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一家での世襲には限界がある 東武鉄道社長交代に隠れた思い 根津嘉澄 東武鉄道

根津嘉澄 東武鉄道

2023年6月、東武鉄道で24年ぶりの社長交代が行われた。初代社長・根津嘉一郎の孫である根津嘉澄氏から経営のバトンを受け継いだのは、根津一族出身ではなく、東武商事社長の都筑豊氏。世襲にこだわる気持ちはなかったのか。現在会長の座に就く根津氏に聞いた。聞き手=小林千華 Photo=横溝 敦(雑誌『経済界』巻頭特集「社長の選び方特集」2024年1月号より)

根津嘉澄 東武鉄道会長のプロフィール

根津嘉澄 東武鉄道
根津嘉澄 東武鉄道会長
ねづ・よしずみ 1951年、東京都生まれ。東武鉄道初代社長の根津嘉一郎を祖父に、4代目社長の二代目根津嘉一郎を父に持つ。74年に東京大学法学部卒業後、東武鉄道に入社。99年に社長就任。2023年より会長。

「根津家の社長は私が最後」就任当初からそう決めていた

表
東武鉄道歴代社長

―― 東武鉄道の歴代社長7人のうち、3人が根津家出身です。しかし2023年に新社長に就いたのは、駅ナカの小売店や車内販売等を手がける東武商事社長の都筑豊さんでした。根津家の中で事業承継していこうとは考えなかったのでしょうか。

根津 全く考えませんでした。社長に就任した当初、受けたインタビューのほとんどで「自身の後任もやはり根津家から?」と聞かれましたが、その時から「根津家出身の社長は私が最後」とはっきり答えていました。一家だけでの世襲という制度自体に限界があると考えたためです。

 いわゆる同族経営の企業の多くは複数の家の中から経営者を輩出しています。そうすれば必然的にお子さんも多くなり、その中に後継にふさわしい方もたくさんいらっしゃるでしょうから、長続きするのだと思います。しかしわれわれのように一家では、必ずしもふさわしい後継ぎが現れるとは限りませんからね。

 それにそもそも根津家は東武鉄道の創業家ではありません。創業者は別にいて、会社の経営が傾いて困っていた時に、祖父(根津嘉一郎。東武鉄道初代社長)に再建を頼んだのが始まりです。ですから、根津家の中での事業承継にこだわる気持ちは、私にはありませんでした。実際今、根津家で東武グループに在籍している者は、私と兄(根津公一氏。東武百貨店名誉会長)を除いて一人もいません。

 東武鉄道は東証プライム市場上場企業ですから、他の上場企業と同じようにコーポレートガバナンスを強化し、公正で透明性の高い経営を維持すべきだと私は考えてきました。そこで私が社長に就任してからは、指名・報酬委員会を設置したり、取締役と執行役員を分離したりと、尽力してきたつもりです

―― ご自身は幼少期、将来会社を継ぐことについてどのように意識していたのですか。

根津 祖父は私が生まれる前に亡くなっていますから、直接何か言われたということはありませんでした。父(二代目根津嘉一郎。東武鉄道4代目社長)や母からも会社を継ぐよう言われたことはありません。父は家で仕事の話はしませんでしたし、祖父の話を両親から聞いたこともほとんどありませんでした。

 ただ、周りの人からは常々「あなたはおじいさんのつくった武蔵学園中高に入って、頑張って東大に行って、ゆくゆくは東武鉄道に入るんだよ」と言われ続けてきたので、結果その通りの道を歩むことになりました。

―― 鉄道王と呼ばれた初代嘉一郎氏について、二代目嘉一郎氏から聞いたことがないというのは意外です。

根津 父が祖父について話してくれたのは、「子孫に美田を残さず」と語っていた、ということだけです。

 祖父は生前、東武鉄道をはじめさまざまな事業で富を築きはしましたが、それを子孫に残すよりも世の中に還元しなければならないと強く思っていたそうです。実際祖父は寄付もたくさんしましたし、根津美術館での美術品の保存や、武蔵学園を通した教育事業など、社会貢献にも尽力しました。このことだけは、父から何十回も聞かされました。

―― 順当に考えれば、長男である公一さんが東武グループの中心である鉄道事業を継ぐのが自然な流れに思えます。しかし実際には、公一さんは東武百貨店で社長を務めたほか、根津美術館や武蔵学園など、東武グループとは別の事業も担っています。

根津 最終的に兄が百貨店、弟の私が鉄道というのは、父や母が私たちの適性を見て決めたのだろうと思います。兄は昔から社交的で活発、私は静かで真面目なタイプでした。兄は新しいことを次々取り入れなければいけない分野に入り、弟は地道な事業で足元をがっちり固めるというのが、私と兄のそれぞれに向いていたと思います。

24年ぶりの社長交代。選定に設けた3つの条件とは

―― 社長職を都筑さんに譲ってから半年です。心境はいかがですか。

根津 引き継いで良かったと思ってますよ。22年の夏頃から、そろそろ社長職を退こうと考えて準備を始め、23年の6月に実現できた形です。私も今年で72歳ですから、元気なうちに次の体制を整えなければと思いました。自分が社長に就いて丸24年ですから、都筑に引き継ぐときは「ようやく来るべき時が来たなあ」と感慨深かったです。

 後任の選定にあたっては、3つの条件を決めました。①公共輸送機関に理解の深い人物であること、②ある程度大きなグループ会社のトップを経験した人物であること、③能力・見識があり実行力に優れた人物であること。これらの条件は、東武鉄道での約50年の経験から、特に考えるまでもなく自然に浮かびました。

 都筑はもともと電気系の技術職として入社しましたが、鉄道事業本部での経験が長いですし、グループの中核企業である東武商事の社長も経験しています。そこで先ほどの条件に照らして、都筑が一番いいだろうということで指名したわけです。

―― 一度トップを務めた経験というのはやはり重要ですか。

根津 私自身24年間社長をやってきて分かったんですけれども、やっぱり一企業のトップを経験している人と、そうでない人とではもう全く違うんですよ。これはどんな経営者でも同じように言うと思います。

 私が東武鉄道の社長として経験した最も大きな出来事のひとつに、東京スカイツリーの開業がありますが、これだって最初は誰に言っても反対されたんです。しかしスカイツリーは、電波塔というインフラと、当時寂れつつあった東京・浅草地区の新しい観光資源になりうる2つの可能性を秘めていました。どうにか実現させたいという思いで建設を決断し、成功させることができたのです。

 このように、企業のトップは最後には全責任を負わなければならない。グループ会社という限られた範囲であっても、その範囲の全てを背負った経験があることは、社長を指名する上で必須の条件でした。

 そのほか、都筑が社長に就くにあたって条件は設けていません。「自由にやってくれ」と言っています。

 今は私も都筑と同じく代表取締役です。判断のタイミングはなかなか難しいですが、いずれは自分の代表権はなくすつもりです。できれば早く楽をしたいですね(笑)。