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放送大学長が語る生涯学習の在り方。リスキリングに携わる人全員に必要なものとは 岩永雅也 放送大学

リスキリング特集 岩永雅也 放送大学

「いつでも、どこでも、誰もが学べる開かれた大学」を標榜する放送大学。生涯学習機関としてあらゆる属性の人々に門戸を開いていることから、学生の約88・2%を社会人や定年退職者が占める(2022年度第2学期時点)。また、現在は「職業・資格に関わるリカレント教育」もミッションのひとつに掲げ、教養的な学習だけでなく、キャリアアップや資格取得のための学習を志す社会人の教育にも力を注いでいる。学長の岩永雅也氏は、生涯学習や成人学習といった分野に造詣が深い。教育社会学の研究者として現在のリスキリング熱をどう見るか、学ばせる企業、学ぶ従業員はどんな姿勢を持つべきか聞いた。聞き手=小林千華 Photo=横溝 敦(雑誌『経済界』2023年8月号より)

リスキリング特集 岩永雅也 放送大学
岩永雅也 放送大学長
いわなが・まさや 佐賀県出身。1982年、東京大学大学院 教育学研究科教育社会学専攻卒業。大阪大学人間科学部、放送教育開発センターで助手を務め、89年、放送大学教養学部助教授に就任。2018年、放送大学副学長に就任し、21年より現職。

現代の教育は多様化。それも反復の過程に過ぎない

―― リスキリングがブーム的に広まり始め、放送大学でも学生数や人気の専攻などに変化があったのではないでしょうか。

岩永 コロナ禍の影響もあり、学生数はやや増加しました。量的変化より、肌感覚として特に若い世代の学生の間で選ばれる専攻に変化が出てきたとは感じています。

 放送大学は伝統的に教養教育を旗印に掲げてきましたが、今支持を伸ばしているのは実学的な分野ですね。具体的には情報系や語学系です。情報系については、DXの必要性が叫ばれる現在、若い人の関心が高まるのは自然なことです。語学系では、例えば同じ英語でも、医療英語、経済英語といったように、特定の目的に沿った語学を学ぶ人が増えた印象があります。

―― 幅広い年齢層の学生さんがいると思いますが、年齢による学び方の傾向はありますか。

岩永 若い人にとっては何を学んでも新しいこと、経験のないことですから、先生や指導者に教わった通りに覚えるのが優等生ですよね。しかし放送大学の学生さんには既に社会経験、学習経験が豊富な人が多いですから、手取り足取り教わったことを吸収するという学び方をする人ばかりではありません。特にミドル層と言われる40~50代では、これまで自分が蓄えてきた経験知を、学問知のなかに体系づけて理解し、納得するというスタイルで学ぶ人が多いですね。リスキリングに当てはめてみても恐らく同じことで、年代によっても効果の高い学び方は異なると思います。

―― 岩永さんは教育社会学の専門家でもありますね。研究分野についてお話しいただけますか。

岩永 教育社会学というのは、教育という事象を社会事象として社会学的に捉えるという学問です。勉強することが良い悪いとか、どういった学び方が効果的かといったことではなく、あくまで客観的に教育の仕組みと働きについて研究します。

 なかでも私は、勤め先が放送大学になったこともあり、成人学習や生涯学習を主なテーマとしています。時系列的に、この時期にこういう成人学習が重んじられたのはなぜか、背景に何があるかといった研究もしてきました。

 生涯学習の潮流が起きたきっかけは、1965年、ユネスコの成人教育会議で、当時成人教育課長だったフランスのラングランが学校教育の行き詰まりを訴えたことです。18歳頃までの子供たちに型通りの教科書で同じことを学ばせ、就職したらもう学ばなくてよいというのがそれまでの学校教育でした。しかし18歳までに学ぶべき内容を吸収できない人もいますし、18歳以上の人も技術の進歩や世の中の変化にあわせて学んでいく必要があると、硬直的な学校教育に対するアンチテーゼを語り、生涯にわたる教育を提唱しました。

 この生涯学習という概念を欧米から日本へ持ち込んだのが、波多野完治先生。しかし当時の日本では学校教育の在り方に異議を唱える人は少なく、海外での一種の流行りとして持ち込まれたようなものだったので、すぐに定着はしませんでした。以降数回にわたってブーム的に成人学習、生涯学習が叫ばれる時期があり、今に至っています。

―― そうした研究を長年されてきた岩永さんは、今のリスキリング熱に対して率直にどういった印象を持っていますか。

岩永 良い方向に向かっていると思いますよ。教育というのは最終的には総合的な社会の営みだと思いますから。

 私は才能教育も専門にしているのですが、これは生涯学習と対極の概念だと捉えられることが多いんです。才能教育は子供やごく若い人のためのもので、生涯学習は大人からお年寄りのものだと。しかし実際はどちらも根っこは同じです。才能教育のためには、学校教育から離れた別の仕組みが必要になる。その才能教育の仕組みの、時系列的な延長線上にあるのが生涯学習です。

 放送大学の理念でも「ひとりひとりに最適な学びを」と謳っていますが、個人の能力や学ぶ目的により、異なる教育を提供することが一般的になりつつあります。一言で言えば教育の自由化、多様化。これは現代的な流れです。

―― 現代的とはどういう意味でしょうか。

岩永 歴史をみていると、教育というのは画一化と多様化の間を行き来しています。たとえば戦争前になると画一化の方向に動くことが多いですね。

 実例として、アメリカにおける成人学習の起源のひとつになった、「アメリカナイゼーション」が挙げられます。総力戦となった第一次世界大戦時、戦地に動員された移民に指示が行き渡らないなどの不都合があったことから、彼らにアメリカ人としての素養を身に付けさせるという動きが起き、終戦後も継続的な流れになりました。多様なバックグラウンドを持つ移民を一様に「アメリカナイズ」するわけですから非常に画一的です。

 それに対し、平和が長く続くと多様な人々に多様な需要が生じ、その需要に応える動きが盛んになります。現代は、教育以外にもさまざまな場面で多様性に沿った世の中を創ろうとする姿勢がみられます。

 ただ、国外では戦争も起きていますし、ごく近い将来何かのきっかけでまた画一化の方向に傾く可能性はあります。昔から教育という営為はその繰り返しで進んでいるのですから、現代の多様化の動きも、歴史のなかで見れば反復のひとつに過ぎないはずです。

学びは回り道の連続。心に余裕を持って取り組むべき

リスキリング特集 岩永雅也 放送大学
リスキリング特集 岩永雅也 放送大学

―― これからリスキリングに対する人々の姿勢はどうなっていけばいいと思いますか。

岩永 学長の立場からすれば、みんな放送大学に入って学んでくれたらいいなと思いますが(笑)。

 しかし怠け者の私個人からすると、みんながみんなまなじりを決して何かしら学んでいる社会というのは、なんだか怖いような気もするんですね。もっと余裕が必要だと思います。

 これまでいろんな人と接してきましたが、賢い人、知恵のある人というのはだいたい余裕のある人。余裕なく勉強、仕事している人は、どんなことに直面しても画一的な対応しかできませんから。藤井聡太さんや大谷翔平選手を見ていても感じますが、「俺はみんなよりも一歩先を行ってるぞ」という余裕があれば、どんな状況にも対処できるんじゃないでしょうか。リスキリングに携わる人々にもそういう余裕があればいいと思います。

―― もし今「学ばなければ食っていけない」、「日本は海外よりも遅れているから学ばないといけない」などという強迫感に駆られてリスキリングする流れになっているのだとすれば、その余裕とは程遠い気がします。

岩永 行政や政治が旗を振りだすとそうなりがちなんですね。理想的なのは人が学べる仕組みだけ用意して、あとは必要性を感じた人がやってくださいという形。

 話は少しずれますが、社会が複雑化してきて、いまや新聞を読みさえすれば世界が理解できる時代ではなくなりました。そうなるとみんな面倒だから、楽に効率的に分かったつもりになって、短絡的に考えるようになる。

 でも学びというのは迂回的なもの。回り道の連続です。将来こうなるためにこの資格が必要だからこの学校に行って……と考えて実行するのはとても迂回的なんです。それが大変だからみんな、回り道じゃない楽な道が提示されるとついそちらに行きたくなってしまう。しかし国全体でその状態が続くと、回り道の意義をきちんと理解してそこに投資しながら学んでいく人とそれができない人に二極化していき、あらゆる分断のきっかけになります。そうならないために行政も企業も個人も余裕を持って学びと向き合うべきときです。

 放送大学としても常に、「学びにおける迂回は無駄じゃない。むしろその迂回こそ一番大事で充実した、あなたたちを裏切らない王道なんだ」ということは訴え続けていきたいですね。