少子高齢化、人口減少が本格化し、先の見えない不安感が漂うわが国日本。混沌とした時代を生きる指標はどこにあるのか。本企画では神田昌典氏を橋渡し役に、激動の時代をくぐり抜けてきた企業経営者たちの「知」を、次世代を担うビジネスパーソンに伝えていく。今回は出光興産相談役で、武蔵野美術大学理事長を務める天坊昭彦氏をゲストに迎えた後編をお届けする。構成=本誌/吉田 浩 写真=森モーリー鷹博
取締役になる寸前まで会社を疑っていた
神田 そもそも創業者、出光佐三氏の「上場はならず」を方向転換しても変わらない出光マインドが存在することはすごいことだと感じています。入社後に天坊さんが、出光の良さを感じたのはいつ頃だったのでしょうか。
天坊 入社当初は出光の社風を疑っていました。聞く話がうますぎると思っていたんです。佐三店主は本音で話しているけれど、社員みんながその言葉に乗せられているんじゃないかと。先輩に話を聞いても、「店主はこすい」「がめつい」といった話が出て来るのですが、それは悪口ではないんです。とにかく、店主を悪く言う人がいない。それで、「本当はどうなんだ?」と。当時は上場もせず、自己資本だけでやって家族主義だと言っていましたが、店主にはかまどの灰まで自分のものだという意識がある。それだけに隅々まで目が行き届くのだと思います。
神田 通常、そういう雰囲気だと、社員は嫌ですよね。
天坊 そこがすごいところなんです。自分のものだという意識があるから、大事にしようとする。会社も同じで、社員も自分の家族だと考えているから、同じように大事にする。しかし、若い頃はそういうことが理解できませんでした。
神田 それが分かったのはいつ頃でしょうか。
天坊 1970年代に出光美術館で「アンドレ・マルローと永遠の日本」という企画を実施したのですが、そのアンドレ・マルローが来日することになりました。しかもその目的は、店主に会うことだという。その対談を読み、「マルローがやすやすとだまされるはずがない」と思って、信じるようになりました。私が役員に昇格する寸前でしたね。
神田 随分長い間、疑っていたのですね。
天坊 自分でも疑り深かったと思います。私が経理を担当していた当時の経理部長は店主の信頼が厚く、店主室長まで務められましたが、この人も長い間疑っていたような気がします。でも、疑っている部下でも信頼し、重用する懐の深さを感じました。
社風は身に染みるまで現場で伝える
神田 社是である「人間尊重」や、社員の首を切らない伝統などが出光の理念を現していると思いますが、理念が風化する会社も多いと思います。ところが、出光では脈々と受けつがれている理由はどこにあるのですか。
天坊 店主の言葉に「人を育てるのに、手間暇を惜しむな」というものがあります。人を育てることが役職者、上司の最大の仕事です。中には出来が悪く、もの覚えが悪い人もいるけれど、社員は家族だから決して見捨てない。むしろ手がかかる子ほどかわいい。そこで手を抜かずに、理念が骨身に染みて理解できるまで、言葉だけでなく、現場で徹底的に教え続ける。そこでようやく理念が納得できるようになります。
神田 御題目ではなく、生きた理念として、体で分かるように教えるということでしょうか。
天坊 例えば、取引先との連絡を、内容が簡単だからと電話で済ませようとする社員がいたとします。でも、そこは「訪問してきなさい」と指導するわけです。なぜ電話では駄目なのかは説明しない。簡単な話ほど、顔を見て話してきなさいと伝えます。それが相手を第一に考えることにつながるんです。そういうことが分かるまで、現場で経験を積まなければなりません。
大義を見出し伝えるのが経営者の仕事
神田 現場での徹底した教育があり、理念を含めた社風、文化が受けつがれていくことは理解できます。一方、そこでチャレンジ精神や革新性は育まれるのかという疑問が生じます。会社を守ることと同時に、変革し成長させ、リーダーの育成もしなければならない。そういう教育はされているのでしょうか。
天坊 理念を受けついで実行してもらうことと、会社の経営戦略を考え、実行していくことではプロセスが違います。いずれにせよ重要なのは「なぜやるのか」を考えることです。「今この状況において、これをやれば、お客さまのためになる」「これは地域のため社会のためになる」といった利益を超えた部分で、大義があるかどうかなんです。大義を見つけだし、あるいは作りだしてみんなに伝えることができる人なら、誰しも付いていくでしょう。大義が曖昧なまま、利益の話ばかりしていると、根本的なところで人は動かないのではないでしょうか。
神田 時代認識も重要ですね。今は石油の需要が減少していて、自然エネルギーへの移行が進みんでいます。出光も石油だけではなく、そちらを考えていかなければならない。とはいえ、自然エネルギーは事業として変数が多く、先行きが不透明です。その開発、普及にどう取り組むかの判断は非常に難しいですね。
天坊 それは勉強するしかないですね。真面目にコツコツと積みかさねていく仕事と、先を見て戦略的な判断をする仕事では種類が全く違う。当然、求められる資質も違いますが、コツコツと地道な仕事も経験していないと、戦略的な判断はできません。それを踏まえて、幹部候補生にはそれにふさわしい教育を施さないといけない。会社が大きくなって、事業が増えていくと、やるべきことの優先順位を決めるだけでも大変です。それをやりたいと思い、やれる人を育てるために「出光ビジネススクール」という幹部候補生の教育制度を始めました。
神田 社会を見ていると、この10年、20年で急成長していった企業が市場で非常に高い評価を得ています。鉄鋼やエネルギーといった産業に代わり、今は情報通信産業が影響力を持つようになっています。エネルギー産業の価値が相対的に下がっているとも感じるのですが。
天坊 少なくとも出光にとっては、企業価値が高いか低いかよりも、社会のため、地域のため、国のためになっているかが問題です。もし、貢献できていなかったとしたら、それは経営を間違えたということです。社会に役立つことをやっていれば、時流の潮目でどう評価されるかは変わっても、大きな目で見ると地位は変わらないはずです。短期的な時流でころころとやるべきことを変えない。そういう芯があれば、会社はビジネスを続けることができる。新規事業でも、世の役に立つものであれば、利益が出るようになるはずです。
幼少期の教育によって倫理観をはぐくむ重要性
神田 天坊さんのお話を聞いていると佐三氏のような強烈なカリスマ性ではなく、普通の感覚を持った方が大企業の経営者になり、力を発揮された印象を持ちます。それを踏まえて、これからの若い世代に何を学び、どんな経験を積んで欲しいかというメッセージをお願いします。
天坊 私自身は特別なことをやってきたという認識はありません。ただ、横浜支店にいた時、ある油槽所の社員の社内預金払出伝票にハンコを付いたんですが、それを見た支店長に厳しく叱られたことがあります。「お前はこの伝票を見て、何も感じなかったのか。薄情者め。金額が大きく、しかも1円の桁まで端数がついている。彼は多分会社を辞めるぞ。そうでなければよほど金に困っているはずだ」と。結局彼は会社を辞めることになりましたが、若い社員が自分の社内預金を引き出すのに、先輩があれこれ指導するようなことは、大人げないと考えていた私の甘さを正されたわけです。若い人を指導するなら、余計なお節介をしろと。少なくとも困っている社員を見過ごすなということでした。
これはある種、倫理観なのかもしれません。道徳や倫理観は、子どもの頃からの親の躾が第一ですが、そうしたことを身に付けてきているか。今の教育の現場では、そうした人としての基本の道徳の部分が希薄になってきている気がします。性格形成にかかわることは、小さい頃からきちんと教育しないと身に付かないと思います。このことは日本人にとって、とても大事なことでしょう。
神田 教育に関して言えば、私は子どもたちに読書の習慣を身に着けてほしいと思い、日本で最大規模の読書会を開いているのですが、天坊さんはどのような本を読まれていますか。
天坊 乱読でさまざまな分野の本を読んできましたが、比較的歴史ものが多いですね。
神田 推薦する一冊は。
天坊 高校生の時に読んだ子母澤寛の『勝海舟』が非常に面白かったですね。過去を辿れば、必ず今と似た時代があり、激動の現代社会は幕末の変革期などに投影できると思います。歴史を学ぶことで、今後の社会の道筋をある程度予測できるのではないでしょうか。
(かんだ・まさのり)経営コンサルタント、作家。1964年生まれ。上智大学外国語学部卒。ニューヨーク大学経済学修士、ペンシルバニア大学ウォートンスクール経営学修士。大学3年次に外交官試験合格、4年次より外務省経済部に勤務。戦略コンサルティング会社、米国家電メーカー日本代表を経て、98年、経営コンサルタントとして独立、作家デビュー。現在、ALMACREATIONS 代表取締役、日本最大級の読書会「リード・フォー・アクション」の主宰など幅広く活動。
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