パナソニックの津賀一宏社長は、間もなく就任7年目を迎える。プラズマテレビ事業の失敗という嵐の中での船出だったが、事業領域の軸足をB2Bに移すことで、ようやく成長軌道に乗り始めた。しかし変化のスピードがさらに加速する中、安定的に利益を生み出すのは容易なことではない。創業100周年を迎えたパナソニックが、次の100年に向け発展し続けるには何が必要なのか――。津賀社長に聞いた。 聞き手=関 慎夫 Photo=北田正明
津賀社長が語るパナソニックの経営①「エレクトロニクスにはこだわらない」
―― この3月7日にパナソニックは創業100年を迎えました。かつては「家電の松下」と言われた会社が、津賀さんが社長になってからB2Bへと大きく舵を切るなど、その姿を急速に変えました。その分、何の会社か見えにくくなっています。パナソニックは何の会社なのですか。
津賀 日本では家電の売り上げ比率が3割近いですから、「家電のパナソニック」と言っていいかもしれませんが、これがアメリカだと5%ほどですから、とても「家電の」とは言えません。
それに残念ながら家電の伸びしろは小さい。特に国内では人口の減少とともに縮小していかざるを得ない。そう考えると、縮小するところに身をおいた会社というイメージは出したくない。
では何の会社か。クルマ関係の比率は上がっていますが、クルマ自体をやっているわけじゃないから、クルマの会社ですというわけにもいかない。ですからなかなか一般の方が分かりやすい形で申し上げられないというのが正直なところです。
―― 先日の決算発表の時にはコーポレートスローガンである「A Better Life, A Better World」の会社であると説明していました。
津賀 一時は自分たちのことを総合エレクトロニクスメーカーとか、環境革新企業と言っていた時代もあります。
でも冷静に考えるとこれでは何を言っているか分からない。私は理科系なので、何を言っているのか分からない言葉は使いたくない。
その点、経営理念なら社員みんなが共有しています。パナソニックの経営の理念とは、人々の暮らしを意識しながら社会の発展に貢献するということです。今の言葉で言うと、「A Better Life, A Better World」になります。これからの時代、マスではなく、一人一人に向かって何がベターなのかを考えながらやる会社でありたい。
さらにはエネルギー問題や、水や空気という領域、もしくはサービス産業を裏からサポートして社会がよくなることに貢献する。そういう意味で、「A Better Life」と「A Better World」をペアでやっていく。今のパナソニックはそういう会社です。
―― その言葉だと、エレクトロニクスである必要はなくなります。
津賀 そうです。実際、エレクトロニクス以外もやっています。エレクトロニクスは強みとしては生かすけれど、エレクトロニクスがなければわれわれの事業領域ではないんだという発想はもはやしていません。
例えば断熱性の優れた住宅やその建材は、エレクトロニクスではないけれど、お役立ちの度合はものすごく大きい。ですからそういう新しい材料、新しい建材をつくり、それを家に適用しクルマに適用する。これも十分パナソニックらしい事業だと思います。
―― となると、もはや事業領域に制限はない。
津賀 ないですね。2004年に松下電工を買収し、09年に三洋電機を買収したことで変わってきました。一昨年にはハスマンというアメリカの冷凍ショーケースメーカーをM&Aしましたが、これもエレクトロニクスとは言えません。
でもコールドチェーンの構築は生活にとっては非常に重要です。こういう領域もこれから伸ばしていきます。
―― 津賀さんが社長に就任する前と後ではまるで違う会社になりました。
津賀 少し訂正させていただくと、確かに私の前までは家電を前に出していた。私が就任してから、もはや家電メーカーでないとか、もはやテレビはコアではないと言い始めましたが、これは私が変えたのではなく、今まで隠れていた部分が見えるようになっただけです。
今までもずっと、家電以外の新しい領域にチャレンジしてきました。でも常に調子のいい家電が何かしらあった。例えばビデオだったり、デジタルテレビ、あるいは携帯電話など、象徴的なヒット商品があったために、家電にスポットが当たっていました。
でも実態は、新しい領域がどんどん進化していたのです。同時にシンボリックな家電商品がなかなか出なくなった。だから私になって、B2Bにシフトする、クルマ事業を強化する、という話が表に出てきたわけです。今日言って明日事業領域を大きく変えることなどできません。着々と水面下で進んでいたからこそ舵を切れたのです。
津賀社長が語るパナソニックの経営②「利益はお役立ちの後からついてくる」
―― 松下幸之助は「日に新た」と言い続けています。それはパナソニックの歴史でもあるのですが、問題は次の芽をどうやって見つけるかです。
津賀 次の芽というより、「場」を定めることです。どの場であればわれわれがリソースを持っているのか。その場にシフトしていく。
それが今ならクルマです。クルマは従来の内燃機関型のメカニカルを主体としたものから、電気電子型に変わってきています。ですからここにリソースを投下する。その際、パナソニックなら他社にできないことができなければいけません。その場を探していくことが、一番大事な経営です。
しかも、それを他社より早くやらなければならない。クルマもほんの数年かもしれませんが、他社に先んじたことで、一歩先んじることができたのです。
―― 変化の激しい時代に一歩先を読むには何が必要ですか。
津賀 どんな事業も、やり始めてから表に出るまでには長い時間が必要です。ですからいろんな水面下の活動を、他社以上にやっていく必要がある。何が当たるかは分からない。
でも水面下で絶えずこんな出口があるはずだ、あんな出口があるはずだ、こんな場が有望になるかもしれない、ということを日常的に行っていくしかありません。
―― しかも一度大きな利益を上げてもいつまで続くか分かりません。津賀さんが社長に就任した時には絶好調だったアビオニクス(航空機内AVシステム)も今は苦戦しています。
津賀 ものすごく儲かるというのは別の言い方をすればバブルなんですね。バブルはいつかはじけます。でも着実な世界も間違いなくある。そこをつかまえることのほうが重要です。一時的にバブルで儲けることもいいですが、バブルを追い続けていてはおかしくなってしまいます。
―― でもそれでは利益率はあまり上がりません。
津賀 われわれは利益を中心には考えていません。お役立ちの結果としての利益です。利益は後からついてくる。逆に利益が十分でないからといってお役立ちをやめることはできない。そういう気持ちは強いですね。
不採算の事業をアメリカのようにスパーンと切ってしまうということも確かに経営のひとつです。でも理想は新しい領域を見つけてそこにリソースをシフトしていく。逆に不採算事業が処分できないのは、新しいリソースを必要とする分野を見いだしきれていないからだととらえています。
津賀社長が語るパナソニックの経営③「ギガファクトリーがパナソニックを変える」
―― 今後のパナソニックの成長のカギを握るのが、テスラ向け車載電池です。テスラとは合弁でギガファクトリーを建設、生産を始めていますが、なかなか量産体制に持っていけません。本当に大丈夫なのでしょうか。
津賀 ギガファクトリーが伸びていくというのは間違いない話。それは信じてください。
ただ、今まで計画どおりに伸びてきたのか、右肩上がりでスムーズに伸びているのか、というとそうではない。
でも一番苦しい立ち上げの段階をいつ乗り切ることができるのかというと、それが今年です。すぐそこまできています。
そうなれば、「モデル3」というクルマが年間50万台つくられる。そういう高いターゲットを目指しています。苦労はしているけれど、それはもう時間の問題だと、われわれは信じてます。
―― その一方でテスラは資金調達に躍起になっています。量産体制に入るまでに資金ショートは起きないのか、不安も囁かれています。
津賀 テスラさんはそれなりのキャッシュを持っています。資金を必要としているとしたら、それは今後の増産のためだと思います。モデル3の年間50万台が見えてくればギガファクトリーの増設という話にもなる。
モデル3の次にはモデルYというSUVの生産を想定していますから、そのための工場も必要で、それには資金が必要になってくる。ですからモデル3を立ち上げるプロセスにおいて資金がショートするとは思えません。
―― それでも週5千台の生産をするといいながら、その計画を何度も延期しているだけに気になります。
津賀 われわれは、1週間に何台できたかというデータをいただいてますが、ここにきて非常に台数が上がってきてますので心配していません。
―― 車載電池では、中国が国を挙げて開発・生産に取り組んでいます。パナソニックがトップを走り続けるには何が必要ですか。
津賀 常にトップでいられる保証はありません。われわれはテスラさんとパナソニックが考える最高の電池で電気自動車をつくるというターゲットを掲げ、ロードマップを持って前に進んでいます。これほどのスピードで進化する電池メーカーはないと思います。
確かに多額の設備投資を行えば、大量に電池を生産することはできるでしょう。でもその電池とテスラ&パナソニックがつくる電池は全然違うものです。
―― どこが違うんですか。
津賀 性能が違います。航続距離、スピード、長期的に安心して使ってもらえる電池寿命など、いろんなところが違います。
もし仮に、われわれのつくるものがほかの国でつくっている電池と変わらないということになれば、この事業を頑張って続ける意味はありません。
―― パナソニックの文化とテスラの文化は全く違うと思います。この文化のギャップは、パナソニックにどのような影響を与えていますか。
津賀 影響はものすごく大きい。だからこそ一緒にやっているんです。お陰で技術の進化がものすごく速くなりました。テスラさんが求めたものにわれわれの技術陣が応えるためには、従来のステップバイステップでは追いつけません。非常に高いターゲットにチャレンジし続けている結果、他社より相当性能のいい電池をつくれるようになりました。
それでも今の電池に満足することなく、3年後、5年後を目指して開発しています。何しろ彼らは電池で飛行機を飛ばしたいと言っていますから、それに応えるにはより軽い電池をつくらなければなりません。そんなことをテスラさんとは日々話し合ってます。
津賀社長が語るパナソニックの経営④「自前主義を捨てアライアンスに活路」
―― ギガファクトリーもそうですが、最近のパナソニックは他社とのアライアンスが多くなっています。自前主義を捨てた理由はなんでしょう。
津賀 私はAVC社(映像・音響機器を担当していた社内分社)でDVDをやり、別のチームはプラズマテレビをつくっていましたが、その頃は自前主義でした。なぜ自前主義だったかというと、自分たちでできたから。半導体もパネルも、全部自分たちが持っていて、人の力を頼る必要がなかった。
このやり方だと確かにいいものはできます。だけど他社製品と比較しないため、それが一番のモノなのかというとベンチマークがない。もし一番だとしてもどういう点で一番なのか、自前だとそういうところがあやふやになってしまう。
それで韓国メーカーに負けたというのがプラズマテレビです。自前主義の結果、こういうことが起きたことを反面教師としています。こんな失敗は二度としたくない。
ですから車載電池でもできるだけオープンにやっていこうと考えています。テスラさんと組むだけでなくトヨタさんとも組んで別の方向から開発していきます。それぞれをベンチマークにしながら競い合っていく。これは自前主義ではできません。
―― かつてパナソニックは差別化の源泉として技術のブラックボックス化を目指していました。そういうものはもはや必要ない?
津賀 今も電池はブラックボックスですよ。ただ、電池がブラックボックスだからといって真似されないわけじゃないし、真似された時に知財で押さえきれるわけでもない。
ブラックボックスという言葉だけでビジネスをつくれるものではないんです。隠すよりも絶えず進化させ、そのスピードを緩めないことでリードを保ち続ける。そうなればいい。
キャッチアップするには時間がかかります。そしてキャッチアップした時にはわれわれはその次のフェーズに行っている。それを繰り返すしかありません。
―― そういう会社になるために不可欠な条件はなんですか。
津賀 ひと言で言えばイーロン・マスクのようなあくなき挑戦者です。そんなこと無理だろうと思うことを平気で挑んでいくようなスピリッツを持っている。やはりそこだと思います。
―― そういう人材は育てることができるのですか。それとも外部から引っ張ってくるのでしょうか。
津賀 育てられます。というよりも、われわれの中にもある比率、低い比率ですがそういうタイプの人間がいます。
私がDVDをやっている時にも、そういうタイプの人が先兵となって出ていって、それを見ながら私たちは攻めていった。
大切なのは、この人たちを他の人材でダメにしないことです。挑戦しようとしているのに、そんな無謀なことやったらダメだとブレーキをかけたのではスピードが上がりません。
そのためには自由な風土を築く必要があります。減点主義より加点主義、さらには社内だけでなく外部からユニークな人材を持ってくる。
ビジネスイノベーション本部長の馬場(渉)さんは、SAPから来た人ですが、かなりおかしなヤツです(笑)。見た目からして変で、こういう人がこの会社では幹部もしくはリーダーとしてやれるんだということをどんどん見せ、裃を着た、いい子ヅラした人だけがこの会社を経営しているのではないことを示しています。そしてわれわれが彼らを全力でサポートしていきます。
津賀社長の次の社長選びはどうなるか?
―― 6年前、社長に就任した時はパナソニックは危機的状況にありました。津賀さんはまずは普通の会社にしたいと言っていましたが、その段階はもう過ぎたのですか。
津賀 当時思った普通の会社というレベルはもう過ぎていると思います。
―― 前任者も前々任者も6年で社長を辞めています。津賀さんも丸6年。しかも3月には節目の100周年も迎えました。当初の目的を達成したにもかかわらず続投したのは何かやり残したことがあるからですか。
津賀 確かに100周年を区切りに辞めるということも一つの考え方です。
一方、100周年は新しい100年に対してスタートを切るということから、このスタートを見届けてからバトンタッチという考え方もある。
私の社長業は大赤字からのスタートだったので、100周年を増収増益の形で迎えられるとはなかなか思えなかったし、そんな余裕もなかった。それでも毎年いろんなトライアルをして失敗を重ねながら成功も収めていくと、もう少しやりたいなという気持ちが起きてくるんですね。それに樋口(泰行)さんなど多くの方々に外部から来ていただいています。
それなのに後は頼むと戦線離脱するのは申し訳ないなという気持ちが沸いてきて、ずるずると7年目に入ろうとしているのが偽らざるところです。
―― 事業領域が大きく変わっているだけに後を託す人を探すのも大変でしょう。
津賀 欲を言えばきりがない。でもそれを言ったら、なぜ私が社長になったのか。結果としては何となくいい方向には来ている。
その意味では私でよかったのかもしれないけれど、選ばれた当初も、そして今でも、なぜ私なのかというのは分からないですね。それだけに、次の方に対して明確な要件を定めることはありません。
何となく、彼なら会社がよくなるんじゃないか、みたいな感じだと思います。そういう方が出てくればそれでいい。それにこの会社は、トップがすべてではなく、皆でなんとなくよくしていけるような形の会社に変わりつつありますしね。
―― 松下幸之助なら「運のいい人を選ぶ」と言うでしょうね。
津賀 運というのは必要不可欠です。運の悪いヤツは絶対ダメです、絶対。
それともう一つ、人のいうことを聞かないヤツもダメです。幸之助さんがよく使った言葉に「素直な心」というものがあります。衆知を集める、ということですが、幸之助さん自身、いろんな人の話を直接聞いています。その上で、最後は自分で決めなければなりません。
その決断には運も勘も必要ですし、センスや時代の読みも重要です。今の時代でしたら技術に対する理解力、例えばAIと経営の関係についての理解などが非常に大事なことになると思います。そして自分の言葉で語れる人です。
でもそれを私ができているとは思えない。だからやっぱり「何となく、あいつだったらよくなるんとちがう」ということでいいんじゃないでしょうか(笑)。
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