かつて「ブックオフ」で古本市場に革命を起こした坂本孝氏は、10年前に飲食業に進出。一流シェフの料理を低価格で提供する、「俺の」を冠したレストランは爆発的な人気を呼んでいる。この坂本氏をサポートするのが、産業再生機構出身で、コンサルティングファーム、フロンティア・マネジメント代表取締役の松岡真宏氏。20年にわたり交流を続けてきた2人が、坂本流経営の真髄を語り合った。聞き手=関 慎夫 Photo=西畑孝則
坂本孝氏プロフィール
松岡真宏氏プロフィール
坂本孝氏が「俺の」を起業した理由
坂本孝氏と松岡真宏氏が交流を始めたきっかけ
―― 松岡さんが代表を務めるフロンティア・マネジメントの関連会社FCDパートナーズは「俺の」の株主であり、松岡さんは社外取締役を務めています。お二人の付き合いはいつ頃始まったのですか。
松岡 2000年ぐらいですね。当時、証券アナリストだった私がある講演会で講演したところ、坂本社長から声を掛けていただき、お茶を飲みました。これがきっかけです。
坂本 松岡さんは『小売業の最適戦略』(日本経済新聞社.1998年)という本を書いていて、これをニューヨークの紀伊國屋書店で手に入れて読んだところ、僕が思っているのと同じことが書いてあった。
でも、企業には4つの成長段階があって、レベル4にまで進化したら、大手企業と提携してノウハウを導入すべきと書いてある。僕はすべて自分たちでやればいいと思っていたから、それを直接解説してもらおうと思い、講演会の主催者に、待ち伏せできるように手配してもらっていました。
松岡 それからは年に数回、ランチや夜の食事をご一緒するようになりました。仕事は全く関係なく、プライベートなお付き合いでした。
坂本 僕には下心があった。当時のブックオフは株式公開を目指していたので、小売業のトップアナリストと親しくなれば、いいことを書いてもらえるのではと(笑)。
松岡 でも上場されたのが04年。私は03年に産業再生機構に入ったので、証券アナリストとしてはお役に立てませんでした(笑)。
稲盛和夫氏を恐れて「俺の」を起業した坂本氏
坂本 再生機構に行った時は、守秘義務があるから当分会えなくなると言われました。私はそんな無茶なと思ったけれど、待っていたら再生機構を卒業しコンサルティングファームを開くという。それからまたお付き合いが始まりました。
そうしたら、僕が「文春砲」の襲撃を受け、結果的に辞任することになってしまった。辞めるなら会社の株を全部売ろうと思って、その処理を松岡さんに依頼しました。これがビジネス面での最初のお付き合いですが、いざ実務をお願いしたら、完璧にやってくれました。やはりすごい人なんだとあらためて思いましたね。
―― 株を売った時には、「俺の」をやろうと決めていたんですか。
坂本 思っていませんよ。株を売ったお陰で、ちょっと贅沢できるお金を手にしましたから、ハワイに行ってゴルフ三昧、酒とバラの日々を送ってやれと考えていました。
当時、ワイキキにトランプタワーが建設中で、モデルルームも見に行って、ここが僕の住処だと。でもそうもいかなくなった。僕は京セラ創業者の稲盛(和夫)さんにかわいがっていただき、何かあると呼びつけられて怒られてきた。
その経営の師匠が、日本航空の会長を引き受けられた。僕は稲盛さんより8歳若い。それなのにハワイで隠居していたらまた叱られてしまう。それが怖くて(笑)。そこでもう一度ビジネスを続けようと思い、飲食業を立ち上げました。
常識に異を唱える坂本流経営とは
料理人が誇りを持てる職場をつくろうと思った
松岡 当初、焼き鳥屋を始められた時は、完全引退は面白くないので、こういう店をいくつかやるのかなと思っていました。
坂本 松岡さんの言うように、最初は自分が食べにいく店をつくろうかな、というところから入ったんですよ。全く不案内の業種だし、専門性、人脈もない。たまたま腕のいい焼き鳥の職人さんがいたので、銀座で始めたのが入り口でした。
松岡 それがいつの間にか「俺の」になって、あっという間に大きくなったのでびっくりです。
坂本 稲盛さんの経営塾「盛和塾」に入って教わったのは「利他」の心です。人のために汗をかく。人のお役にたつほど美しいものはない。最初はその意味が分かりませんでした。自分の頭のハエも追えないのに、なんで人に尽くさなければならないんだ。そう思っていました。それでもブックオフを経営しているうちに、みんなが幸せになることが経営の一番の目的であると、ある日、すとんと腑に落ちた。
この「利他」の心で飲食業界を眺めると、料理人のほとんどが専門学校卒業生なのに、10年後にはそのうちの1割しか業界に残っていない。なぜなら厨房に魅力がないから。
おいしい料理を食べたいお客さんは山といる。しかも日本食ブームが起き、日本の料理人の腕は一流であることが世界に知られるようになった。まさに料理王国日本です。
それなのに料理人が、厨房で働くことに魅力を感じていない。ならば料理人が職業に誇りを持ち、料理が楽しいと思える職場をつくろうと思ったのです。
トライ&エラーを繰り返す
―― 「俺の」の特徴は、腕のいいシェフのつくる高原価率の料理を高回転で提供することにより、従来以上の利益を実現するというものです。これは松岡さんのアドバイスですか。
松岡 全く違います。坂本さんとはあくまでプライベートでの付き合いでしたから、新聞や雑誌で「俺の」の記事を読んでこんなことになっているのかと。ですからすべて坂本社長が考えたビジネスモデルです。
坂本 ブックオフの時もそうですけれど、誰かから指導受けたというではなく、自分で考え自分で企画して、失敗してやり直してまた失敗して、その積み重ねです。僕は今までいくつもの事業をやってきましたが、成功よりも失敗のほうが多い。だから経営者仲間が集まって成功体験を話し出すと僕は静かになる。だけど失敗話だったらいくらでも話せます。
松岡 一般的な常識を疑うところが坂本社長らしいですね。ブックオフの場合なら、本屋は定価販売が当たり前、在庫が出ても出版社が引き取ってくれる。ブックオフはこの再販制度に挑戦しています。料理の世界なら、高級フレンチやイタリアンの場合、1日1回転です。だから料金も高くなる。
この常識をひっくり返し、高回転で回すことで、一流シェフの味を誰にでも手が届く料金で提供できるようにしたのが「俺の」です。つまり表現の仕方は古本とレストランで違うけれど、常識に異を唱え、トライ&エラーで崩していくという意味で根っこは同じだなと思って拝見していました。
坂本 そう言われるとそうかもしれないですね。
創業者と再生請負人の経営手法の相違点
松岡 そして今ではビジネス上のご縁も深まりました。きっかけは3年前、「俺の」が中国進出する時に、中国のパートナーをご紹介したのが最初でした。たまたま香港に上場している中国企業の女性社長が来日したのでランチしたら、「昨日入ったレストランが面白かった」と。そのレストランが「俺の」だったので、その場で坂本社長に電話して、2時間後に連れて行ったんですよね。
坂本 それまで中国にはほとんど興味がありませんでした。だけど松岡さんが言うのなら、いいかもしれないと思って飛びつきました。今ではフランチャイズで上海店をお願いしていますが、これからもっと大きなチャンスが訪れるんじゃないかと予感しています。
そして昨年、フロンティア・マネジメントさんの関連会社に出資していただき、松岡さんには社外取締役になってもらったことで、関係はさらに深まりました。
出資をお願いしたのは、株式の公開を考えているためです。そのためには外部資本を入れてガバナンスを強化する必要があると思ったのです。そうしたら松岡さんにお手伝いしましょうかと言ってもらえた。そこからとんとん拍子に進んで、今にいたっています。
松岡 フロンティア・マネジメントから管理担当の役員を送り込んでいますし、私ともう一人、投資ファンドの人間も社外取締役を務めています。これによりガバナンスは強化されましたが、その一方で坂本さんの発想や行動力を阻害してはいけない。それこそが会社の価値ですから、そのバランスを大切にしています。
でも毎月取締役会に出席するようになって少し驚いたことがあります。私は今までいろんな会社の取締役会に参加してきましたが、社長が数字ではなく、思いをこれだけ伝える取締役会は経験したことがありません。もちろん、業績など数字の話もしっかりされるのですが、それ以上に自分が何をしたいんだ、こういう考え方をもっているんだということをとうとうと話される。
坂本 ブックオフ時代から、数字の説明をするよりも、考え方、戦略を共有しようと考えて取締役会に出席してきましたからね。
松岡 坂本さんのように、自ら起業して経営するケースと、私がこれまでやってきた企業再生とでは、全く手法が異なります。企業再生では1年目と2年目以降で全然違う動作が必要で、1年目は病気を治す、病巣を取り除く作業です。
正直に言うと、フィロソフィーを語るよりも集中治療室でやるべきことを徹底する。でも再生モードで頑張れるのは12カ月が限度です。13カ月目以降はいかに会社として成長するか、どうやって社会に貢献するかという話をしていかないと、社員の心が持ちません。ですから、1年目のどっかの段階で、軸足を徐々に変えていく。その加減がすごくむずかしいのですが、それこそがわれわれのノウハウです。
坂本氏が描く「俺の」という会社の未来
「俺のベーカリー」を育てていく
―― 「俺のイタリアン」「俺のフレンチ」から始まって、「焼き肉」や「割烹」などどんどん業態が広がっています。「俺の」という会社を今後どこまで大きくしようと考えていますか。
坂本 業態を増やしているのは生き残るための戦術です。どんな事業でも、消えゆく業種もあれば、ライバルが出現しどうやってもかなわなくなる業種もあります。そしてそれは簡単には予想できません。その中で生き残るには、選択肢を持って、その中から本当に強い業種を選び育てていく。
これまでもその繰り返しでした。だから今もフレンチやイタリアンだけでなくいろんなことをやって、その中で一番力強いものを伸ばしていく作業をしていますが、最近では食パンと言う新しい業態を一生懸命伸ばそうとしています。
今、「俺のベーカリー」は8店舗ですが、新しい業態なので毎日、新しい発見があります。その中にはいい発見も悪い発見もありますが、悪いところは直し、いいところを伸ばす。そして8店舗が完璧になったら、次のステージに移ります。
今後の目標は、企業ですから当然あります。でも1千店を目指す、あるいは売上高1千億円というように数字を追うのではなく、その地域でなくてはならない企業・店になることを目指します。
そのことでお客さまのダントツの信頼を得ることができれば、数字は後からついてきます。大切なのは世の中の人に喜ばれること。これを全面的に押し出していきます。
サラリーマン経験がないことのメリット
松岡 坂本社長のすごいところは、今でも発想力や行動力が衰えないところです。ちょっとお会いしていない時期があると、必ず新しいことを考えて行動されている。
私の父親とほぼ同い年なので、オヤジにはいつも坂本さんの話をして、オヤジも頑張れよと言っていますし、僕自身も刺激を受けています。坂本社長に会うたびに、同じことを繰り返してはいけないと肝に銘じています。
坂本 僕の実家は山梨県の中小企業でした。大学を出たあと、サラリーマンになって社会勉強しようと考えていましたが、事情があってかなわず、家業を継いだため会社勤めをしたことがありません。だから事業をするのは宿命や運命ではないかと感じています。
サラリーマン経験のないことには、長所短所それぞれありますが、いいほうに考えれば、ほかの人がリスクと思うものをリスクとして感じないところがある。それが失敗を恐れないことにつながっているし、僕のエネルギーになっているのではないかと思います。
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