これまで現経営陣が専権事項で決めてきた社長人事を、社外取締役も交えた指名委員会の場で議論する企業が増えている。こうした変化は、企業のコーポレートガバナンス改革の流れで起こっている。しかし、ガバナンス改革は取締役会自身の変化でもあり簡単ではない。この難題に挑んだのが大丸松坂屋百貨店を運営するJ.フロント リテイリングだ。文・聞き手=和田一樹 Photo=山内信也(雑誌『経済界』巻頭特集「社長の選び方特集」2024年1月号より)
山本良一 J.フロント リテイリングのプロフィール
きっかけはCGコード。あるべきガバナンスを求めて
呉服系百貨店のひとつ、大丸。300年以上の歴史を持つ老舗百貨店は、2010年に松坂屋と合併し、大丸松坂屋百貨店になった。合併に先立つ07年、両百貨店の共同持ち株会社としてJ.フロント リテイリングが誕生している。大丸で03年から社長を務めたのが山本良一・現J.フロント リテイリング取締役会議長だ。山本氏は、大丸の社長を合併まで務め、合併後の大丸松坂屋百貨店でも社長として経営を担った。
13年、山本氏はJ.フロント リテイリングの社長に就任した。この頃から、少しずつではあったが日本の新聞や雑誌でESGという言葉への注目が集まり始めた。さらに、15年にはコーポレートガバナンス・コード(CGコード)が公表されることになっていた。そんな折、山本氏はある銀行主催のCGコードに関する講座に出席する。そこでは、コードで示される原則について解説がなされた。これがひとつのきっかけとなる。
「ガバナンスについて考えてみると、取締役会は私が大丸の社長になった03年からさほど変わっていない。決していい加減にやっていたわけではないですが、まだまだ質を上げる余地がありました」
ここから山本氏の取締役会改革が始まった。山本氏は1973年に大丸に入社してから、営業改革や事務部門の改革を押し進めてきた。業務執行に関わる組織の改革にまい進した半面、取締役会の改革が遅れていたことに気が付き、せっかくコードが示されるならば、それに沿って手本になるような企業を目指す。徹底的にやろうと腹を括った。
まず取り掛かったのは、第三者機関を使って取締役会の客観評価をすること。取締役会を客観評価するようになると課題は次々と明らかになった。個々に対応するだけでなく、さらに深掘りするために、社外取締役、社長、議長で構成する「ガバナンス委員会」を立ち上げた。そこで取締役会のあるべき姿について、自由闊達に議論を重ねた。議論の中で出した結論が「指名委員会等設置会社」への移行だった。
前稿でも見たように、日本企業の機関設計には3類型が存在する。その中で、採用する企業が最も少ない形式が指名委員会等設置会社だ。会社法で規定された「指名委員会」が社長を含む取締役の選解任を議論する設計のため、社長は後継者を独断指名できないし、ましてや業績が悪ければ自分が解任される可能性もある。また、指名委員会等設置会社における指名委員会は過半数を社外取締役で構成する必要があり、ある意味で社内の論理だけで役員人事を差配することができなくなる。
こうした事情も相まって、現在プライム上場企業で指名委員会等設置会社の形式を取る企業は4%程度しかない。
指名委員会等設置会社は、業務に関する権限の多くを執行役に渡し、取締役会はその監督に徹するモデルだ。監督サイドと執行サイドの職責が明確になり、よりシビアな経営が実現できる反面、組織の在り方の変化に全員が対応できるか分からない。それでも山本氏は、「百貨店という業態が苦戦を強いられ、本質的な企業改革をスピード感を持って進めるためには、監督と執行を分離することが最適」だと考えた。だからこそ、指名委員会等設置会社への移行を提案したのである。当時、他の役員からは「ルビコン川を渡る決断です。後戻りできませんよ」と、心配する声もあった。しかし、山本氏の決意は揺るがなかった。そして17年、J.フロント リテイリングは指名委員会等設置会社へ移行を果たす。
次期社長人事はトップの専権事項ではない
移行後は段階的に社外取締役の割合を増やし、現在は取締役11人のうち7人を社外の取締役が占める。指名・報酬・監査の3委員会それぞれで過半数を社外取締役が務め、委員長も社外の取締役が担う。山本氏は、20年5月に社長を退任し、取締役会議長となった。現在、指名委員会の構成は、山本議長以外は全員が社外の取締役となっている。現任社長の意見を聞く工程を設けてはいるものの、J.フロント リテイリングは、現任社長含め、執行サイドの役員が後継者の選定に関与しない形を取っているのである。
では、実際の社長選定プロセスはどうなっているのだろうか。17年に指名委員会等設置会社へと移行してから20年5月に好本達也社長が就任するまでの流れを例に見る。
指名委員会は、持ち株会社・J.フロント リテイリングの執行役以上、主要事業会社・大丸松坂屋、パルコの執行役員以上を対象としている。合計で20人ほどだ。専門のコンサル会社に依頼し、役員一人一人に3時間以上のインタビューを実施。加えてアンケートも行い、各人の人物像を深掘りした。問われた内容は、入社後の成果や人間関係に限らず、小・中・高校生時代のエピソードにまでさかのぼる。こうして戦略的思考力やリーダーシップ、組織開発力などの項目でコンピテンシーを採点。それがレポートにまとめられて、指名委員会での議論のベースとなっている。
さらに、指名委員会の委員たちは、候補者の取締役会での様子や、戦略論議をするために行った合宿での立ち居振る舞いも判断材料にする。レポートの内容と、実際の生の人物像を重ね合わせていくためだ。
候補者を年次で入れ替えたりしつつ、次期社長候補を絞っていった。好本社長が選ばれた際のプロセスでは、最大20人以上の候補者から6人のリストに絞りこみ、そのリストを基に指名委員会で最終的な議論をしたという。
「人選の説得力が違う。普通、社長交代会見で選定の理由を説明しようとしたって15分も持たないです。ところがわれわれの場合は1時間でもしゃべれる。公正性と透明性のあるプロセスが確立できました」
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監督と執行の両輪が機能してこそ企業価値はついてくる
―― 社長指名に関して大丸の歴史を振り返ると、山本さんの前任・奥田務さんは著書の中で「96年12月31日、下村社長に呼び出され『君、社長やれよ』と言われた」と述べています。その奥田さんから社長に指名されたのが山本さんです。しかも、山本さんは当時、取締役の経験もないまま社長になった、いわゆる抜擢人事でした。おそらく指名委員会では奥田さんや山本さんが指名されたような大胆な人事は難しいはずで、むしろ社長人事はトップの専権事項である方が業績に資するのではないですか。
山本 それは全く思わないです。たしかに、会社のことを一番分かっている現任社長が指名するのも悪くはないですが、人間のすることだから間違いはあるわけで、選考過程に透明性を確保することは重要です。その点、指名委員会のプロセスには少なくとも公正性と透明性がある。
それに、別に指名委員会が悪意を持って人選をしているわけではないですから。むしろ、経験豊富で視座の高いメンバーが選ぶからこそ、適任者を見極められるはずです。
―― J.フロント リテイリングの指名委員会には現任社長の好本社長が入っていません。ここまでこだわる企業はかなり珍しいです。指名委員会の形式に限らず、どうしてコーポレートガバナンスにこだわるのでしょうか。
山本 指名委員会等設置会社へ移行したのは、監督と執行を分離できる仕組みだからです。私が社長の時は、取締役会議長であり社長でもあった。ですから、事業戦略やM&A案件を進める立場であり、同時に議長として客観的に監視する立場でもありました。ある時には執行の帽子をかぶって発言し、今度は監督の帽子に変えて発言する。これはすごく矛盾しています。
その点、指名委員会等設置会社というのは、責任が明確に分離している。執行の責任者は代表執行役社長ですから、とにかく執行のスピードアップに全力を注いでもらう。監督は取締役会が担うので、厳しい目を向ける。難しいことは何もない極めてシンプルな形式です。日本企業ではまだまだ数は限られますが、もったいないことだと感じます。
―― コーポレートガバナンスコードはあるべき姿なのかもしれませんが、少し理想論すぎる気はしませんでしたか。
山本 それは全くなかったですね。経営者として、自分のやり方が正しいかどうかって、自分では分からない部分がある。コードにはあるべき姿が記されているわけで、そこに則って経営をすれば、まだまだ会社は良くできるんだと素直に感じました。ただ、結局はトップがどこまで腹を括って取り組めるかにかかっています。
コーポレートガバナンスは監督と執行が両輪で回ってこそ本質的な企業価値の向上が実現できます。その点では、まだまだ満足いく結果は出ていません。今後も、私は議長として企業価値の最大化に向けてまい進していきます。