日本中がバブル景気に沸いた1980年代。後に「夜の銀座の顔」となる白坂亜紀氏は女子大生ママとして世間の注目を集めた。96年、東京・銀座にクラブ「稲葉」2店舗をオープン。以後、10人以上のオーナーママを育ててきた白坂氏に、「稲葉流」リーダー育成術を聞く。文=大澤義幸 Photo=佐藤元樹
白坂亜紀氏プロフィール
リーダーの最初の壁は個人プレーを脱すること
日本有数の繁華街・社交場として、政財界の重鎮、経営者、文化人などハイステータスな人々が集う街、東京・銀座。高級接待にも利用される銀座のクラブは「第二秘書室」と例えられ、銀座の灯の明るさは日本経済の好不況を映すといわれる。
1987年、早稲田大学在学中にクラブホステスとなった白坂亜紀氏。29歳で独立し、銀座にクラブ「稲葉」2店舗をオープン。長期経済不況の荒波に揉まれながら、21年間、銀座の街と歩みを共にしてきた。現在はクラブのほかに、バーや日本料理屋など計4店舗を経営する。
その稲葉ではこれまでに数多のトップホステスを育て、経営者として独立するオーナーママを10人以上輩出してきた。白坂氏は「ママ」の肩書を持つリーダーの条件として、次の3つを挙げる。
「第一に、いかに腹を括り、覚悟を決め、責任を持って仕事に取り組めるか。第二に、いかに部下やお客さまに対してフェアでいられるか。第三に、いかに品格を保てるか。ママにはママの品格や立ち居振る舞いがあります。自分の売り上げばかりを追うのではなく、時には部下の成績にしてあげることもあります。これは昼の仕事も同じですよね」
ホステスは個人事業主として、お店とは「仕事の場を借りる」という関係になる。売掛金の回収等も自己責任で行い、実力がなければ退場を余儀なくされる。とはいえ、個人プレーや体を売る「枕営業」で売り上げを伸ばせるほど甘い世界でもない。
「個人プレーを脱し、チームプレーへと仕事のスタイルを変えられるかがトップホステスになるための第一の壁です。特に『ママ』の肩書が付いたときに、周りの協力がなければ、お客さまの満足は得られません。リーダーとはどんな存在かを自問自答し、想像できる人でないと、どんなに頑張っても伸びません」
売り上げノルマは一切なしの「クラブ稲葉流」リーダー育成術
クラブには月の同伴出勤数によってペナルティが科されるなどノルマがある。特に銀座は100人のホステスがデビューしても半年後には数人しか残らないといわれる。それでも稲葉ではオープン時からノルマを設定していないという。なぜか。
「銀座に来られるのは、政治家や成功した経営者など一流のお客さまばかりです。そんな方たちを相手に、数字だけを目指してもうまくいきません。だからこそ誰かに目標を与えられるのではなく、自分で目標を持って頑張る人を育てたい。自分の立場を超えた経営者の視点を持ち、お店を任せられるリーダーを。その一心でノルマなしでやってきました」
90年代後半、欧米の能力・成果主義の人事評価制度が日本企業に相次いで導入された。白坂氏もノルマを試してみたこともあるが、ホステスの個性を無視して経営はできない。すぐにそう思い直したという。
そんな稲葉では6月、4人のホステスによる「チーママ争奪戦」を開催。個人戦では重圧に4人の心が折れてしまうことを懸念し、チーム戦とした。それぞれリーダーシップを発揮し、普段以上の成果を出したという。ノルマではない仕掛けで、自ら気づかせ、自ら行動させる。これが「稲葉流」リーダー育成術だ。
「争奪戦に敗れ、もう仕事を辞めると泣いていた子も、一晩たったらまたやると言ってくれました。人はそうやって成長していくんですよね。その子の筋力に見合った重さを少しずつ増やしていくことが大切。逆に仕事に慣れてきた子には独立を促し、腹を括るきっかけも与えます。ただ今は必ずしも独立前提ではなく、一人一人にリーダーになる力を付けてもらうことを意識しています」
素人からプロを育てるクラブ稲葉流
稲葉のもう一つの特徴は、素人からプロを育てていることだ。他店の経験者はある程度の売り上げは見込めても、ノルマのない環境で働いた経験がなく、チームワークでつまずくケースが多いのだという。
ただし、素人の人材育成には配慮も求められる。現代の若者は頑張ればお金を稼げると言っても響かず、叱咤激励をすると、人格を否定されたと思い込み、仕事を辞めてしまうケースもある。真面目で責任感が強い人ほど修復が利かなくなる。
「今の若い子は、その行動が成長につながる、社会貢献になると話すと響きやすい。稲葉では加点方式で褒めて伸ばすようにしています。叱るのは信頼関係ができた後か、ある程度の立場に就けてから。最初からリーダーの素質がある子はいませんし、いきなり叱ると潰れます。どんなに厳しい経営者の方も、お孫さんのことは叱りませんよね」
白坂氏自身、子どものころは叱られないように先回りし、自らの目標に向かって努力してきた。グレていた高校時代、一念発起して大学進学を決めたときもそう。もっとも、その生き方を他人に強いることはない。
「今の子は自分で目標を立てることがまず難しい。言われたことを達成したら力尽きてしまう。リーダーとして伸びる子は仕事をこなし、さらに提案ができる。何度も機会を与え続けて、リーダーとしてどこまでやれるかを見極めていきます」
子の成長を辛抱強く見守る。これは母親の目線そのものだ。子どもは親の思いどおりにも、効率的にも動かない。「ホステスたちに安心感を与えるために、『お母さんはね』とあえて言ったりしますよ」と、その柔和な目元をさらに緩ませる。
今や「夜の銀座の顔」、業界のトップリーダーとして生きる白坂氏は、自らの仕事の流儀をこう語る。
「出会いはいつも大切にしています。心掛けているのは、私からは絶対に縁を切らないこと。距離感を変えず、一生付き合う。銀座は経営者でも著名人でも気軽に来られる場所ではありません。事業に失敗し、しばらく顔が見えなくなるお客さまもいます。それでも連絡を取り続けていると、いつか這い上がってきて、お店に来てくれることがある。戦友のような絆を感じる瞬間です」
稲葉のオーナーママとして銀座で成長してきた。稲葉だけでなく、銀座の街を元気にしていくことが、この地で働くことの恩返しになる。そう語る白坂氏は、夜の世界を生き抜いてきた、しなやかな強さと凛とした美しさを兼ね備えている。
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