新型コロナの影響で、トヨタやパナソニックなどそうそうたる大企業までもマスク製造に乗り出した。中でも真っ先に手を上げ、市販を始めたのがシャープ。なぜ専門外のマスク製造に乗り出したのかを探っていくと、経営危機を乗り越えた強さの秘密が見えてきた。文=関 慎夫 『経済界』2020年7・8月合併号より加筆の上転載】
シャープがマスク製造に乗り出した経緯
抽選倍率は100倍に
「できるだけ早く品切れが緩和されるよう官民連携して取り組んでいきたいと思います。(マスク不足が解消されるのは)来週以降ということであります」
菅義偉官房長官が会見でこう語ったのは2月12日のことだった。その後、マスク不足は徐々に解消してきたものの、いつまた供給不足に陥るか分からない。
そうした中、人気を集めているのが、シャープ製のマスクである。
購入希望者がウェブサイトを通じて申し込むと、原則毎週水曜日に抽選で購入者を決定、1箱(50枚入り)を2980円(税別)で販売する。第1回の抽選は4月28日に行われたが、4万箱の発売に対して470万人の応募があった。当初は、シャープのECサイトで販売を開始したが、想定以上にアクセスが殺到したため、通常販売を断念、抽選販売に踏み切ったという経緯である。
シャープがマスクを製造すると発表したのは2月28日のことだ。この段階で日本における感染者数は200人強にすぎず、緊急事態宣言も発出されていなかったものの、産業界は既に大打撃を受けていた。
電機業界の場合、サプライチェーンを中国に頼っているところが多く、中国の経済活動のストップにより部品調達に支障をきたした。また中国という巨大市場が事実上閉鎖されたため、ロボットメーカーなど、中国向け輸出比率の高い企業の業績は急速に傾いていた。
シャープも例外ではない。主力製品である液晶は、中国で製造しているiPhone向けの出荷が思うように進まなかった。この影響は大きく、第4四半期決算に大きな傷を残した。
マスク製造を可能にした設備と鴻海のノウハウ
そうした中、シャープは政府の電機メーカーなどに対するマスク製造の依頼に応じることにした。なぜ政府が電機メーカーに依頼したかとういうと、半導体や精密機械を扱う電機メーカーは、もともとクリーンルームを備えているためだ。
アベノマスクのような布製マスクでは不要かもしれないが、PM2・5などの微粒子をブロックする高機能なマスクを製造するには、それなりの設備が必要だ。シャープの場合、三重工場のクリーンルームに空きスペースがあり、そこにマスク生産機器を設置することができた。加えて、親会社の鴻海精密工業が、2月からマスク生産に乗り出しており、そのノウハウを導入することも可能だった。
製造を開始したのは3月24日のこと。日産15万枚からスタートしたが、徐々に製造枚数を増やしており、最終的には1日50万枚を目指している。
マスク製造を数百億円規模の事業に
驚かされるのは、シャープがマスク製造を事業としてとらえていることだ。
通常、非常時における本業以外の取り組みは、余剰人員の活用であることが大半だ。世界の経済活動が止まり、先行きも不透明。しかし安易な人員カットはしたくない。
松下電器(現パナソニック)の創業者・松下幸之助が昭和恐慌で危機に陥った時、仕事のない社員に工場の草むしりをしてもらって雇用を維持したという大昔のエピソードは有名だが、それと同様、解雇しないために新しく仕事をつくってあげる。いかにも日本的な温情経営だが、だいたいの場合、うまくいかない。会社としても本気ではないし、社員も自分の置かれた立場が分かっているからモチベーションも低い。これでは事業として成り立つはずもない。
シャープの場合は違う。
製造開始から約1週間後の4月1日、戴正呉会長兼社長は、社員に向け次のようなメッセージを発している。
「マスクは社会貢献を目的に生産を開始しましたが、長期にわたって継続できる事業にもなると考えており、既に日本に次いで米国においてもマスクの生産を立ち上げました。さらに欧州やインド、中国においても近々生産開始できる見通しです」
この言葉からは戴会長兼社長のマスク製造事業化への強い意欲がうかがえる。
仮に現在の三重工場でフル生産に入ったとして、1日の生産量は1万箱(50万枚)。これをすべて販売すれば、2980万円の売り上げとなる。休日なしで工場を稼働させたとして、年間売り上げは100億円となる計算だ。しかもこれを世界各国で生産すれば、数百億円規模の事業となる。
マスク製造から見えるシャープの経営姿勢
コロナ禍をビジネスチャンスに
もちろんこの計算が成り立つには、今後1年以上にわたってコロナ禍が収束しないことが前提となる。また、既存マスク製造メーカーも増産に励んでいるため、需給が緩めば現在の価格を維持できない恐れもある。
しかしコロナ禍前と後では世界が大きく変わった。先日、新型コロナウイルスに関する政府の専門家会議が示した「新しい生活様式」では、普段からのマスク着用を勧めている。
また、「病人の象徴」としてマスクを毛嫌いしていた欧米人も、コロナ禍をきっかけにマスクを着用するようになり、今後も日常的に使う可能性が出てきた。少なくとも、これからの社会では、コロナ以前よりマスク需要が減ることはあり得ない。ならばそこに商機がある、とシャープは考えた。
何より注目しなければならないことは、コロナ禍をピンチとしてとらえるだけでなく、新規ビジネスのチャンスととらえる姿勢だ。大半の企業が、コロナ禍が引き起こした世界恐慌に脅え、守りの姿勢を固めている。
いつ収束するか分からない今、じっと身をかがめ嵐のおさまるのを待つばかり。その間に内部の体制を見直し、無駄をそぎ落とし、収束後のV字回復に備えている。
それはそれで重要なことだが、シャープは守りを固めるだけでなく、嵐の中に打って出ていく姿勢を示した。そこに価値がある。
素早い意思決定とチャレンジ精神
先に紹介した社員向けメッセージの中で、戴会長兼社長は次のようにも語っている。
「当社は新規事業の創出に取り組んでいますが、このマスクは、極めて速いスピードで異業種分野において生産を立ち上げた一例となります。今後、単にマスクに留まらず、健康関連分野へと事業の幅を広げていきたいと考えています」
さらに、4月28日に発した社員向けメッセージでは、「新型コロナウイルスの影響により、私たちを取り巻く事業環境は一段と厳しさを増していますが、私たちが為すべきことは何も変わりません。これまで通り、経営基本方針に沿って、抜本的構造改革に取り組むとともに、創意をもって新たな商品やサービスの創出にチャレンジすることです」と社員に語り掛けた。100年に一度の経済危機にあっても、「いたずらに恐れることはない。やるべきことをやろう」という宣言だ。
周知のように、シャープは一度地獄を見ている。リーマンショック以降の業績悪化により、単独では経営を維持できず、鴻海傘下になることで、命脈を保ってきた。
その鴻海がシャープ再建役として送り込んできたのが戴会長兼社長だった。その結果、16年3月期には2559億円の最終赤字を計上していたものが、18年3月期には黒字化を達成する。16年8月には東証2部に転落したが、1年4カ月後には1部復帰を果たしている。
これを可能にしたのが、戴会長兼社長のリーダーシップであり、圧倒的なスピードを持った意思決定、チャレンジする姿勢の浸透といった鴻海流の経営手法だった。
今回のマスク製造においても、スピード感ある意思決定とチャレンジする姿勢は遺憾なく発揮されている。今後、マスク製造が本当に事業として成り立つかどうかは不明だが、こうした経営姿勢は評価していい。
延長された緊急事態宣言が本当に5月末日をもって終わるのか、いったん収束しても来る秋冬に第2波が襲来するのか、現時点では誰にも分からない。先が見えない時に前に進むには勇気が必要だ。しかしその勇気こそ、今の日本企業に何よりも求められているような気がしてならない。