戦後まもなく創業、魅力的な製品を次々と投入し、伝説的な成長を遂げたソニーグループとホンダ。電気自動車(EV)の開発でタッグを組んだ両社は1月、今後発売する予定の新型車を米国でお披露目した。両社の協業は自動車業界、世界経済にどんな影響を与えるのか。文=ジャーナリスト/立町次男(雑誌『経済界』2024年4月号より)
モビリティ空間をエンタメ空間に
毎年1月、米ラスベガスでITや家電などの最新技術の見本市であるCES(コンシューマー・エレクトロニクス・ショー)が開催される。今年はソニーとホンダの共同出資会社、ソニー・ホンダモビリティ(東京)が同8日に発表会を行った。
登場したのは開発中のEV「AFEELA(アフィーラ)」。2023年のCESでプロトタイプが発表され、同年秋のジャパンモビリティショーなどでも公開されたが、量産に向けて改良されたモデルは世界初公開だった。ソニー・ホンダモビリティの川西泉社長兼COO(最高執行責任者)がソニーの家庭用ゲーム機「プレイステーション5」のコントローラーを使ってステージに車を走らせた。
生成AI(人工知能)を使った自動車向けの対話機能を搭載。センサーなどにより、車両に近づくだけでドアが開く「自動ドア」も打ち出した。車体の前方には電光掲示板を装備している。プレイステーションのコントローラーで動かしたのはデモンストレーションで、市販モデルの機能ではないとみられるが、さまざまな特徴が「未来のクルマ」を印象づける。
基本性能をみると、45個のセンサーやカメラのほか、米クアルコムの高性能半導体を搭載しており、先進運転支援システム、第5世代(5G)移動通信システムに対応する。自動運転は一定の条件下で運転操作が不要になる「レベル3」を目指すという。
アフィーラの特徴は社内空間の“変革”だ。インターネットからさまざまなコンテンツを取り出せる「クラウド」を活用し、プレイステーションのゲーム事業や映画・音楽事業を手掛けてきたソニーが得意とするゲームや映画、音楽などのエンターテインメントを移動中に楽しむことができるという。将来、レベル4以上の自動運転が当たり前になれば、利用者の車内での過ごし方は大きく変わると考えられ、そうした時代を先取りしているかのようだ。
ソニーグループの吉田憲一郎会長兼社長(現会長)は、ホンダとの提携を発表した記者会見で「モビリティ(乗り物)空間を感動空間にしていきたい」と話しており、それが「ソニーのEV」が持つ重要な意味の一つだ。
アフィーラは25年に発売し、26年に納車を始める計画だ。
タッグを組んだ2つの神話企業
タッグ結成に先駆けてソニーは22年1月、EV市場への進出を検討していると明らかにした。そして同3月、EV事業で提携することでホンダと基本合意したと発表。東京都内で記者会見した吉田氏は、「技術力を持つ素晴らしいパートナーを見つけることができた。モビリティの進化をリードできる」と強調。ホンダの三部敏宏社長はソニーとの協業について「化学反応のような大きな可能性を感じた。世の中の期待にこたえ、想像を超えた価値を提供していきたい」と話した。
ソニーが得意とするセンサーや通信、エンタメの技術とホンダが培った車両の開発や製造、アフターサービスを組み合わせ、先進的なEVを商品化するのが目的とされる。ソニーはソニー・ホンダモビリティを通してEV事業に本格的に進出。自動車向けのソフトウエア事業に参入し、ホンダ以外の自動車メーカーに売り込む狙いもあるようだ。
提携の発端になったのは、21年夏に始まった両社の若手社員を集めたワークショップだったという。ホンダ側からの声かけで実現し、モビリティの将来に向けた検討を行った。同年末には両社の首脳が具体的な検討に入った。
ソニーの動きは速く、ホンダとの提携の基本合意の前にすでに試作車「VISION(ビジョン)-S」シリーズのセダンとスポーツタイプ多目的車(SUV)を公開し、EVへの〝本気度〟を示していた。ソニー・ホンダモビリティは22年、東京都品川区に設立され、その後、港区に移転した。
両社の協業に注目が集まるのは、ソニーとホンダが戦後の日本にベンチャー企業として生まれ、飛躍的な成長を遂げたからだ。「ソニーらしさ」「ホンダらしさ」という言葉がよく使われることは、両社の独創的な製品群が高く評価されてきたことを示す。
ソニーは1945年、創業者の井深大が東京・日本橋で「東京通信研究所」の看板を掲げたのが始まり。ラジオの修理や改良を手掛ける中、井深の知人だった盛田昭夫が加わる。46年5月、従業員約20人、資本金19万円でソニーの全身となる「東京通信工業」が設立された。井深は設立趣意書に、その目的を「技術者がその技能を最大限に発揮することのできる『自由闊達にして愉快なる理想工場』を建設し、技術を通じて日本の文化に貢献すること」と記した。
国内初のテープレコーダーやトランジスタラジオを世に送り出した同社は58年、ソニーに社名変更。68年には独自開発のブラウン管「トリニトロン」を用いたカラーテレビを発売。それまで主流だったシャドーマスク管より格段に明るく、ブラウン管テレビという当時の重要な製品で他社の追随を許さない優位性を確保した。
そして79年に発売した「ウォークマン」は、「屋外で音楽を聴く」という、今に続く新しいライフスタイルを創り出し、ソニーの代名詞となった。
その後、スマートフォン事業などで苦戦し、低迷が続いた時期もあったが、プレイステーションやスマホカメラなどに使われる画像センサーなどの主力事業が牽引し、業績は回復。副社長時代から構造改革を主導してきた吉田会長とその懐刀の十時裕樹社長が、経営の舵取りを担う。
一方のホンダは、46年に本田宗一郎が静岡県浜松市にて本田技研工業の前身、本田技術研究所を開設。内燃機関(エンジン)や各種工作機械の研究開発、製造を始めた。
49年には財務などの経営面を支える藤沢武夫が参画、初の自社設計のオートバイ「ドリームD型」の生産を始めた。58年に発売したオートバイ「スーパーカブ」は、燃費性能や耐久性の高さ、扱いやすさで世界的なロングセラーとなる。その後、二輪車世界首位のメーカーに成長し、現在に至る。
63年には四輪車事業に参入。72年、低公害の「CVCCエンジン」を搭載した「シビック」を発売。米国の大気浄化法(マスキー法)の厳しい規制を世界の自動車メーカーに先駆けて達成し、ホンダの名前を轟かせた。82年には米オハイオ州で工場を稼働させた。日本の自動車メーカーとして初めてとなる米国での四輪車の現地生産だった。自動車レースの最高峰、F1でも存在感を発揮したホンダは四輪車メーカーとしても世界レベルの実力を備えた。合従連衡が盛んな自動車業界だが、他のメーカーとは一定の距離を置く、独立志向の強い会社として広く認知されている。
既存のメーカーにはできない新しいクルマ
こうした輝かしい歴史を持つ両社が共同出資するソニー・ホンダモビリティは、自動車の概念を大きく変えることを目指しているようだ。EVで世界首位を争う米テスラと中国の比亜迪(BYD)は、いずれも既存の自動車メーカーではないだけに、それまでの業界の常識にとらわれない自由な発想を持てることが強みの一つだ。ホンダは、自動車メーカーではないソニーの力を借りて、「新しいクルマ」づくりに乗り出したように見える。
その中心が、ソフトウェア・デファインド・ビークル(SDV)という考え方だ。まずソフトを優先して定義し、ハードウェアを決めて開発する。車の機能もソフト主導で更新。すでにテスラなどが本格的に行っているように、スマートフォンさながらインターネットを通して行うOTA(オーバー・ジ・エア)を使う。ソニー・ホンダモビリティは、クアルコムと連携し、基盤となる車載OS(基本ソフト)の開発を強化している。
今年のCESで発表されたように、アフィーラには生成AIを使った対話機能が搭載される。これは米マイクロソフトとの提携によるもので、音声で「チャットGPT」が使えるようになる。すでにエアコンの操作や交通情報の取得などができる車種は投入されているが、これまで以上に複雑な質問に答えられるようになり、利便性が高まると期待される。
ソニーの業績回復に貢献した吉田会長、十時社長のコンビが重視してきた考えの一つに、「リカーリング」がある。これは、モノを売って終わりではなく、サービス提供により継続的な収入を得るビジネスモデルだ。プレイステーションであれば、月替わりでさまざまなゲームを楽しめるサブスクリプションサービスなどがこれに相当する。ソニー・ホンダモビリティは車内空間のエンタメなどで、アフィーラにこうしたモデルを適用したい考えとみられる。
課題の一つは価格だ。航続距離の長いEVは、搭載する電池のコストが価格を押し上げる。高性能半導体もコスト増要因だ。日本円で1千万円前後の高価格帯であれば、魅力的な車になっても、購入者は一部の富裕層に限られ、販売台数も伸びない可能性が高い。
ソニー・ホンダモビリティがこうした課題を克服しつつ、既存の自動車メーカーでは提供できない「新しい価値」を車に付与できるかが注目される。