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観光立国実現に事前決済が重要なワケ 上田泰志 JTBビジネスイノベーターズ

上田泰志 JTBビジネスイノベーターズ

コロナで水を差されはしたものの、観光ビジネスは日本の貴重な成長産業として期待を集める。しかし、観光業は生産性の低さが目立つなど課題も多い。さらには訪日客の増加に伴ってノーショウ問題が深刻さを増す。キャッシュレス決済は観光業にとってどんな意味を持つのか。文・聞き手=和田一樹(雑誌『経済界』2023年9月号 「さよなら現金!! キャッシュレス本格到来」特集より)

上田泰志 JTBビジネスイノベーターズ代表取締役のプロフィール

上田泰志 JTBビジネスイノベーターズ
上田泰志 JTBビジネスイノベーターズ代表取締役
うえだ・やすし 1988年 日本交通公社(現 JTB)に入社し、ジェイティービーモチベーションズ 代表取締役、JTB執行役員等を経て、2023年より現職。JTBグループの目指す「交流創造事業」の成長に向け、新たな価値を創出するイノベーションに取り組み続けている。

生産性が著しく低い観光業の現実

 アベノミクスの柱の一つとして訪日外国人観光客の拡大を打ち出したこともあり、2018年にはインバウンドの旅行者数が3千万人を突破し、観光立国への道筋が整いつつあった。しかし、その裏では観光産業の生産性の低さが指摘されてきた。各産業に従事する就業者が、1人当たり1年間でどの程度のGDPを生産したかを示す調査を見ると、18年時点の製造業の労働生産性が1094万円なのに対して、宿泊・飲食サービス業の労働生産性は318万円。観光業の労働生産性は圧倒的に低いことが分かる。

 JTBグループでITや決済に関する事業を展開し、全国約4千の宿泊施設にキャッシュレス(CL)決済端末を提供するJTBビジネスイノベーターズ(JBI)の上田社長は「観光業は生産性に課題を抱えています。特に宿泊業においては、チェックインや精算などのフロント業務のプロセスで多くの時間を使っています」と指摘する。

 決済プロセスは宿泊業で大きな付加価値を生み出す業務とは言いにくく、仮にCL決済が浸透することで業務を簡略化できれば他の産業以上に生産性向上が期待できる。また、観光業界はコロナ禍で働き手が大量に流出しており、足元の人手不足も深刻だ。こうした面でも労働環境の効率化は喫緊の課題となっている。

 ただ、観光業界は日本社会全体でCL化の必要性が訴えられるよりも早い段階でその重要性が指摘されていた。理由は外国人観光客の誘致拡大である。日本に比べて海外の方がCLは浸透しており、わざわざ日本円を用意する手間が必要となれば一定の機会損失が生じる。日本の人口が減少傾向なことも相まって、観光業の成長はいかに訪日客を誘致するかが重要なポイントだった。そのためクレジットカードを使用できる環境を広げることが重要な課題となっていたのだ。一方で、訪日客の増加に伴って顕在化してきた別の問題もある。予約したのに実際には来ない客(ノーショウ問題)である。

 「訪日旅行者ですと日本人のように人物情報や連絡先が詳細に把握できないまま予約が入り、当日来なかった場合にキャンセル料を徴収できないケースがあります。例えば中小規模の宿泊施設で20室しかないところ2部屋がノーショウとなってしまうとまさに死活問題です」(上田氏)

 訪日客の利便性向上のためにクレジットカードを使用できる環境を充実させても、現地決済を行っている限りノーショウ問題の根本的な解決にはつながらない。観光業の生産性向上に加えて、ノーショウ問題のリスクに対処するためには事前決済型CLを推進していく必要性がある。

 エクスペディアやブッキングドットコムなどのオンライントラベルエージェント(OTA)経由での申し込みであれば、旅行者はOTAに決済をし、宿泊施設にはOTA経由で決済がなされるため実質的に事前決済が完了している状態である。しかし近年は、OTA経由で集客しつつ自前のサイトからも予約を受け付ける宿泊施設が増えている。ホテルや旅館など観光事業者がInstagramなどのSNSを通じてダイレクトに旅行者の認知を獲得できるようになったことに合わせて、予約まで自社で手掛けるのが潮流になりつつあるのだ。

 こうしたニーズの変化に対応するため、JBIでは直接予約・事前決済のためのシステム「JTB Book&Pay」(B&P)を提供している。B&Pは一般旅行者にはあまり知られていないが、導入している宿泊施設は全国で約3千に及び、私たちが宿泊施設のウェブページから直接予約を行う場合、裏にB&Pのシステムが入っていることも多い。宿泊施設が自前で予約システムを構築・管理するのは負担が大きく、また小規模事業者がクレジットカード会社と直接交渉する場合、手数料が割高に設定されてしまう場合もある。B&Pでは、JTBグループ全体での取り扱い規模をベースにカード会社と交渉することで、宿泊施設が直接交渉するよりもリーズナブルな料率を実現。特にここ数年で導入する宿泊施設が増加しているという。

 大阪・関西万博に合わせて多くの訪日客が訪れることが期待される。観光業の生産性を向上し、ノーショウを未然に防ぐためにも事前決済の重要性が増している。

キャッシュレスをデータ利活用の入り口に

―― 決済領域におけるJBIの強みは何ですか。

上田 JTBグループは観光事業者としての長い歴史で培ったみなさまとの関係性がありますので、長期的な視点を忘れずに、ツーリズム産業全体の生産性、収益性の向上に貢献していきたいと考えています。 

 そのためにも、当社は旅行×IT・デジタル×決済を事業の柱にしており、提供しているサービスは幅広いですが、例えば決済端末だけとか、事前決済システムだけではなく、それぞれの施設の課題に応じて、最適な組み合わせを提案することを大事にしています。

―― 今後の観光業発展のために決済領域で必要なことは何ですか。

上田 決済データ利活用の重要性は高まっています。昔は例えば東京などから観光地へ「送客」することがメインでしたが、近年は地域の魅力をアピールし、お客さまに来ていただく「誘客」の視点が重要になってきました。ここで大事になるのは、旅行客の回遊化を促したり、新規顧客を呼び込んだり、再来を促すCRM的な働きかけをするために、旅行者のデータを分析して効果的なプロモーションを行うことです。

 これまで人の移動データや旅行者の属性に関する情報はそれなりに蓄積されてきましたが、特定のエリア内で旅行者がどのようなお金の使い方をしたかというデータはなかなか連携できていなかった実情があります。ここはJTBグループ全体としても大きな課題だと思っており、CLが普及することでデータの集約を実現しやすくなると考えています。

―― 単純に決済手段をグローバルスタンダードにする以上の意味があるわけですね。

上田 そう思います。われわれにとって、すでに有名な観光地へより多くの方に利便性よく訪れていただくことも大きな役割ですが、もう一つ重要な課題は、まだまだ魅力が広く知られていない場所にも多くの方に訪れていただき、交流・回遊を促進することです。決済する手段がないので交流も体験もできませんでは話になりませんので、CL決済の仕組みを導入していくことは大事です。また、そこで蓄積されたさまざまなデータを用いて効果的なプロモーションを行うことでさらなる交流を創造することが私達の使命だと考えています。