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収益の多様化をねらうMastercardの買収戦略 内山 憲 日本地区社長

内山憲 マスターカード

キャッシュレス決済の主流は依然としてクレジットカードだ。2千兆円を超える日本の個人金融資産を見据えつつ、国際決済ネットワーク・ブランドのMastercardも、さらなる日本のキャッシュレス化に期待している。同社は生体認証をはじめ、先端テクノロジーを活用したサービス提供を視野に入れ、積極的な企業買収に取り組んでいる。聞き手=金本景介(雑誌『経済界』2023年9月号 「さよなら現金!! キャッシュレス本格到来」特集より)

内山 憲 Mastercard日本地区社長のプロフィール

内山憲 マスターカード
内山 憲 Mastercard日本地区社長
うちやま・けん 筑波大学物理学科にて学位を取得。Mastercard Advisors事業の日本地区責任者を経て2022年5月より現職。Mastercard入社以前は、日本オラクル、マッキンゼー・アンド・カンパニー、GE等で幅広い役員および管理職を歴任。

個人金融資産2千兆円を消費させる環境をつくる

―― 日本のキャッシュレス(CL)比率は36%(2022年時点)に過ぎません。この環境を踏まえた上でMastercardはどのような国内戦略を打ち出しますか。

内山 日本のCL比率はOECD(経済協力開発機構)に加盟している他の先進国と比較して低い分、伸びしろがあります。日本戦略として3つの柱を考えています。

 まず1つ目は不正の撲滅です。当社だけではなく、これはCL業界全体、さらに官民連携で取り組む必要があります。最優先で進めるべき課題です。

 2つ目として、2年前に2千兆円を越えた巨額の個人金融資産を、より消費に向かわせるような環境づくりです。当社がこの消費のエコシステムの一部として機能しつつ「安心・安全・便利」な消費環境を整えていきます。

 そして3つ目が、当社が持つグローバルネットワークを活用し、日本の魅力をインバウンド旅行者に訴求して地域経済を活性化することです。地方自治体向けには歳出管理をはじめペイメント周りの行政DX推進もサポートしています。

―― 国内のCL決済のうち、クレジットカードは8割以上を占めていますが、QRコード決済の割合も着実に増えています。どのように差別化を図りますか。

内山 まず全体のCL比率を増やすことが先決だと考えています。ですから、多くのCLの選択肢の中で、それぞれの消費者が、一番良いと思う決済方法を用いるべきです。そして、QR決済とは協業の余地も大きいと考えています。

 例えば、QR決済は海外に出かけた時に、まだまだ使えない国も多いので、そのような地域でシームレスに当社の決済ネットワークにつながるような仕組みも始めています。

―― クレジットカードをスマホに紐付けた決済も強化しています。プラスチックカードがなくなることは考えられますか。

内山 スマホの電池が切れた時にどうするのかといったような懸念をはじめ、一定のニーズがありますので、プラスチックカードが完全になくなることはありません。しかし、プラスチックカードを使い続けていると考えられがちな高齢者の方のスマホ利用率は、実は想像以上に高い。今後クレジットカードのスマホ決済はさらに浸透していくはずです。

テック企業の買収でサービス拡充をねらう

―― スタートアップへの投資や買収に積極的です。

内山 自社の国際決済ネットワークを使用した決済プログラムの提供といった伝統的な事業に加え、現在は当社の収益の約3分の1を「付加価値サービス」が占めています。先端的な技術を応用したサービスを、当社のネットワークに乗せて提供しています。当然、不正防止のソリューションもここに含まれます。

 昨年はセキュリティの有効性を検証するサイバー攻撃のシミュレーションプラットフォームを手掛けるPicus Security社に投資し、Mastercardの新サービスとして展開しています。当社のネットワークも全体のシステムの一部ですから、当社だけではセキュリティは完結しません。当社と取引をしている顧客企業も同じように防御力が高まらなければ、確実な安全は実現できません。

 攻撃者に比べて、セキュリティの場合は、一部の隙もなく全方位で守らなければならず、高い技術レべルが求められます。各社が個別に対応するのは難しい。そこでプラットフォーム的な立場にある当社がこの新しいサービスを用意し、エコシステム全体で活用してもらうことが重要だと考えています。

―― 買収先のテクノロジーを日本で展開する際に、特にどのような点を考慮していますか。

内山 ローカライズは欠かせません。日本の環境を踏まえると、高齢者でも使いやすいものが重要になります。そして特に高齢化社会での不正対応という観点が重要です。通常、CLで不正対応しようとすると、スマホの操作も手続きが複雑になります。つまり、先端テクノロジーと使いやすさはトレードオフの関係にありました。

 当社はこのトレードオフを解くようなソリューションを自社開発しつつ、そのような技術や知見を持つ企業を積極的に買収しています。不正防止の精度を高めるとともに、使いやすさも担保するサービスです。その代表例としては生体認証が挙げられます。

―― 指紋や顔、静脈、音声による認証が主流です。

内山 さらに決済において同様に重要なのは「行動的生体認証」です。スマホでパスワードを打つ時の、キーを打つリズムや、スマホを縦か横どちらで用いているかといった点からの多段階認証となります。当社は、カナダの行動的認証を手掛けるNuData Security社を買収しました。この技術は日本でこそ活用されるべきです。

―― 日本地区社長に就任したのは昨年5月のコロナ渦のさなかです。現在、消費動向の変化を感じますか。

内山 インバウンドの水際対策が大幅に緩和された2022年の10月から潮目が変わり、インバウンドが増え、コロナ禍前の状況に戻ってきましたが、消費の中身は以前とは変わってきています。

 例えば世界的なインフレにより、日本のインバウンド需要が高まっていますが、これは一時的なペントアップデマンド(繰越需要)も含まれており、一時的需要増と恒久的な需要増を切り分けて、設備投資等を行わないと、中期的にはオーバーキャパシティに苦しむことになります。

 このような決済データから見える市場動向を顧客と共有しつつ、今後5〜10年先を見据えた健全なビジネスの成長をパートナー企業、政府・自治体と共に実現していくことが、当社のミッションです。