昨年、創業150年を迎えた資生堂。コロナによる赤字転落という危機もあったが、昨年には守りモードを撤回、攻めのモードに完全に切り換えた。この資生堂を8年間、社長として率いてきたのが魚谷雅彦氏。1月1日付で会長となり、新社長と二人三脚で次の150年に向け歩み始めた。文=関 慎夫 Photo =山内信也(雑誌『経済界』2023年4月号より)
魚谷雅彦・資生堂会長CEO氏のプロフィール
社長交代は予定通り2年間は社長と並走
―― 1月1日付で社長CEOから会長CEOへと肩書が変わりました。仕事の上で変化がありましたか。
魚谷 あまり変わっていませんね。というのも社長から会長になってもCEO職はそのままなので、引き続き経営の最高責任を担っています。
―― これまであまり社長人事の観測記事も出ていなかったこともあり、唐突な社長交代と受け止めた人も多いようです。
魚谷 予定通りの交代です。資生堂はコーポレートガバナンスがきちんとしていて、社外取締役もしっかり機能しています。私は2014年に社長に就任しましたが、5年後の19年に、5年間任期を延長してほしいと取締役会から要請を受けました。その時に、今後3年かけて広く内外から後任を選ぶことが決まりました。それも私が独断で選ぶのではなく、取締役会の皆さんと20回以上議論するというプロセスを経ています。そしてこれから2年間、会長CEOとして後任の社長と並走していく。すべてスケジュール通りです。
―― 社長時代を振り返ってほしいのですが、魚谷さんは日本コカ・コーラ社長などを経て、140年以上の歴史を持つ資生堂に迎えられました。そういう老舗企業に、いきなり外部から入るというのはどういうものなのですか。
魚谷 私が抱いていた資生堂に対するイメージは、歴史があると同時に企業好感度が極めて高い会社というものでした。実際入ってみたら、真面目で優秀な社員が多いし、ものすごく誠実に仕事をやっている、ある意味、イメージ通りの会社でした。ただ、できることがもっとあるはずなのに、と思ったことも事実です。ビューティーに関して持っている優れた技術を、もっと海外に広げていける可能性があるのにもったいないなと。だからこそ、それは私の役割だと考えました。
―― 当時はインバウンドが急激に増えていました。中国人を筆頭に、外国人が資生堂製品を競って買っていた時代です。社長に就任するには非常にいいタイミングでした。
魚谷 日本にいらした外国の方にたくさん買っていただいたとしても、それによって海外での売り上げが落ちたのでは意味がありません。全世界でのビジネスを考えたらインバウンドだけに頼るわけにはいきません。ですから安心できるような状況だとは全く思っていませんでした。これは私だけでなく、会社としてもそう考えていた。そうでなければ取締役会も、外部から私をわざわざ招聘するはずがありません。
―― 自分の何を期待されたと考えたのですか。
魚谷 コカ・コーラというグローバルなブランドビジネスを展開している会社の日本法人のトップを長年務めた経歴に期待したのだろうと。だったら、それを徹底してやっていく。例えばグローバル化と言っても、単に海外でビジネスを展開することではありません。アメリカならアメリカ、ヨーロッパならヨーロッパ、中国なら中国、それぞれの国で現地の優秀な社員が入ってくれて、現地に根付いたビジネスをやっていく。そのために人財と組織を強化する。当時の資生堂はそこがまだ十分ではありませんでした。
同時に行ったのが研究開発力の強化です。日本の会社が日本の価値を持って世界と戦っていくのに一番重要なのは技術です。資生堂は100年以上にわたり肌などの基礎研究を続けてきました。海外でも、当社の技術と安全・安心な品質に対する評価は非常に高い。ただし、先人たちの努力の蓄積が今の技術であって、これから先の技術を作るのは現在、そしてこれからの経営陣や社員です。企業の成長エンジンは研究開発です。そこで就任後すぐに500億円かけて横浜に新しい研究所を建設することを決めました。
施設をつくり、研究員を増員し世界の研究拠点とする。海外ではアメリカ、ヨーロッパ、中国、東南アジアにも研究拠点がありますので、日本をハブとして世界中のお客さまに対応した研究体制を構築する。これも私が就任してから行ったことの一つです。
売却した日用品事業は今後も見守り続ける
―― 社長就任後、売り上げは順調に伸び、17年12月期には初の1兆円超えを果たします。ところがコロナにより状況が一変、20年12月期には赤字に転落しています。当時は何を考えどう行動しましたか。
魚谷 就任以来、資生堂の強さは何だろうと考えてきましたが、コロナは改めて本当の強さについて考えるきっかけになりました。先ほども申し上げたように、技術やそれを生み出す研究開発体制は一貫して強化してきました。そしてそのアウトプット、商品については付加価値の高い中・高価格帯に軸足を置く。その中でもスキンケア領域です。
化粧品産業には中心となる3つの領域があります。スキンケアとメイクアップ、そしてフレグランスです。資生堂のスキンケアは、世界でも非常に強い領域です。メイクアップやフレグランスに関してはこれまでM&Aなどでも強化してきましたが、まだ世界のトップとは言えません。そうであるなら、強い領域に集中する。それによってコロナ後のビルド・バック・ベター、以前よりも成長力や収益力の高い、強い会社になっていくことを目指し選択と集中を行いました。
―― 選択と集中を徹底するため、シャンプーなど日用品部門を売却しています。シャンプーの中には「TSUBAKI」のような有名ブランドもありました。それを売却したのだから、社内の反発もあったと思います。「外様社長が何をしてくれるんだ」と抵抗されたりしませんでしたか。
魚谷 ほとんどありませんでした。というのも、シャンプーなどのパーソナルケア製品は比較的価格帯が低く、研究開発やマーケティング、流通の在り方も化粧品とは全く違います。19年度の事業規模も、資生堂の国内売り上げ約4500億円のうちパーソナルケア事業は500億円強で、なおかつ売り上げは減少しつつありました。そのため私が社長に就任した当時から、この事業をどうすべきかという経営議論の対象になっていました。だから事業譲渡が現実的になった時にも、反対意見はほとんど出ませんでした。
何よりコロナ禍で20年4~6月は、前年に比べて売り上げが約3割減っていきました。当然月次決算は赤字ですし、このままいったらどうなってしまうのか、私だけでなく経営陣は皆危機感を持っていました。そういう状況で、会社を守るためにはどのような判断が必要か、と考えれば結論はおのずから導かれます。
―― それでは決断するにあたりそれほど悩まなかったわけですね。
魚谷 そんなことはないですよ。ものすごく悩みました。新会社は約700人の社員でスタートしましたが、当社から移籍した社員は資生堂に入社して、たまたまパーソナルケア部門に配属された人たちで、方針を発表した時は、社員からは悲しむ声も出ました。
そこで約束したのは、最後まで見守り続けるということです。事業譲渡してそれで終わりにはしない。例えば今でも資生堂は新会社の株式を35%保有しています。3分の1を超えていますから、重要な株主です。譲渡先のプライベートエクイティファンドには、給与や福利厚生などの水準をそのまま維持する約束をしてもらいました。
その結果、今では社員の方々はものすごくやる気になり、業績も伸びています。資生堂の中では優先順位の低い事業だったのが、今では専業になって道を切り拓いていくことができる。それがやりがいにつながっています。「資生堂を見返せるくらいの会社にしてみせます」と言った社員がいましたが、今は本当に上場を目指して張り切って働いてくれています。私たちは今も株主として見守っています。
コロナ下でも続けた次の150年への投資
―― 売った資生堂にとっても、売られた日用品部門の社員にとってもいい結果になりそうですね。グローバル企業でありながら、こうしたやり方は日本的ですね。
魚谷 何年か前にアメリカで長年赤字だった事業を譲渡したことがあります。この時も、従業員の雇用維持を条件にしています。アメリカでもやろうと思えばできるんです。事業譲渡はつらい決断でしたが、やはり日本の会社として雇用を大事にしたかった。グローバルに展開する企業だからこそ、日本の価値観を守りたいというのが私の考えで、それを現地のアメリカ人社長も理解し、交渉してくれました。
―― コロナに話を戻しますが、毎日売り上げが3割減り続けた時にはどんなことを考えて日々を送っていたのですか。
魚谷 一番にはこの会社を守ること。150年近く続いた会社をどうやったら存続できるか。耐え忍ぶための体力をつけて生き残ることを毎日毎日考えました。
―― 単に守りを固めるだけでなく、21年9月には大阪茨木工場が本格稼働、昨年5月には福岡久留米工場が竣工しました。投資計画を見直すこともできたはずです。
魚谷 単に会社を存続させるだけでなく、次の150年のことも考えなければなりません。そのためには構造改革を進める一方で新たな投資を進める必要がありました。20年に21年を初年度とする中期経営計画を策定しましたが、この中でも、研究開発、工場建設などのサプライチェーン改革、IT、それと人財、これらの分野での投資は緩めないと発表しています。
工場は、19年に国内で36年ぶりとなる那須工場が稼働、その後、大阪茨木、福岡久留米と続きます。3番目の福岡久留米工場は、建設が始まるタイミングで新型コロナウイルスの感染拡大が始まりました。延期や中止を決断しようと思えばできました。しかし将来を見据えた場合、絶対に必要なことなので、このまま投資を続けると株主や投資家をはじめ対外的に宣言をしました。
「資生堂未来大学」初代学長に就任予定
―― 中計の副題は「危機に打ち勝ち、2023年に完全復活」でした。その23年を迎えました。完全復活となりそうですか。
魚谷 今年は大きな転換の年になると思います。会社の方針として、昨年後半からコスト抑制など、守りのためのモードを完全に止め、100億円の追加投資を決めました。マーケティングと人財にそれぞれ50億円を投資しました。今年はさらに投資を加速してより確実に事業成長をするための攻めの経営に変えていきます。
―― 社内の雰囲気もずいぶん変わったでしょう。
魚谷 もちろんです。最近も若いアシスタントブランドマネージャーからある化粧品ブランドの追加投資の提案があったので、即決で承認しました。社員の中から、このような提案をしようという前向きな気持ちが出てきたことがうれしくて仕方ありません。
―― 会長となり、今後2年間、社長と並走していきます。この2年で何をやりますか。
魚谷 一つは今の業績回復を確実なものにすることです。そしてもう一つは次の世代の人財づくりです。日本の一番の資源は人です。グローバル全体で成長するにもイノベーションを起こすにも、人財がなければ何もできません。工場や研究所の建設費はコストではなく設備投資なのに、損益計算書上、人件費はコストに計上されます。本来、人財育成に使うお金は人への投資です。その観点から、能力を高めてもらうためのバックアップをやっていく。これは資生堂だけではなく日本の未来のためにも必要だと考えています。そのために、今年秋には銀座に次世代を担うリーダー人財開発施設「Shiseido Future University」をオープンします。
―― 日本一地価の高い場所に、ですか。経済合理性を考えたらあり得ません。
魚谷 銀座は創業の地ですから。名前にフューチャーと入っているように、未来を考えるためにも、創業の地で資生堂の歴史、伝統をしっかりと学んでもらいます。私はその初代学長になると宣言しています。