今年の4月から始まる中期計画に向けて、昨年10月にいち早く賃上げを表明した明治安田生命保険。生保各社はいずれも大幅な賃上げを表明しているが、永島英器社長によれば、相互会社ならではの価値観が反映されているという。それはいかなるものなのか。永島社長に聞いた。文=佐藤元樹 Photo=横溝 敦(雑誌『経済界』巻頭特集「『安いニッポン』さようなら~日本の給料を考える~」2024年4月号より)
永島英器 明治安田生命保険社長のプロフィール
デフレ脱却に向けて日本を緩やかなインフレに
―― 2023年10月にいち早く7%の賃上げを表明されました。早い時期に表明したのには理由があるのでしょうか。
永島 ちょうど今年4月から新しい中期経営計画が始まります。当社では、中期経営計画と連動して人事戦略を策定することから、賃上げは早い段階から決めていました。
世の中的にも賃上げが受け入れられるムードになってきているし、従業員にとっても良いニュースですので早めに発表しようと考えました。日本が本格的にデフレから脱却するためにも、給料を上げられるところから上げて、日本全体で、緩やかなインフレに持っていくことが必要です。
今のようなマイナス金利が続くと、お金は貯蓄に回らず「タンス預金」になってしまいます。これでは経済の血液たるお金が回らなくなってしまうので、さらにデフレ脱却が難しくなる。だからこそ賃上げが必要なのです。
ただその一方で、当社がお付き合いさせていただいている中小企業の経営者の中には、「原資の確保が難しく上げたくても上げられないよ」という方もいらっしゃいます。こういう言葉を聞くと胸が痛いですね。
―― そんな中で明治安田として顧客や職員と今後どのような関係性を築いていくのでしょうか?
永島 私はよく「保険もメンバーシップ、雇用もメンバーシップ」と言っています。明治安田は相互会社です。株式会社と相互会社の決定的な違いは、株式会社の構成員が株主であるのに対し、相互会社ではご契約者が「社員」として社団法人たる会社の構成員となり、総代会や社員投票を通じてお客さまご自身の意見や考えを企業運営に反映させることができるという点です。
生命保険は20年、30年にわたる長期的なご契約です。相互扶助の精神のもと、お客さま一人一人に、明治安田の掲げるフィロソフィーやパーパスに共感していただき、運命共同体の一員として同じ船に乗っていただきたいと考えています。
また職員に関しても、明治安田のフィロソフィーやパーパスを体現してくれる方に入社してもらい、その上でお客さまと接してもらう。例えば東日本大震災の時に自らが被災しているにもかかわらず、避難所各地を回り、自分のお客さまを探して給付金や保険金請求をご案内する職員がたくさんいました。この努力には頭が下がりますし、わが社の誇りです。これができるのは、明治安田の職員としての使命感の表れですし、メンバーシップ型だからこそ実現できたことだと考えています。
―― しかし今の若い人の中にはジョブ型雇用の方が良いという人も増えてきています。
永島 先ほど申し上げたとおり、当社は相互会社であり、長期にわたり安定的にお客さまにサービスを提供するため、職員の雇用についても長期的な視点が重要と認識しています。高度な専門分野等においては経験者採用をはじめとする外部人材の活用といったジョブ型的な要素を取り入れていきますが、「明治安田ってこういう会社だ」と、理解をいただいた上で、共感していただける方に選ばれたいと思っていますし、この考えはこれからも変わりません。
―― 会社の利益と給料、そしてパーパスはどういう関係性になるのでしょうか。
永島 今回、新たに「価値創造報酬制度」を創設しました。この制度では、経済的価値のみならず社会的価値の向上を図る目標を設定し、3年間の中期経営計画期間中における取り組みを評価し、特別手当として内勤職員に還元する制度であり、中長期的な取り組みを評価することによって、全役職員が同じベクトルで目指す姿の実現に向けて取り組むことを企図しています。
また、営業職員の報酬についても、毎月変動していた給与を安定的なものとするため、固定給化を実施しています。以前の給与体系では、比例給は次の月の給料に反映されていましたが、これだと生活は安定せず、顧客本位の仕事ができない可能性も出てくる。そこで比例給も1カ月単位ではなく1年単位へと時間軸を伸ばし、今年の成績で翌年の給料が決まるという体系にしています。
これらの取り組みは、全従業員がパーパスを体現しながら仕事をする、いわゆるパーパスドリブンの会社に変わっていくためです。今は会社のパーパスが問われる時代です。保険業界に限った話ではありませんが、お客さまはこの会社とお付き合いする意味や、この会社から商品を買う意味などを意識するようになってきています。このお客さまの意識の変化に対応するためにも、パーパスドリブン価値観の従業員を育てることが必要です。例えば営業職員の評価も、定量的な評価だけでなく、定性的な評価に変えていく。パーパスに基づいてどういうふうにお客さまと接しているかをちゃんと評価する。時間はかかりますが地道に続けていきます。
欧米でも、公益目的を定款に明記するベネフィットコーポレーションを標榜する企業が注目されています。昔の経営者はどうやってお金を儲けるのか(How)を考えれば良かったのですが、今は企業として「私たちは何者で、どこから来て、どこへ向かっていくのか」(Who)が問われる時代になってきました。
―― 明治安田のパーパスを体現してもらうために、どういう人に職員になってほしいですか。
永島 明治安田には全国に約100の支社がありますが、私が社長に就任して2年半で約80の支社を回りました。訪れた支社では必ず営業職員の方とお話をさせてもらいますが、その時に「僕も皆さんも会社のために生まれてきたわけでも、会社のためだけに生きているわけでもない、たった1回の人生幸せにならなくてはいけないし、死ぬ時に良い人生だったと思わなければいけない。それをまず考えましょう」と伝えています。
会社のパーパスの前に自分自身のパーパスが何なのかを考えて、答えを持つことが重要です。それを持ってない人に会社のパーパスを伝えても、右から左に流れるだけです。自分の価値観を持った人だけが、会社の価値観と自分の価値観を重ね合わせて、体現ができるようになると思います。
100人100通りの価値観でいいのですが、やはり、ご縁のあったお客さま、地域、会社、あるいは働く仲間との絆を大事にして、自分の居場所を持ちながら、誰かのために、何かのために生きるというのは幸せだと思うので、そういう人に明治安田に来てほしいです。
人的資本ではなく「ひと」中心経営
―― 営業職員にKPIドリブンからパーパスドリブンにというのは通用するものなのでしょうか。
永島 私は通用すると思っています。営業職員もかつては大量採用、大量離職という時期もありましたが、今、当社では1千組2千人の親子の営業職員がいます。定年を75歳にしているのも、20年30年という長い期間を託してくれたお客さまを守るためですし、自身の定年が近づくと子どもを入社させたりする。そういう脈々と続いていく営業職員が数多くいます。これは先ほど言ったメンバーシップ理論に通じます。
―― 一方で近年、生命保険の加入者も減少していますが、人件費が増えた分の原資確保はどのよう「な工夫をしていきますか。
永島 明治安田は16年に子会社として迎え入れたアメリカのスタンコープ社を中心に順調に収益基盤が拡大しています。これからもM&Aを中心に海外の成長の取り込みを進めます。今後、円金利が上がっていくことで、貯蓄型商品の種類が増え、貯蓄の分野で成長ができると思います。
また「人間には尊厳があって何かの手段にしてはならない」との考えから、当社ではいわゆる「人的資本」を「ひと中心経営」と表現しています。分野にかかわらず、「ひと」がすべて。その基本は揺らぎません。
―― 明治安田は国内有数の機関投資家でもあります。投資戦略はどのように考えていますか。
永島 保険は長い時間軸で見なくてはいけません。お客さまからは20年30年の保険をお預かりしていますから、長期的な時間軸で経営をしなければなりません。
同時に機関投資家として色々な会社の株を保有していますが、いわゆるアクティビストとは一線を画して長期的な視点で企業と向き合っていきたいと考えています。アクティビストの中には配当を上げろ、自社株を買え、など短期的な利益を目的とする人も多い。その圧力に屈するということは、企業の内部留保の海外への流出につながります。アクティビストは目的を果たしたら、また別の企業、他の国に狙いを定めます。その要求をいちいち飲んでいては、日本の未来世代に何が残るのか不安です。われわれは長期的視点を持つ機関投資家でありたいと考えています。