経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

血液や尿でがんを見分けるスクリーニングの新常識

広津崇亮 HIROTUバイオサイエンス

がんは早期発見で治る可能性が高まる。そのため厚生労働省はがん検診を推進しているが受診率は低い。受診者にとってエックス線や内視鏡を使った検査のハードルが高いことが原因ならば、血液や尿の採取だけで済む〝入り口の検査〟を用意するのががん検診市場の新しい常識だ。聞き手=萩原梨湖 Photo=横溝 敦(雑誌『経済界』2023年11月号 巻頭特集「ベンチャーが導く『がん治療』革命」より

全身を網羅するがん検査。一次スクリーニングの役割

 がんに罹患した人の平均5年生存率は6割程度だが、現在は進歩した医療のおかげで早期発見さえできれば9割ほどを完治させられるという。
 日本政府は早期発見、早期治療によりがんの死亡率低下を目的に、五大がん検診(胃、大腸、肺、乳腺、子宮)の受診を補助している。しかし五大がん検診の受診率は、欧米が70%以上であるのに対し、日本は30~40%とかなり低いのが現状だ。

 2014年に内閣府が行った「がん対策に関する調査」の結果によると、日本人の低受診率の原因は、「受診する時間がない」ことや「受診費用が負担になる」ことだと分かった。がん検診は、対象となるがんの部位ごとに受ける必要があり、医療機関によっては一度に複数部位の検診ができない場合もあるため簡便だとは言いがたい。それに、健康な人の中からがんの人を見つけるのは意外と難しく、例えば肺がん検診の受診者が1万人いるとするとその中から160人が要精密検査となり、その中で肺がんが見つかるのは3人という割合だ(厚生労働省「平成29年度地域保健・健康増進事業報告」より日本医師会が割合を計算)。がんと診断される確率が低いにもかかわらず、いくつものがん検査にお金や時間を使えないという人がいるのもうなずける。

 そこで、がん検診をもっと簡単に全身網羅的にできないかという発想で今発展しているのが、内視鏡検査やマンモグラフィーなどの一次スクリーニングよりも手前の検査として定義される「リスクスクリーニング検査」だ。従来は五大がん検診によりがん種を特定、その後精密検査でがん組織を観察し、がんの診断が下されるという流れだったがリスクスクリーニング検査を用いることで、がん罹患のリスクが高い人の発見やがん種の特定の効率化を図ろうという。

 例えば大手食品メーカーの味の素は、創業時からアミノ酸の研究を中心としてさまざまな事業を展開してきた。その中で「アミノインデックス」というがんのリスクスクリーニング検査を開発し11年に実用化した。この検査では、約5ccの採血から血液中のアミノ酸濃度バランスを測定することによって男性5種女性6種のがん罹患の可能性を3段階に分けて評価する。これはアミノ酸濃度バランスを疾病のバイオマーカーとする方法で、がん細胞から出るタンパク質を検出する腫瘍マーカーとは異なる特徴を持つ。腫瘍マーカーは、がんが大きくなるにつれて感度が高まるため早期のがんを見逃してしまう可能性が高い。一方、アミノインデックスは、がんが早期の段階からアミノ酸濃度バランスが、変化することが分かっているため、早期からの発見が可能だ。

 アミノインデックス事業部長の影山陽子氏はアミノインデックスの位置づけについて、がん検診領域における入り口にあたる検査だと語る。

 「これまでがん検診を受けてこなかった方や、いきなり機械で検査するのは怖いという方に受けていただき、国が推奨する検診を受けるきっかけにしていただければと思います」

 HIROTSUバイオサイエンスは、尿を提出するだけで簡単に全身のがんリスクを判定することができる検査「N-NOSE」を提供している。受検者の尿から線虫の嗅覚を使ってがんを検知する仕組みだ。20年1月の実用化以降、3年間で40万人以上が受検、導入企業数は23年7月時点で1700社を超えている。

 がん検査の入り口になる条件について社長の広津崇亮氏は、簡便さ、全身を網羅していること、価格の安さ、精度の高さの4つだと語る。N-NOSEでは尿の提出のみで簡単に全身網羅的な検査ができることに加え、価格の安さと精度の高さにも誇りを持つ。

 「これらの条件をクリアできたのは線虫を使ったからです。線虫は飼育コストが安く済むため低価格で検査を提供できます。また生物の嗅覚は機械のように周りのノイズを拾うことがないため、機械では到達できないレベルの精度を保つことができます」

 価格の安さが海外からも注目を集め、23年6月にはWHO財団などが設立したGlobal Health Equity Fundとの覚書を締結した。WHOの支援を受け、国外では医療体制が整っていない国々への普及を目指している。

HIROTSU流バイオベンチャーの戦い方

広津崇亮 HIROTUバイオサイエンス
広津崇亮 HIROTSUバイオサイエンス社長
ひろつ・たかあき 1997年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了。同大学院理学系研究科博士課程で、線虫の嗅覚に関する研究を始め、2001年博士課程修了。日本学術振興会特別研究員、京都大学大学院生命科学研究科研究員、九州大学大学院理学研究院助教などを経て16年に起業。

―― ベンチャー企業として設立してから7年間、どんな苦労がありましたか。

広津 いろいろありますが、特に大変だったのは資金調達です。既存のがん検査市場は小さく、医療ベンチャーに投資するVCや製薬会社は市場の大きい治療にばかりに目を向けていたためです。しかしこの検査は既存の五大がん検診や精密検査とは対象が異なります。「がん検診の入り口という新しい市場を切り開く検査だ」と事業計画を通じてアピールしたところ、当社のターゲットが幅広い層にあたることを理解してもらうことができ、事業内容に興味を持ってもらうことにつながりました。

 そして臨床研究の段階では資金を抑える工夫を行いました。われわれの研究を医師に手伝ってもらうやり方ではなく、医師の研究を当社が手伝う形にし、論文を書く権利もその医師に譲渡することでほとんどお金をかけずに臨床研究ができました。

―― 今後N-NOSEをどのように進化させていきたいですか。

広津 N-NOSEはがんの有無を検知する技術です。特殊線虫を用いた次世代検査では、がん種を特定することができ、第一号としてすい臓がん特定検査をローンチしました。ここからさらに特定できるがん種を増やし、最終的には、尿だけですべてのがん種を特定できて、あとは精密検査を受けるだけという状態にすることが目標です。

 また、小児がんの検査としての活用も視野に入れ研究を進めています。子供は大人が行うような内視鏡やマンモグラフィーのような検査を受けられないため、症状が出てから発覚して手遅れになるケースが多くあります。小児がんは大人のがんに比べて抗がん剤が効きやすいため、早期発見さえできれば大人のがんよりも治療がしやすい。今は臨床研究の段階ですが、尿の採取のみで受けられるという利点を生かし、子供から大人まで全員が受検できるようにしたいです。