2000年代後半、バーチャルの歌姫として「ボカロ文化」を築き、エンタメ界に旋風を巻き起こした「初音ミク」。その生みの親であるクリプトン・フューチャー・メディア(以下CFM)伊藤博之代表は、「自分たちはクリエーターの活動の場づくりをしてきた」と語る。(雑誌『経済界』2024年7月号巻頭特集「IPが日本の生きる道」より)
伊藤博之 クリプトン・フューチャー・メディア代表のプロフィール
二次創作OKの展開方針が世界規模の知名度につながる
―― 2007年に発売されたバーチャル・シンガーソフトウェア「初音ミク」は、「非営利目的であれば原則二次創作OK」という、当時画期的な方針で発表され、それが奏功して爆発的に知名度を上げました。こうした方針で展開することを決めた経緯をお聞かせください。
伊藤 そもそも初音ミクは歌声を合成するソフトウェアなので、ピアノやギターと同じ楽器の一種です。なので、ピアノの曲を作るとき、ピアノメーカーにいちいち許諾をとる必要がないのと同じで、初音ミクの「声」自体は、正規のユーザーであれば許諾をとらずに創作に使っていただいて構わないというのが自然な発想かと思います。
一方、初音ミクの「姿」についてはどうか。バーチャル・シンガーはそれまでの他の音声ソフトとは違い、ユーザーが声の主としてイメージできるキャラクターイラストをパッケージに描くことで生まれました。もちろんこのキャラクタービジュアルを、アマチュアのクリエーターさんが二次創作としてイラストなどにするだろうという想定はしていましたが、これを規制すると創作活動が委縮してしまう。そもそも初音ミクの姿は、漫画でもゲームでもなく、単なる音声ソフトのイメージとして描いたものだったので、二次創作のイラストが出回っても当社のビジネスを毀損することはないと判断しました。それで、二次創作のガイドラインを策定し、専用のプラットフォーム「piapro」も作って、ガイドラインの範囲で自由な二次創作を認めることになりました。
―― 音声ソフトにキャラクターのイメージを付けて販売するというアイデアは、初音ミク以前にも「MEIKO(04年発売)」、「KAITO(06年発売)」で実現しています。なぜ3番目に登場した初音ミクが圧倒的な人気を誇ったのでしょうか。
伊藤 一番大きいのは、MEIKOやKAITOの発売時には 、YouTubeやニコニコ動画のような動画投稿サイトがまだなかったことですね。初音ミク誕生の直前にそういったプラットフォームができたことで、常に世界中の人々に見られる環境に、クリエーターさんの創作物が投稿され続けるようになった。これが世界的な人気につながったと思います。
ちなみに初音ミクは、4月4日から5月21日まで、北米でコンサートツアーを行っていました。中にはアリゾナ州フェニックスでの公演があったりして。アリゾナって砂漠のイメージだし、本当に人が来るのだろうかとも思っていたのですが、追加公演も合わせて2日間、かなりの大盛況でした。世界はつながっているんだなと感じましたね。
―― 初音ミクをIPとして見た時に特徴的なのは、主にユーザーが作ったコンテンツが市場を盛り上げてきたところです。
伊藤 そうですね。ゲームなど、公式のコンテンツも作ってはいるのですが、やはりほとんどのコンテンツがボトムアップというか、ユーザーの方々の発信によって生まれたものです。
私たちは、どうすればそういった二次創作がより円滑にできるようになるか、どうすればクリエーター同士のマッチングがより効率的にできるかといったサポート、場づくりに注力してきました。それにより、クリエーターの競争や、みんなでシーンを盛り上げていこうという雰囲気を作れれば、私たちの本業である音楽制作ツールの販売にもプラスの影響があると思います。
そうしたサポートの結果、初音ミクは楽曲だけでなく、キャラクターとしても愛されるようになったため、当社としてもイベントの実施やグッズ展開など、キャラクターライセンスビジネスを手掛けるようにもなりました。
初音ミクが開いたネット文化。その恩恵を地元に還元したい
―― CFMは北海道・札幌市の企業です。初音ミクも地元の町おこしに一役買っているそうですね。
伊藤 10年のさっぽろ雪まつりで、初音ミクの雪像が展示されたんです。そこから、その雪像をモチーフにしたキャラクター「雪ミク」が誕生し、北海道の企業とコラボしたり、地域のプロジェクトでアンバサダーに就任したりしています。
話が少し飛びますが、私がCFM社を創業したのは1995年、大学の職員をしていた時、インターネットに触れて感動したことがきっかけなんです。それまで趣味で音楽をやっていたんですが、メジャーなレコード会社をはじめ、音楽のシーンの中心は東京にしかなかった。そんな中で初めてインターネットに触れ、世界中のどこへでもデータを送れて、どこにいても受け取れることがすごく魅力的に感じました。そこから、どこであっても今自分のいる場所から情報発信、表現ができるという未来を初音ミクが実現させてくれたことが、自分としてはすごくうれしいです。
そうした成果を、会社や初音ミクの地元である北海道にも還元したいという思いで、雪ミクをはじめ北海道独自のプロジェクトを行っているという流れです。
―― 初音ミクは今後どのような未来を目指していますか。
伊藤 発売当初から一貫していますが、まず初音ミクは音楽を作るツールであり、キャラクターでもあり、二次創作も自由にしてもらえる存在。なので音楽やイラストなど、あらゆるクリエーターさんの創作の材料として、これからもたくさん使っていただきたいというのが一番ですね。
そのための環境づくりや、クリエーターさん同士がモチベーションの維持のために交流できるイベントの開催は続けていきたいです。
―― もし伊藤さんがCFM社長でなければ、初音ミクのどういった点に魅力を感じていたと思いますか。
伊藤 今もし自分が若者の立場で音楽シーンにいたら、確実にボカロPになっていますね(笑)。もしかしたらそれで有名になっていたかもしれないです。
音楽制作者から見た魅力は、技術面でも規制面でもあまり縛られず、気楽に楽曲を作れるところ。一方で初音ミクが作った、二次創作に寛容で、さまざまな人が「歌ってみた」や「踊ってみた」など自由な創作を行う文化や、そこに集うクリエーターの方々にも魅了されたんじゃないかと思います。