日本企業でコーポレートガバナンスが強調されるようになったのはここ20年程度。社外取締役を交えた指名委員会方式の後継者選びも絶対的な正解とは言えない。一方で、日本には100年以上の歴史を持つ企業が数多く存在し、その多くはファミリーカンパニーだ。であるなら、そこにこそ組織永続の秘訣はあるはず。300年以上の歴史があるキッコーマンの組織永続の秘訣とは。文・聞き手=和田一樹 Photo=山内信也(雑誌『経済界』巻頭特集「社長の選び方特集」2024年1月号より)
堀切功章 キッコーマン会長のプロフィール
創業8家は同世代一人だけ出世も確約されていない
キッコーマンには不文律がある。1917年、しょうゆの一大産地だった千葉県野田市で、茂木、髙梨、堀切ら8つの醸造家が合同し、野田醤油株式会社が発足した。合同以前の個人経営時代から数えれば、300年以上の歴史を持つ伝統企業だ。そんなキッコーマンの不文律とは、創業8家は各世代で入社できるのは基本的に一人というもの。例えば、兄が入社すれば弟は入社できない。
この不文律は、いつ頃誕生したのだろうか。13代目の社長であり、現在は会長を務める堀切功章氏はこう語る。「1917年に株式会社になってからでしょう。それまでは家業としてそれぞれの一族が力を合わせてやっていたものが、株式会社になるにあたって組織の在り方が変わったのがきっかけです」。
キッコーマンといえば、ルーツになった創業8家の存在は今でもよく知られる。現在、名誉会長の茂木友三郎氏、会長の堀切功章氏、社長の中野祥三郎氏、全員が創業家の直系、もしくは親戚筋にあたる。しかし、49年に上場し、株も創業家だけで所有しているわけではない。2004年から13年までは非創業家の社長が2代続けて誕生した。こうした状況をふまえれば、厳密な意味でのファミリーカンパニーではなくなっている。
1917年の合併の訓示にはこう記されている。「合併により、事業が拡張することは社会との関係が深まり社会に及ぼす影響も広範になったということであり、その重責を覚悟しなければならない」。
こうして、代々個々の一族のみで事業を継続してきた形から、広くあまねく資本と人材を集めて事業を進めるスタイルに変化する中で不文律は誕生したようだ。
ちなみに不文律は文字通り不文律であるという。堀切会長は幼少の頃からこうした教えを受けたということはなかった。74年に入社し周りを見渡すと創業家の跡取りは一人ずつしかいなかった。文書にまとめられていることなく、受け継がれてきたのである。
キッコーマンの不文律はもう一つある。それは、創業家の関係者であっても出世は約束されていないというもの。社長はもちろん、役員になる保証もない。
では、キッコーマンはどのようにトップ人事を決めてきたのだろうか。一つの転換期は2002年。指名委員会を設置し、社外取締役を含めてサクセッションプランを議論する体制に移行した。堀切会長は、指名委員会設置以前の社長人事を振り返って、「私も詳しいことは分かりませんけれど、いわゆる創業家の持ち回り的な色彩がなかったとは言えません。必ずしも順番があったとは思いませんが」と述べる。事実としては、1917年の合併によって不文律が生まれ、2002年の指名委員会の設置でより開かれたガバナンス体制になったということだ。
キッコーマンの指名委員会設置は早く、世間から驚きをもって受け止められた。以後、04年就任の牛久崇司氏、08年就任の染谷光男氏と、創業家出身以外の社長が続く。
こうして2代続けて非創業家の社長が誕生した時期は、日本社会全体でコーポレートガバナンスに関する議論がなされるようになっていた頃でもある。企業は、以前よりも社会に対する説明責任を問われるようになった。そうした時代背景を受け、当時社長だった茂木友三郎氏をはじめとする指名委員会は、経理畑の牛久氏に社長を任せるのが適任だと考えた。その後、グローバル展開が経営テーマとなり、長く国際畑を歩んだ染谷氏が社長になった。キッコーマンは長い歴史の中で、その時々の経営課題に合わせて最適な人材がトップに就任する仕組みを整えてきたのである。
そうは言っても圧倒的に創業家の関係者が社長になっている場合が多い。堀切会長は、自身の後任に中野氏が指名された理由として、 「創業家の関係者であることが一番の要件になることはないけれど、やっぱり先祖代々の思いを背負っていることは大きな要素です。私自身の実感も含めて、長期的な視点で経営を考えるという点で、創業家に関わる人間がトップを務める強みはある」と語る。
日本には100年以上の歴史を持つ企業が多く存在する。そして、その多くがファミリーカンパニーである。1980年代、日本的経営は世界の経営学の研究対象にもなった。キッコーマンも米国ハーバード大学のビジネススクールで取り上げられ、研究論文も書かれた。コーポレートガバナンスの文脈で指名委員会などの機関設計が重要視されるが、組織永続の秘訣はファミリーカンパニーにもあるはずだ。
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後継者選びは最大のリスクマネジメントである
―― キッコーマンは厳密な意味でファミリーカンパニーではなくなっていますが、それでも創業8家の関係者が社長を務めることが多くあります。創業家出身社長の強みはどこにあるのでしょうか。
堀切 創業家の出身であるからこそ歴史を担う責任感、使命感があります。何代目かの社長が、「今の時代を担う者は、先輩たちから引き継いだ会社をより良いものにして次の世代に渡す責任がある」と言っていたことを印象深く覚えています。長い歴史のつながりの中に自分の身を置いて経営をする感覚は私も持ってきました。もちろん、創業家以外の人は責任感が薄いというわけではありません。
―― キッコーマンは指名委員会を設置し、社外取締役を委員長として社長人事を議論しています。ただ、何名かのリストから選考をするのではなく、現任社長が候補者を推薦し、その人物について議論をするスタイルだと聞きました。
堀切 後継者選びというのは、その時のトップの専権事項であり、かつ最大のリスクマネジメントです。事業は自分の代で終わりではなく、より良いものにして次の世代につないでいくもの。後任には確実に自分以上に会社を良くしてくれる人物を選ばなければなりません。だからこそ、その時のトップ自ら候補者を絞り込む必要があるのです。
最終的には指名委員会で議論をしますが、全てを委員会にお任せするのであれば、トップは何のためにいるのかということになる。指名委員会は、公平性・公正性・公明性を担保するための委員会であって、そこへ候補者を推薦するのはトップの役割なんじゃないかなと思います。