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売上高5割増もEV対応には遅れ。豊田章男「社長14年」の通信簿

トヨタ自動車は1月26日、4月1日付で佐藤恒治執行役員が社長兼CEOに昇格する人事を発表した。2009年から社長を務めてきた豊田章男氏は、代表権のある会長となる。就任直後の米国での大規模リコール問題の対応など、豊田氏の14年を総括する。文=ジャーナリスト/立町次男(雑誌『経済界』2023年4月号より)

就任早々に迎えた米でのリコール騒動

 新社長人事は、大きな驚きを持って受け止められた。豊田体制は長期政権になったが、少なくとも今秋、豊田氏の肝いりでリニューアルされるジャパンモビリティショー(旧東京モーターショー)には社長として臨むとみられていたため、続投が有力視されていたからだ。

 1月26日にオンラインで開いた記者会見で、66歳の豊田氏は、「私はちょっと古い人間。未来のモビリティ(乗り物)がどうあるべきかという新しい章に入ってもらうためには、私は一歩引くことが必要だ」と、53歳の佐藤氏への世代交代の必要性を強調した。また、「変革をさらに進めるためには、私が新社長をサポートする体制が一番良いと考えた」とも話した。

 豊田氏は会見で、これまでの14年の経営の舵取りを振り返り、「『存亡の危機』の連続。平穏無事な年はなかった」と話した。

 2008年9月のリーマン・ショックにより、トヨタは09年3月期連結決算で4610億円の営業赤字を計上。同年6月、社長に就任したのが、創業者、豊田佐吉のひ孫である章男氏で、「創業家への大政奉還」と言われた。

 しかし10年、トヨタにとってはリーマン級の問題が起こる。米国でトヨタ車(レクサス)を運転中に急加速する事故が発生。乗っていた家族4人が死亡。これを契機に、さまざまな事故の原因がトヨタ車にあるとの主張が勢いを増し、大々的に報道され、米国で大きな問題となった。トヨタは大規模リコールを実施したが、集団訴訟などが起きて、豊田社長は米議会の公聴会に出席するなど事態の収拾に奔走した。

 その後、11年2月に米運輸当局は「トヨタ車に器械的な不具合はあったものの、電子制御装置に欠陥はなく、急発進事故のほとんどが運転手のミスだった」とする最終報告を出した。

 だが、苦難はその後も続く。11年は3月に東日本大震災と7月にタイの洪水被害が発生し、国内外の工場の操業が一時停止し、歴史的な円高で輸出の採算が悪化した。

 豊田社長の危機対応は手堅いものだった。就任前に解消が決まっていた米自動車大手GM(ゼネラル・モーターズ)との合弁によるカリフォルニア州の工場「NUMMI(ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング」については閉鎖を決定。09年11月には自動車レースの最高峰、F1からの撤退を発表した。リーマン・ショックで露呈した過剰生産能力や固定費を削減し、体質強化を進めた。「もっといいクルマを作ろうよ」という言葉に象徴されるように、販売台数を競わずに、高品質の自動車の開発・生産に重点を置く姿勢を鮮明にした。

 世界景気の回復や円高の修正にも後押しされ、業績は回復。14年3月期決算は、6年ぶりに最高益を計上した。

日本企業初の売上高30兆円超え

 また、10年には米EV大手、テスラ(当時はテスラ・モーターズ)と提携。NUMMIは同社に売却され、EVの生産拠点となった。ただ、この提携は4年しか続かず、トヨタ側に大きなメリットはなかったとみられる。また、国内企業ではソフトバンクと提携し、移動サービスを行う合弁会社モネ・テクノロジーズを設立。豊田氏と孫正義氏が並んで登壇した18年10月の発表会見は、大きな話題を集めた。

 15年には走りの質感を向上させながら複数の車種で基幹部分の設計を共通化する新プラットフォーム(車台)のTNGA(トヨタ・ニュー・グローバル・アーキテクチャー)の採用を始めた。20年には静岡県裾野市の東日本東富士工場跡地に、自動運転などの次世代技術を試すための実証都市(ウーブン・シティ)を建設する構想を発表している。

 18年3月期には連結純利益が2兆4939億円と過去最高益を達成。19年3月期では、連結売上高が日本企業初の30兆円を超えた。

 ここ数年の施策で目立つのは、他の自動車大手との提携を進めたことだ。17年にはマツダと、19年にはスズキと資本提携。SUBARU(スバル)に関しては、トヨタが20%の株式を取得し、関連会社とした。EVのプラットフォームづくりやソフトバンクとの共同出資会社、モネなどに各社が関わることで協業を進めてきた。商用車でも子会社の日野自動車と、その競合であるいすゞ自動車との3社で提携した。

 豊田社長は18年から日本自動車工業会(自工会)の会長を務めた。会長職はトヨタ、ホンダ、日産自動車の首脳が輪番で2年ごとに務める慣例だが、19年の東京モーターショーで来場者数を大きく回復させた豊田氏は、20年以降も会長を務めた。21年は新型コロナウイルスの影響で中止となったが、23年の次回は豊田氏の発案により、前述のようにジャパンモビリティショーと改名し、新機軸を打ち出す。しかし、豊田氏は1月30日、社長退任を理由に自工会会長も辞任する意向を表明した。

 また、21年10月には、日本製鉄が、トヨタと中国の鉄鋼大手・宝山鋼鉄を特許侵害で東京地裁に提訴。日鉄は両社にそれぞれ約200億円の損害賠償を求めたほか、トヨタに対してはその特許を使用して製造しているとして、「無方向電磁鋼板」を使った電動車の国内製造・販売を差し止める仮処分を申し立てた。古くからの取引があり、交流も盛んだった両社。トップ同士の協議を経ずに日鉄が提訴に踏み切った背景には、平時からのコミュニケーション不足があったのでは、と推測される。

 そして、現在の経営判断で最も重要なものは、「EVシフト」への対応であることは間違いない。21年12月、豊田社長は、展示された16車種のEVコンセプトモデルの前で記者会見を行い、EV事業強化を打ち出した。30年までにEV30車種を投入し、同年の世界販売台数を350万台とする計画を発表。それまではEVとFCV(燃料電池車)と合わせて200万台という計画を掲げていたが、大幅に引き上げた。「今までのEVには興味がなかったが、これからのEVには興味がある」と強調した。

残された課題はEVシフトへの対応

 しかし、これを機にトヨタがEVに積極姿勢に転じたとの見方は少ない。その要因として考えられるのが、トヨタが毎年、約1千万台も製造・販売してきたガソリン車やHVなど既存車種へのこだわりだ。ガソリン車やHVの製造・販売で世界有数のメーカーになったトヨタにとって、過去の成功体験を捨てることは容易でない。

 また、エンジン車で3万点とされる部品点数がEVでは2万点に減るとされ、EVシフトにより「ケイレツ」としてトヨタを支えてきた多くの部品メーカーが、収益減で苦境に陥りかねないという事情も背景にあるとみられる。

 トヨタとしては、消費者のEVへのニーズはまだ低いと判断しているようだ。例えば国内の22年のEVが乗用車全体に占める割合は1・7%に過ぎない。

 一方で、販売台数で見るとトヨタの10分の1に過ぎないEV専業メーカーの米テスラが、時価総額でトヨタを上回って推移しているのは、株式市場がEVの将来性を高く見ているからだ。脱炭素の流れに逆らうと見られれば、企業イメージにも負の影響を与えかねない。環境団体のグリーンピースは世界の自動車大手10社の気候変動対策について、トヨタを最下位と評価した。

 豊田社長はメディアなどに、「トヨタはEVで出遅れている」と論評されることに反発していた。そのことが関係するかは不明だが、今回の社長交代はまず、トヨタの自社メディア「トヨタイムズ」で発表され、記者会見はオンラインで行われた。 今後の豊田氏に関しては、会長としてトヨタとの経営や財界活動にどの程度、深く関わるのかが焦点だ。

 今回、CEOは佐藤氏に交代するが、長い経営の経験がある創業家出身の豊田氏の意向が、依然として重みを持つのは確実だ。佐藤氏が独自色を出すまでには時間がかかり、それまでは共同で経営に当たるような形になる可能性もある。

 豊田氏は22年、経団連の「モビリティ委員長」の共同委員長に就任。11月には十倉雅和・経団連会長らとともに岸田文雄首相と会談。豊田社長は自動車関連税制をめぐり、ユーザーの負担軽減を訴えた。そして首相は、脱炭素など自動車業界が抱える問題を直接聞き取り、協力する考えを伝えた。今後はEVシフトのスピードなど、政策がトヨタの経営に与える影響は大きさを増すとみられる。章男氏の父、豊田章一郎氏や奥田碩氏はトヨタ会長として経団連会長を務めた。章男氏が財界活動を本格的に行うかが注目される。