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なりたかったのは声優です 憧れは大山のぶ代さんでした 成田童夢 元スノーボード日本代表

成田童夢 元スノーボード日本代表

ゲストは、元スノーボード・ハーフパイプ日本代表の成田童夢さん。幼少期から数々の輝かしい戦歴を残し、2006年トリノオリンピックにも出場しました。現在は2児の父親となり、マルチタレントとして活動中。「子どもたちに夢を与える存在になりたい」と当時の面影を残す笑顔で語ります。聞き手&似顔絵=佐藤有美 構成=大澤義幸 photo=市川文雄(雑誌『経済界』2024年7月号より)

成田童夢 元スノーボード日本代表のプロフィール

成田童夢 元スノーボード日本代表
成田童夢 元スノーボード日本代表
なりた・どうむ 1985年大阪市生まれ。5歳でスキー、8歳でスノーボード、ウェイクボードを始める。10代の頃から数々の国際大会、ワールドカップで優勝を飾る。2006年トリノオリンピック出場。現在山岳冒険家、スキー場プロデューサーとして活動中。2児の父。

大けがから復活し、トリノオリンピックに出場

佐藤 元スノボ選手の成田さんは子どもの頃から数々の国際大会で活躍されていて、競技前後のやんちゃなパフォーマンスが印象に残っています(笑)。驚いたのが、アニメなどのサブカルに興味があり、もともとは声優志望だったそうですね。

成田 そうなんです。中学3年生になる前に父親から呼び出され、「将来はどうするんだ?」と聞かれました。同級生たちは受験勉強を始めていましたが、私はスノボの選手よりも本当は声優になりたかったんです。大山のぶ代さんのドラえもんの声に感動し、夢を見せる商売っていいなと憧れていました。しかし、スノボのコーチでもあった父から、「自分の夢を叶えたいなら、まずスノボでオリンピック出場を成し遂げてみろ」と交換条件を突き付けられたんです。

佐藤 中学生にして人生の決断を迫られたわけですね。成田さんのオリンピック出場はお父さまの悲願でもあったのでしょうが、そこでご自身が生きたい道を伝えられたのは立派です。そこからオリンピックが本格的な目標になったわけですね。

成田 はい。ところが、代表選考期間中の2005年に右膝の前十字・後十字靱帯断裂という、選手生命に関わる大けがを負いました。オリンピックは無理か、とあきらめかけたのも事実です。しかし、つくば市の大学病院で手術を受け、半年間の入院中にプロスポーツ選手や経営者、偉人の本を読み、最大のパフォーマンスを出す良いコンディションをつくるには休むことも大事だと知りました。物心付いた時から練習漬けの毎日でしたが、気持ちを切り替えて人生で初めてしっかり休み、リハビリを終えて大阪に戻りました。

佐藤 お父さまもさぞかし心配されたでしょう。

成田 心配はしてくれましたが、「術後だからジャンプ練習を控えたい」と伝えたところ、厳しい父から返ってきた一言目が、「今練習用のトランポリン空いているぞ」でした(笑)。私が家出をしたのはその翌日です。プロスキーヤーで登山家の三浦豪太さんの東京のトレーニング施設を利用させてもらい、フィジカル強化に励みましたが、それまで練習メニューを考えてくれていた父のありがたみが分かりましたね。父からはプロとして活動を続ける上でスポンサーを獲得することの大切さやメディア戦略の重要性など多くを学びました。結局、05年12月にワールドカップで優勝し、代表にぎりぎり滑り込むことができました。

佐藤 大けがから短期間で競技に戻れたのはさすがですね。そして念願のトリノオリンピックに出場。よくオリンピックには魔物が棲むと言われますが、その時の心境は。

成田 初のオリンピックで、緊張よりも全力で観る人を楽しませたいという気持ちで臨みました。しかし海外、特に米国選手との実力の差は大きく、思っていたほど点数が伸びずに予選敗退となりました。結果は残念でしたが、それでも記憶に残すことはできた。オリンピック出場はいろいろ勉強になりました。

佐藤 世界との差を痛感したわけですね。でも若いうちに厳しい思いや経験をしたほうが伸びしろが生まれますし、その経験は今後の人生に役立つと思いますよ。

夢、希望、感動を与え続ける。そんな存在でありたい

成田童夢 元スノーボード日本代表
佐藤有美 成田童夢

佐藤 セカンドキャリアとして選んだのがタレントで、声優や俳優のお仕事もされていますね。

成田 人生のテーマとして、人々に夢、希望、感動を与えたいという想いがあり、20代半ばから秋葉原などでポップカルチャータレントとして活動しています。ただコロナ禍でイベントが中止となった時に、改めてこれからどう生きるか、自分にしかできないことは何かを考えました。

佐藤 具体的にやりたいことは。

成田 例えば世界には50人弱のエクスプローラーズ・グランドスラム(七大陸最高峰、北極点、南極点の達成者)がいますが、ここにスノボの要素を入れると私が世界唯一になります。こうした活動を通じてスノボの楽しさをSNSなどで世の中に伝えていきたい。今年から1年にひと山ずつ制覇していく予定です。

佐藤 成田さんらしいユニークな取り組みですね。最初はどこの山に挑戦するのですか。

成田 キリマンジャロです。日本でも知名度が高い山で、この挑戦を続けていく上で日本企業のスポンサーにアピールしたいので。あとはウェイクボードをはじめ、パラグライダー、ロッククライミングなど、アウトドアアクティビティの楽しさを広めていきたい。そのために自然豊かなカナダのバンクーバーへの家族での移住も考えています。

佐藤 成田さんも当時の面影を残しながら、今や二児のパパですしね。

成田 兄弟の上が4歳、下は1歳で、いつも上の子が喃語を通訳してくれています。子どもからはいろいろ気づかされますね。

佐藤 少子化の今は昔と子育ての環境も何もかも違いますが、私たちは子どもたちの成長や夢をサポートできる大人でありたいですね。周りの経営者も、子どもができた途端に「会社に託児所が欲しい」などと言い出します。孫ができて、厳しかったお父さまはいかがですか。

成田 もうメロメロですよ(笑)。一緒に帰省しないと怒られますから。

佐藤 そうして代替わりしながら、想いは受け継がれ、子どもも大人も成長していくんですね。

成田童夢 イラスト 元スノーボード日本代表
成田童夢 イラスト 元スノーボード日本代表