新型コロナウイルスによって、日本人の働き方は大きく変わった。テレワークは一般化し、これまでなかなか進まなかったデジタルトランスフォーメーションも大きく前進することとなった。働き方が変われば、必要な能力も変わってくる。それをどうやって学ぶべきなのか。サントリーホールディングスの新浪剛史社長は自らのビジネスマン人生を顧みて「若い頃から責任のある仕事を任せることで人材が育つ」という。そして上司は、サポートしながらも口出しせず、最後の責任を取る覚悟で臨むべきとも。新浪流人材育成の要諦はいかなるものなのか。聞き手=関 慎夫 Photo =山内信也(『経済界』2020年11月号月号より加筆・転載)
新浪剛史・サントリーホールディングス社長プロフィール
(にいなみ・たけし)1959年横浜市生まれ。81年慶應義塾大学経済学部を卒業し三菱商事入社。91年ハーバード大学経営大学院でMBAを取得。95年ソデックスコーポレーション(現LEOC)社長、2002年ローソン社長に就任(出向)し、03年には三菱商事を退職。14年5月に会長となるが、同年10月にサントリーホールディングス社長に転じた。
サントリーに息づく利益三分主義の教え
―― 新型コロナウイルスはビール業界を直撃しています。サントリーの上期決算は売上高が約1割減、営業利益は約2割減の減収減益でした。
新浪 緊急事態宣言が出たことで業務用の落ち込みが非常に大きかった。宣言解除後は、多少良くなってきていますが、先が読めない状態が続いています。ワクチンの開発が進んでいるとも言われていますが、あまり楽観的には考えていません。その一方で、家庭用マーケットは活発で、eコマースなどの新しいチャネルも伸びています。
―― コロナの流行から今まで、何を心掛けてきましたか。
新浪 基本は社員の安全・健康第一です。そのうえで、この難局を乗り越えていくためには社員が団結心を持つことが必要だと訴えてきました。
そこで三密を避けながらも、マイクロソフトのTeamsなどのソフトウェアを活用してコミュニケーションを密にする。さらに先ほど申し上げたeコマースなど伸びているところを徹底的に伸ばしていく。
そして収束後、一気に攻勢をかけられるように商品開発にも力を注いできました。今、世界的に健康意識が高まっています。サントリーには特茶やノンアルコールビールなどのポートフォリオプロダクトを持っています。それをさらに充実していきます。
そしてもうひとつ忘れてはならないのは、「giving back to society」――社会との共生です。コロナが流行して以来、サントリーでは消毒用にアルコールを医療機関に提供したり、バーやレストランを「さきめし」などで支援してきました。
またアメリカでは支援しているレストランの従業員に食事を提供するとか、地域ごとにさまざまなことをやっています。これをさらに進めていく。そうやって仲間意識を強め、なおかつ良い会社に勤めているというプライドを社員に共感してもらったのではないかと思います。
サントリーには「利益三分主義」という創業者・鳥井信治郎の精神が脈々と流れています。会社は何のために存在するのか、サントリーは社会になくてはならない会社であることを、社会との共生を通じて社員に認識を強くしてもらったのではないでしょうか。
―― 働き方も大きく変わったのではないですか。
新浪 仕事のやり方を見直す良い機会になったと思います。デジタルトランスフォーメーション(DX)を進め、機械で正確にできるものは任せていく。その一方で人間には感性や経験に裏付けられた仕事をやってもらう。
よく、AIが仕事を奪うという言い方をしますが、AIは生産性を上げるためのツールとして活用しながら、社員はクリエーティブな仕事、われわれでいえば面白い商品、面白いサービスを開発する。そしてそれをお客さまに伝えていく。そういう棲み分けになると思います。
―― コロナ禍によって、日本のデジタル化が大きく遅れていることが明らかになりました。かつては電子立国日本と言われた国が、なぜこうなってしまったのでしょうか。
新浪 デジタル技術を使わなくてもアナログでかなりのところまでできてしまうからでしょうか。例えば列車の時刻表なんて鉄道会社の専門家が職人技で作っていました。
そういうものをAIでできるようにするには、時間もコストも必要です。そこで、今あるものを見直すよりも、これまでのやりかたでいこうということになってしまう。
AIを導入すれば業務が一気に楽になるわけではありません。機能させるにはデータを蓄積しなければならず、それまでは活用も進まず精度も高くなりません。その初期の段階と従来のやり方を比較すれば、従来のほうが生産性が高いかもしれない。そこで、やっぱり前のほうが良い、となりかねないし、そのリスクを取りたくないから導入しない、ということになってしまいます。
ですから導入にあたっては、まずやってみる。そして不具合があれば改善する。それをスピーディに試行錯誤して精度を高めていく。そのためには経営トップが関与し、決断することが必要です。
―― 日本はモノづくりによって成長してきた国です。その原点にあるのは、最初から良いものをつくり提供するという完璧主義の思想です。
新浪 ですから発想を大きく変えることが必要です。若手社員は失敗のコストが相対的に低いため思い切ったことができる。そこで彼らを活用して、中間層には経験を生かしてサポートしてもらう。そういう組織がこれからは必要になってきます。
人材育成に対する新浪剛史氏の考え
意思決定する環境で人材は大きく成長する
―― 組織を変える時に最大の障害となるのが、それまで組織を支えてきた中間層の人たちです。年齢的なこともあり、変化に拒否感を持ってしまいます。その対策という意味ではないかもしれませんが、新浪さんは以前から45歳定年制を例にあげられていました。
新浪 定年というのは、その年齢まで雇用を保証すると同時に、その年になれば辞めてもらうということです。日本は終身雇用で解雇するのが難しいために定めたひとつの方法論です。
でも人によっては、65歳が定年だとしたら、65歳までどうやって会社に残るかと考えてしまいます。それよりは、自分の未来を自分でつくるという意味で、仮に50歳で会社を去ることになると、早い段階からそのあとのことを考え、自分自身を磨いていかざるを得ない。それが個人にとっても会社にとっても良い結果につながるのではないですか。そしてこれは、自分の人生においてもそうでした。
最初に入った会社(三菱商事)は、民間企業の中でももっとも優秀な人が集まる会社のひとつでした。その一方で、ヒエラルキーもあるし、どの部門に配属されるかによって会社人生が大きく左右されてしまうところもありました。
そこで、自分の人生は自分で決めたいなと思い、外部の勉強会に入りいろんな人と接するようにしていました。そうすると、自社にはいない本当に優秀な人がたくさんいる。それで自分ももっと勉強しなければならないことに気づいていく。その繰り返しです。
本気でぶつかれば必ず助けてくれる人がいる
―― なかなかできないことです。
新浪 危機感をどうやって維持するかだと思います。常に自分より上の人を見て、どうやったら少しでも追いつけるかを考える。それは今でも同じです。
世界には本当に優秀な人たちがいます。ダボス会議に参加すればそれを痛感させられます。スピーチひとつとっても表現がうまく説得力がある。だからこそ私は、ダボス会議のスピーチの依頼は断らないようにしています。
私が言葉の表現で彼らに勝つことはできない。だとしたら内容で勝たなければならない。そのために必死に勉強する。こうやって自分を追い込むことで経営者としての筋力をつくってきたように思います。
―― 新入社員時代からそういう意識を持ち、優秀な人と接しないと新浪さんのようにはなれませんか。
新浪 30代、40代からでも遅くはありません。私の場合、若い頃の外部の勉強会にも大いに刺激を受けましたが、それ以上に、30代前半で病院給食の会社(現LEOC)の経営を任され、全部自分で悩み、考え抜き、失敗もたくさんしてきたという経験が今につながっています。若い時に自分で意思決定する環境があれば人は大きく成長します。
独立した会社を経営するのではなく、イントレプレナーでもかまいません。サントリーの社内で新しいプロジェクトを立ち上げる。これならサントリーの信用を最大限利用できます。
私も病院給食の時は、三菱商事の力を最大限使わせてもらいましたし、自分にないものは、お願いすれば三菱商事の人たちが助けてくれた。本気で物事にぶつかっていけば、必ず助けてくれる人が現れる。これはサントリーも同じです。
人材育成とは投資である
―― そのような社員をどれだけ育てることができるかが、企業の成長を左右します。
新浪 今の時代、何が起きるか分かりません。その中で、何を目的にどう動いたら良いかを常に考える、そういう人材をどう育てていくか。
人材育成とは投資ですが、むずかしいのはリターンがなかなか顕在化しないことです。バブル経済後、日本経済が停滞してから、人材投資が大きく減っています。コストを削減する場合、人件費を削るのはむずかしいし雇用も維持しなければならない。そのしわ寄せが教育費にきています。その結果、優秀な人材を育成することがむずかしくなっています。
あるいは、教育をきちんとしていても、同じような人たちだけで組織されている会社もあります。自分たちが育てた人材だけで経営されていて、異なる文化、背景を持つ人を入れようとしない。
企業というのは異なるもの同士がぶつかって新しいものが生まれる。だからこそダイバーシティが重要になってきます。
サントリーは一度辞めた社員が戻ってくる会社
―― サントリーの場合はどうしているのですか。
新浪 サントリーは6年前にアメリカのビーム社を買収しましたが、これがとても役に立っています。ビーム社の社員を日本に呼ぶ。その逆にサントリーの社員をビーム社に出す。それによって全然違う目線があることに気づくわけです。必要ならば徹底的に議論する。理解はできなくても、そういう考え方があることを受容する。それが大事なのです。
でも最初は大変です。日本社会は予定調和で物事が進んでいきます。最初からある程度の結論があって、そこに着地させる。異分子が入るとそうはならない。結論がどこに着地するか分からない。それを許容する胆力が必要です。そうした環境から優秀な人材が育ってくると信じています。
―― 日本では人材の流動化が進んでいます。人材教育に投資しても、会社を辞められたらコストのみが発生してリターンが得られません。
新浪 それでもかまわないと割り切っています。それに会社を去っても、他の会社の釜の飯を食べたうえで戻ってきてくれてもいい。サントリーではそういう仕組みもつくっています。
なぜ社員が会社を去るかというと、より自らを鍛えてくれる機会が外にあるからです。社員に辞めるなというより、辞めた社員が戻ってきたいと思うような魅力的な会社をつくればいいだけです。
その意味でリクルートやマッキンゼーは素晴らしいと思います。会社を辞める人も多いけれど、辞めたあともOBの連携が密で、辞めた会社とも一緒にビジネスを展開する。サントリーもいずれそういう会社になっていくのではと思います。
会社派遣のMBA取得者には厳しい業務を
―― 新浪さんは三菱商事時代、ハーバードでMBAを取ったあと会社に戻りましたが、社費留学でMBAを取得したにもかかわらず、すぐに転職するケースもあります。将来の幹部候補として送り出した会社としてはたまったものではありません。
新浪 そのためMBA派遣留学をやめた会社もあります。ただ、これは会社側にも問題があります。私の場合、帰国後の最初の仕事が国内の冷凍食品の営業でした。
でも海外関連か経営に関わらなくてはMBAを取った意味がありません。だから上司に嘆願書を出して、事業経営として仏ソデクソ社との合弁の病院給食の会社をやらせてもらったのです。
ただ、なかなかうまくいかず、会社を立ち上げて相当な期間ずっと後悔をしていました。それほど2年間程度の留学では考えられないハードな仕事であり、全くカルチャーの異なる現場中心の事業でした。
結局は自ら現場に入り込むことによって、社員や顧客の信頼を得ることができました。最終的には上場にも結び付き、悩んで悩んでやり抜いた経験が無駄ではないことが分かりました。
MBAをはじめとした会社からの留学者に対し、学んだことを生かせる相当きつい業務を任せることが肝要です。会社が派遣したのですから、MBAを取得していない社員よりも成果をあげて当然です。
口出しせずに責任を取るのが上司の役目
―― 社員にプロジェクトを任せた時、どのようにサポートしますか。
新浪 悩みを聞いたり必要なことをサポートする必要はありますが、事業を任せた時は、あまり口出ししないことですね。ましてや自分がその分野に詳しくない時は、口出しせずに見守っていく。
最初の病院給食の時、その事業に詳しい人は三菱商事社内にはいなかった。そこで私は全部、自分で調べ、考えて行動していました。次のローソンの時も同様です。コンシューマービジネスに近くなればなるほど、商社にはよく分からない。当時三菱商事の佐々木幹夫会長、小島順彦社長はフルサポートして下さり、そして信頼をしてもらいました。
お二人とも、「株主だからといって三菱商事から仕入れることはない。ただ値段が安くて質が同じだったら考えてくれ。ダメならダメでかまわないけれど、その代わり何がダメか教えてやって欲しい。川下から学び川上を改善していく投資なんだ。うちの商品を押し付けたんじゃ絶対事業はうまくいかない。それだけは君に約束する」と言ってもらいました。しかも取引先の新年会の挨拶では「ローソンのおにぎりをよろしくお願いします」とバックアップしてもらいました。本当に感謝・感謝でした。
―― そうした胆力はどうすれば身につくのでしょうか。
新浪 最後は自分が責任を取るという覚悟でしょうね。腹を括った経営者はすごみがありました。やはり経営者はすごみがなければいけません。ローソンに行く前のことですが、三菱商事社内の担当者として出席していた社長の御前会議では、そのすごみゆえ本当に毎回緊張しまくっていました。
そしてこれは、実は佐治信忠会長にも言えることです。本当に腹を括っている。今でも週に1回、1時間から1時間半、いろんな議論をしますけれど、そのたびに「深いなー」と思います。いろんなことを考えて考え抜いている。そこから来るすごみを感じます。
佐治会長を見ていて思うのは、その覚悟です。6年前にビーム社を約1兆6千億円で買うと決めた時の覚悟。そして私のような破天荒な人間を引っ張ってきた覚悟。すごい経営者です。
―― ビーム社との統合はどのように進めたのでしょうか。
新浪 彼らはサントリーの100%子会社になっても、自分たちのやり方を変えようとはしなかったのです。そこで私は「郷に入っては郷に従え」で、アメリカのルールで変えていきました。
まず役員人事とその報酬を私が決める。取締役会の進行もこちらが握る。こうやって親子の関係をはっきりさせました。最初は抵抗もされましたが、最後は強引に押し切った。それ以来、ビーム社のトップは私をボスと呼ぶようになり、融合が進みました。
つまり、株主としての考え方をきちんと説明し、その思想に従ってもらうことです。サントリーイズム、つまり“やってみなはれ”や“社会との共生”の考え方は、ビーム社にもしっかりと理解してもらう。ある意味では資本の論理で強要しました。
一方で、われわれサントリーもビーム社からグローバル企業としての厳しいキャッシュフローマネジメントやリスクマネジメントなどの“エッセンス”を学びました。
その過程を、私は逐一、佐治会長に報告していましたが、毎回「分かった、それでいけ」と言ってくれ、サポートしてもらいました。
佐治会長が支えてくれる。私はそれに応えようとする。そのサポートに応えたいと思うから、厳しい交渉もすることができた。私はプロ経営者と呼ばれることが嫌いです。本当のプロ経営者は、自分のキャリアを高めるために仕事をする。
でも私は、今は佐治会長のため、ローソンの時は佐々木さんや小島さんの期待に応えようと思って仕事をしてきました。その意味で、私はつくづく日本人だと思いますね。でも、意気に感ずる人生が一番良いのではないでしょうか。