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第5の治療法「光免疫療法」苦しいがん治療の常識を覆すか

小林久 隆 アメリカ国立衛生研究所(NIH)

がん三大療法、免疫療法に続く「第5の治療法」として近年注目される光免疫療法。2012年にはアメリカのオバマ元大統領が年頭の一般教書演説で言及するなど、開発当初から注目を浴び、現在さまざまながんへの適用を目指している。どんな治療法なのか。文・聞き手=小林千華 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2023年11月号 巻頭特集「ベンチャーが導く『がん治療』革命」より

楽天が注力するがん治療

光免疫療法_図
光免疫療法_図

 「『これは、いける。』直感的に、そう思った。それは、インターネットが世の中を変えると確信したときと同じような感覚だった。」

 この言葉は、楽天グループ創業者・三木谷浩史氏が、自身が会長を務める楽天メディカルの公式サイト内「CEOレター」で、光免疫療法に出会ったときの印象について語ったものだ。

 2012年、三木谷氏の父がすい臓がんを患った。三木谷氏が新たな治療法を求めて世界中の論文を読みあさり、さまざまな医師の話を聞くなかで目に留まったのが、当時まだ開発初期段階にあった「光免疫療法」だった。これに可能性を感じた三木谷氏は、開発者である小林久隆医師の研究を個人的に支援し、その後この治療法の独自ライセンスを取得していた米バイオベンチャーに出資。日本法人を設立し、19年に社名を楽天メディカルとした。同社は小林氏らの開発した光免疫療法の技術をもとに、独自の医薬品や医療機器といった技術基盤「アルミノックスプラットフォーム」を構築。それらを用いた治療を研究している。

 光免疫療法の手順は以下の通り。まず光に反応する薬剤を投与し、がん細胞に付着させる。次に1日ほど時間を空け光(近赤外線)を当ててがんを破壊する。

 第一段階で投与する薬剤は、IR700という青色の蛍光物質と、免疫学で「抗体」と呼ばれる物質を混ぜたもの。抗体とは、がん細胞の表面にみられる特殊なタンパク質にだけ結合する物質だ。また、照射に用いる近赤外線は、テレビのリモコンなどにも用いられる光で、人体に害を及ぼさない。この光を照射すると、事前に投与した薬剤に含まれるIR700が化学反応を起こし、結合したがん細胞の表面に無数の傷がつく。この傷により、まるでダイナマイトが仕込まれたかのようにがん細胞が壊れていくという。

 このとき、免疫機能は死なずに正常に働き続けるのが特徴だ。壊れていくがん細胞からは特有の物質(抗原)が放出されるので、それに反応して体はがん細胞への免疫を活性化させる。がん細胞の破壊と免疫の活性化を両立できる点が画期的なポイントだ。

 現在光免疫療法は、頭頚部のがん(口腔、舌、咽頭など)について、従来の治療法で治療後、再発して手術などができない場合にのみ適用される。これらのがんは脳に近い位置にできるため治療法が制限され、仮に治療できたとしても、手術や放射線治療では、顔などの目立つ場所に痕が残ることもある。人体に無害な光を使った治療法が特に有効だ。楽天メディカルは現在、適用範囲を他のがんにも広げるべく、研究開発を続けている。

 「がんだけ壊す」という言葉だけ聞けば単純で何でもないことのように思えるが、これまでの医学の常識では不可能だった。もし光免疫療法によって、あらゆる症例で「がんだけ壊す」が実現できるなら、がん治療の歴史にまさにインターネットの登場に匹敵するインパクトをもたらす可能性を秘めている。つらく苦しいイメージのあるがん治療に、パラダイムシフトは起きるか。

「がんだけ壊す」を叶えたかった 小林久 隆 アメリカ国立衛生研究所(NIH)

小林久 隆 アメリカ国立衛生研究所(NIH)
小林久隆 アメリカ国立衛生研究所(NIH)主任研究員
関西医科大学特別教授 附属光免疫医学研究所所長
こばやし・ひさたか 1961年、兵庫県生まれ。95年、京都大学大学院医学研究科を修了し、アメリカ国立衛生研究所(NIH)臨床研究センター研究員に。98年に帰国し、京都大学医学部助手を経て、2001年に再渡米。05年より現職。22年、関西医科大学に新設された光免疫医学研究所にて所長に就任(現任)。

今後は他のがんにも適用を

—— どのような経緯で光免疫療法の研究にたどり着いたのですか。

小林 もともと放射線科の医師として臨床の現場にいたのですが、従来の治療法では、がんを患った患者さんの体はどうしてももとに戻らないことに心を痛めていました。がんが治せても、体は修復困難なダメージを負うことがこれまでの常識でした。「がんだけを取り除けて、かつ免疫力を落とさず後遺症も残さない治療法はないか」と考えたのが研究を始めたきっかけです。

 そこでがんができる仕組みに立ち返って考えると、人間の体では、遺伝子のコピーミスによって毎日のようにがん細胞が生まれています。普通は免疫の働きで壊すことができるけれど、何らかのきっかけでそれがうまくいかなかった場合がんにつながるわけです。ならば、どうにか免疫と新しい治療技術を組み合わせてがんの治療ができないかと試行錯誤した結果、光免疫療法が生まれました。

—— これからさらに進化させていくポイントはどこだと考えますか。

小林 やはり、より多くのがんに適用されるようにしていくことです。現時点で承認されているがんの治療で実績と資金を作れば、他のがんの治験などに生かせます。薬事承認までの一連の流れにはお金も時間もかかりますが、一刻も早く多くの患者さんにこの治療法が行き渡ればと思います。

—— 三木谷浩史氏との出会いについても教えてください。

小林 彼が光免疫療法に可能性を見いだしたのは、「とにかくがんだけを壊すという発想が、非常にシンプルで腑に落ちるものだった」からだと言ってくれています。

 それにこれから頭頚部以外のがんへの適用を目指すわけですが、理論上この治療法の薬剤は、中に入れる抗体をそれぞれのがんに合ったものにすれば、あらゆるがんに応用できるはずです。そんな経済的・経営的合理性も、経営者の彼にとっては支援の決め手になったのではないかと思います。

 私自身は楽天メディカルには籍を置いておらず、光免疫療法の開発者として、必要に応じて助言などをするのみです。その方がお互いフラットな立場で、この治療法をより多くの患者さんに広めるための議論ができると思うからです。まだ、頭頚部の一部のがんを除いては薬事承認が下りていませんし、技術もこれからさらに完成を目指していくフェーズ。経済的利益に引っ張られない目線が必要な時期だと思っています。