でも効率的にいちごを栽培できるのではと考えた。こうしてヨーロッパの独自技術を身に着けた井上社長は、帰国後、祖父の農地を買い戻し、いちご農園を起業する。
上場までの事業計画で投資家から資金調達
いちご農園を作るためには、土地の購入から始まり、ビニールハウスやその周辺機材が必要だ。また日本では普及していないヨーロッパの技術を導入するには機材もヨーロッパから輸入しなくてはならない。計算すると1億円を超える資金を用意する必要があった。資金調達に迫られた井上社長は、海外では普通に行われていながら日本では滅多に例のないエクイティーによる調達を目指す。
そのためには上場に至る事業計画が必要だ。井上社長は上場までのビジネスプランを描いて、エンジェル投資家や金融機関を訪ね歩き、1・5億円以上の資金を得ることに成功した。
ヨーロッパで学んだ農業ビジネスとは
井上社長が留学したオランダでは、エクイティーだけでなく農業のM&Aも頻繁に行われている。
「私が働いていたオランダのいちごの農家も4ヘクタール(東京ドーム1個分)の農業ハウスを買収していました。経営が上手くいっている農家が成長し、経営が上手くいかない農家はそこに買収される。それが欧米の農業でした」と井上社長。
買収の際、必要となるのは資金なので、オランダの農家は金融機関から資金調達を当たり前に行っている。一方、日本では「農家は重労働の割に儲からない」との認識が一般的だ。そのため金融機関も融資をためらうばかりか、農家の子も家業を継ごうとは考えない。そのため日本の農家は猛烈な勢いで減り続けており、深刻な問題となっている。
いちご農園は話題殺到。佐久市を代表する観光名所に
井上社長が井上寅雄農園を開業したのは2020年のこと。寅雄農園の特徴は、いちごの生産に留まらず、家族連れでいちご狩りを楽しむことができるところにある。それから約2年、今では関東圏や九州圏のお客も増えてきた。テレビをはじめ各種メディアに取り上げられたことで、これまで観光客にはあまり縁のなかった佐久市の新たな名所として認知されるようにもなり、インバウンドにも注目されている。こうして順調にスタートを切った寅雄農園は、さらなる成長を目指し、新たな資金調達も目論んでいる。
農業人口減少問題を解決するLINE上のお悩み相談
井上社長が手掛けているのはいちご農園だけではない。自身が農業を始めるに際し、あまりの情報の少なさに苦労した。そこで開発したサービスが「アグティー」だ。アグティーは、新規就農者などが日頃抱えている、栽培から経営までの農業に関わる全ての困りごとに対し、プロ農家などから直接LINEでアドバイスが受けられる相談サービスで、先輩たちが長年経験して得たスキルや知見をネット上で教えてもらうことができる。離農する人たちが増える一方で、農業に興味を持つ若い人たちも増えている。しかしどうやって参入したらいいかわからなくて諦めるケースも多い。そんな人にはうってつけのサービスだ。
これからの日本農業に絶対に必要な考え方
「今後の日本の農業に必要なのは、跡取りがいないことを理由に離農・棄農するのではなく、売却や貸し出しという手段があると知ってもらうことだ」と井上社長は言う。
「今後農業は機械化やDXが進み生産性が上がっていきます。ただしそれをより効率的に行っていくには農地を集約化する必要があります。後継者のいない農家の中には先祖から引き継いだ農地を手放すことにためらう人も多くいます。でもそれでは成長意欲のある農家が優良な土地を取得できず、まとまった農地が得られないため生産性が上がりません。だから考え方を変え、意欲的な農家に農地を提供していただければ、農業の生産性は格段に上がります。そうなれば農業従事者も増え、農家の跡取りという概念も消えていきます」
日本の食料自給率は40%を下回り、食料安全保障の面からも課題が多い。日本全国の農家がビジネスとして農業を経営することで、日本の自給率は上がり、国産農作物が世界に挑戦できる未来がくるはずだ。寅雄農園の成功事例が日本全国に広まり、日本の農家に希望を与えることを願ってやまない。