東京応化工業は半導体製造に欠かせないフォトレジストの世界シェアナンバーワン企業。日本の半導体産業が衰退していく中、積極的に海外に進出して、世界一の地位を手に入れた。お客さまとのすり合わせが半導体作りの本質だという種市順昭社長に東京応化工業、そして日本の部品メーカーの強みを聞いた。聞き手=佐藤元樹(雑誌『経済界』2023年12月号「日本半導体の行方特集」より)
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種市順昭 東京応化工業社長のプロフィール
―― 国内の半導体製造メーカーは軒並み売り上げを落としていきました。しかし部品メーカーは今も世界シェアのトップを維持しています。この差はなんでしょうか。
種市 日本人は昔から顧客の声に丁寧に耳を傾けながら非常に細かい要望にも応えるものづくりをしてきました。今もその姿勢は変わっていません。
当社では半導体の電子回路を描くために使用されるフォトレジストという薬剤を作っています。フォトレジストをウエハーの上に塗布して、フォトマスクという回路の設計図を通してウエハーに光を当てることで像を描いていきます(35ページの半導体製造方法に図を記載)。
しかし光はどうしてもぼやけてしまうので、設計図通りの回路を描くことが非常に困難です。これを極力忠実にするために、お客さまの要望とすり合わせて、それこそ一滴よりも細かいレベルで配合量を調整していきます。そういった究極のすり合わせができるのは日本ならではの強みです。
―― つまり顧客ごとにワンオフのフォトレジストを作っているんですね。
種市 その通りです。しかし、それがこの業界の参入障壁の高さにつながっています。フォトレジストの工程は40回以上同じような作業を繰り返すのですが、たった一つ何かを変えてしまうだけで、全てのバランスが崩れてしまいます。顧客からするとすごいリスクを負うことになります。逆にいえば、簡単に他社に乗り換えられない強みにつながります。
―― その参入障壁をどう乗り越えたんですか。
種市 海外で頑張りました。当社が一番最初に進出したのはアメリカです。当時は日本の半導体メーカーもアメリカに進出していたので、われわれも一緒に行って、アメリカで日本のお客さまをサポートするところから始めました。そこから徐々にアメリカのメーカーとも、取引をするようになっていきました。アメリカでも受け入れられた後は、韓国、台湾にも進出しました。日本の半導体産業が少しずつ弱くなってきた時も積極的に海外の半導体メーカーに出向いて、すり合わせをやり続け、ここまでやって来れたのが秘訣だと思います。
―― 昨今、日本の半導体産業が盛り返しつつありますが、今の状況をどのように見ていますか。
種市 半導体はパソコン、スマートフォンだけでなく、最近では自動運転やロボットなどさまざまなデバイスで使われています。さらに脱炭素に向けて電気エネルギーを有効に使うといったところでも半導体が着目されています。つまり社会インフラ的な成長を始めたというのが今の半導体産業なのだろうと思います。社会がさらに豊かな未来に向かって進化していくときに半導体は必須です。足踏みしたりする状況はあると思いますが、長期的にもマクロ的にも成長していく産業だと思います。