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湯川秀樹邸を改修し京大へ寄付 長谷工が紡いだ運と縁 辻 範明 長谷工コーポレーション

辻範明 長谷工コーポレーション

今年の春に、日本人初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹博士の住居が、京都大学の迎賓施設「京都大学下鴨休影荘」として再生した。これに関わったのが長谷工グループで、土地建物を買い取り、改修後、京都大学に寄付をした。新築分譲マンション施工を中心に事業を行ってきた長谷工が、なぜ湯川邸の改修を引き受けたのか、辻範明会長に聞いた。聞き手=関 慎夫 Photo=横溝 敦(雑誌『経済界』2024年10月号より)

辻 範明 長谷工コーポレーション会長のプロフィール

辻範明 長谷工コーポレーション
辻 範明 長谷工コーポレーション会長
つじ・のりあき 1952年岡山県生まれ。75年に関西大学法学部卒業後、長谷川工務店(現長谷工コーポレーション)入社。99年取締役、2005年専務執行役員、10年副社長兼長谷工アネシス社長を経て、14年に社長。20年から会長を務める。

安藤忠雄氏の紹介で京大学長とつながる

―― 湯川邸の改修にあたっては安藤忠雄氏が設計し、長谷工グループで戸建て事業を行う細田工務店と京都の安井杢工務店が施工したとのことですが、この話を知ってまず思ったのは、「なぜマンションの長谷工が?」でした。どういう経緯だったのですか。

辻 湯川邸は、湯川先生が晩年を過ごした家で、思索を深めるとともに弟子や各界識者と交流した場所です。京都の人にとっても非常に大切なところですが、築90年がたち老朽化も激しく建物の維持管理が難しくなっていました。相続された湯川先生のご親族もお年を召し、住み替えを検討されており、はじめは京都市に買い取ってもらえないかと声をかけられたようです。また、湯川先生が学び、ノーベル賞受賞後にも教鞭をとられた京都大学にも頼まれたようです。そこで京都大学の総長である湊長博氏が、友人の安藤忠雄先生に相談したところ、安藤先生が私の名前を挙げてくださったのです。

―― 辻さんと安藤氏の関係は。

辻 私は1988年から92年まで京都支店長を務めていました。ですから私にとっても京都はとても思い入れのある街です。当時から、和久傳という料亭によく行っていました。その女将が、画家の安野光雅さんの作品を収集されており、その作品を展示する美術館をつくりたい、ついては安藤先生に設計を頼んだから、施工は長谷工に頼みたいというわけです。そこで安藤先生と打ち合わせしたのですが、初対面の時から「辻ちゃん、辻ちゃん」と呼ばれるほど打ち解けることができました。完成した美術館「森の中の家 安野光雅館」の出来栄えを安藤先生に気にいっていただいたこともあり、今もお付き合いが続いています。安藤先生にとって一番声をかけやすかったのが私だったのかもしれません。

 その安藤先生から湊さんを紹介していただきました。副学長の頃だったと思います。それからたまに安藤先生を交えてお会いしていましたが、ある時、湯川邸のことで総長が悩んでおられるという話を聞きました。こんなチャンスは二度とないと思ったので、翌日すぐに湯川邸を見に行き、安藤先生を通じて、「長谷工が買い取って改修し、その上で京大に寄付させていただきます」と返事をしました。今回は、安藤忠雄建築研究所が無償で改修設計を、長谷工が改修後の土地建物を京都大学に寄贈しています。

倒産寸前からの復活を支えてくれた人に恩返し

長谷工コーポレーション 湯川邸 03.空撮(京都大学提供)
長谷工コーポレーション 湯川邸 03.空撮(京都大学提供)

―― チャンス、ですか。

辻 長谷工はかつて大きなダメージを負いました。デベロッパー事業に力を入れすぎた結果、バブル崩壊によって巨額な負債を抱え、金融機関に債務免除をしてもらわざるを得なかった。株価も一時13円をつけ、存続を危ぶまれるほどの経営危機に陥りました。そのためデベロッパー事業からは一旦手を引き、建設や管理などマンションおよび周辺事業に特化した「マンションの長谷工」として再建を続けてきました。

 そのおかげで立ち直ることができ、私が社長時代には経常利益1千億円を2度達成することができました。そして2023年3月期にはついに売上高が1兆円を超えました。

 ここまでこれたのは、多くの方々に支えていただいたからです。その恩返しをしたい。そして社員にも、今の長谷工に対して自信と誇りを持って仕事をしてほしい。それはずっと考えていました。そこに湯川邸の話が舞い込みました。その意味で、これはチャンスだと思ったのです。

―― 社会貢献活動としても価値があると思いますが、これまではやってこなかったのですか。

辻 奈良女子大学、奈良県明日香村、長谷工で「産官学連携包括協定」を締結し、奈良県明日香村における歴史・景観保全活動および地域活性化に取り組んでいます。明日香村では企業版ふるさと納税で寄付をしたり、古民家をホテルに改修するなどを行ってきました。また、かやぶき屋根の古民家などは地主さん個人では改修できないので、奈良女子大学と長谷工の連携で改修に取り組みました。地域活性化のために毎年開催されている「飛鳥ハーフマラソン」にも特別協賛しています。

 このように、再建後はさまざまな形で恩返しをさせていただいています。ですから湯川邸の再生を任せていただけたのは本当にうれしい。湯川邸、改め下鴨休影荘は、京都大学の迎賓施設として、国内外の識者が集い学術文化や世界平和について語り合う場として活用されます。湯川先生の功績を後世に伝えるという役割を担うことは大切な社会貢献です。

―― とはいえ、一軒家だった湯川邸を改修するノウハウなどなかったのではないですか。

辻 幸い20年に戸建て建設に定評のある細田工務店がグループ入りしています。彼らのノウハウ、技術がなければ、このプロジェクトを受けることは難しかったと思います。

―― ただ、施工者の中には、細田工務店とともに安井杢工務店の名前がありますが。

辻 いざ、改修を行うとなった時にいくつかの問題が出てきました。まず、細田工務店は東京の会社なので、本来の業務をしながら京都に大勢の職人を連れて行くことが難しかった。

 そしてもう一つが、施工方法が当初のプランとは大きく変わったことです。湯川邸は老朽化が進んでおり、大きな地震には耐えられない。そこで最初は、湯川先生の思索の場であった部屋と庭をできるかぎり維持する。その上で、湯川邸の雰囲気漂う新しい建物を建てる予定でした。

 ところが湯川邸は京都市の重要京町家の指定を受けています。京都市と協議をしたところ、できるだけ当時の建材を使いながら改修してほしいとの要望がありました。つまり、解体した箇所の建材もできるだけ使って家を建て直さなければなりません。これは新築専門の細田工務店には難易度が高くできる職人もかぎられます。そのため一度、このプロジェクトは振り出しに戻ります。

創業者とゆかりある安井杢とのジョイント

長谷工コーポレーション 湯川邸 04.居間・読書室の吹抜(京都大学提供)
長谷工コーポレーション 湯川邸 04.居間・読書室の吹抜(京都大学提供)

―― そこで安井杢工務店ですか。

辻 このプロジェクトにおける最大のヒットが安井杢さんです。湯川先生のお好きだった部屋や庭を残しながら、安藤先生の設計通りにきちんと施工できたのは安井杢さんがいたからです。安井杢さんは、創業は元禄元年(1688)ですが、ルーツは元永年間(1118〜1120)とも言われるほどの歴史を持つ宮大工会社です。

 安井杢さんには、長谷工創業者のお孫さんである長谷川嘉久さんが取締役としていらっしゃいますが、これまで仕事上の接点がありませんでした。でも、このプロジェクトが暗礁に乗り上げた時にふと思い出して連絡したところ、是非参加したいと喜んでいただけた。そこからは一気に施工体制が整い、無事着手することができました。

 完成した下鴨休影荘は、丁寧な補強や修繕を行うことで湯川先生が過ごした頃と同じような状態に戻すことができました。単にその雰囲気を残すだけでなく、安藤先生が新たに設計したエントランスロビーは、湯川先生が愛したように、多くの人たちが議論をし、切磋琢磨する場です。木造住宅で曲面に加工するのは非常に難しいのですが、安井杢さんの協力もあり、限られた時間の中で何とか形にすることができました。

 このように新しい湯川邸は、古い建物と新しい建物の融合であるにもかかわらず、違和感がなく京都の風景に溶け合っています。そしてこの古さと新しさの融合こそ、京都の歴史そのものです。

―― このプロジェクトは長谷工にとってどんな意味がありましたか。

辻 自分の会社がこのような形で社会に貢献していることは、社員にとって自信につながります。これは長谷工グループの社内報でも紹介しているのですが、湯川邸の土地建物購入に携わった社員は「長谷工がこれまでお世話になった京都への恩返しの気持ちが湯川先生の相続人の方にも十分に伝わったはず。長谷工が、大切な場所を残しそれを後世に伝える一翼を担ったことを誇りに思います」と言ってくれています。

―― 社員の意識も含め、長谷工の完全復活宣言ですね。

辻 ここまでの会社になったという達成感はものすごくあります。そしてこのタイミングでこういう案件に巡り会うチャンスを神様に与えてもらった。その運と縁をこれからも大切にしていきたい。これから先も、どこかのタイミングでまたこのような話が舞い込んできたときに、それを引き受けることのできる元気な長谷工でいられるよう頑張ります。

※202410_長谷工コーポレーション_湯川邸_03.空撮(京都大学提供)と202410_長谷工コーポレーション_湯川邸_04.居間・読書室の吹抜(京都大学提供)は、要クレジットPhoto:京都大学提供