プロレスも新型コロナウイルスによって大きな影響を受けたエンターテインメントのひとつだ。国内最大手のプロレス団体である新日本プロレスリングは、3分の1の試合がなくなった。それでも前7月期、黒字だったとハロルド・ジョージ・メイ社長は言う。黒字の理由を聞くことで、スポーツビジネスの未来の可能性が見えてきた。聞き手=関 慎夫 Photo=山内信也(『経済界』2020年11月号月号より加筆・転載)
ハロルド・ジョージ・メイ・新日本プロレスリング社長プロフィール
1963年生まれ、オランダ出身。8歳で来日。ニューヨーク大学大学院修了後、ハイネケン・ジャパン、日本リーバ(現ユニリーバ・ジャパン)、サンスターを経て2006年日本コカ・コーラ入社、副社長兼マーケティング本部長就任。14年タカラトミーに入社し15年に社長に就任。18年5月、新日本プロレスリング社長兼CEOとなる。
新日本プロレスの興行再開までの道のり
3分の1以上の興行が中止に
―― 新日本プロレスの興行再開までの道のりを教えてください。
メイ 2月26日の沖縄大会を最後に、無観客での大会を行った6月15日までの109日間、新日本プロレスは一切興行を行いませんでした。その間、53大会を中止。年間約150大会の3分の1以上が新型コロナウイルスの影響で消えたことになります。
新日本プロレスの入場チケットは前売りで完売することが多いのですが、中止を決定するとチケット代を返金するだけでなく、手数料もかかります。また支払い済みの会場使用料も返してもらえるとはかぎらないため、中止による損害は非常に大きいものでした。パンデミックという未曽有の事態で、しかも3、4、5月と先行きが全く見通せなかった中、大変苦しい時間をすごしました。
7月11、12日に、ようやく大阪城ホールで有観客の大会が再開できましたが、お客さまが入った大会は4カ月半ぶりのことでした。この時はとにかくほっとしました。それ以降、コロナ前と変わらぬペースで大会を行っていますが、観客動員はキャパシティの半分以下にとどめています。
興行が消えても黒字を確保できたのはなぜか
―― 年間スケジュールの3分の1が消えてしまい、しかも再開後も観客を半分以下しか入れないのでは、収益的には厳しいのではないですか。
メイ 当社は7月決算ですが、前期は1月の東京ドーム2デイズの成功などもあり、黒字決算で終えることができました。現在はキャパシティの半分以下の動員ですのでチケットが完売しても厳しい状況ですが、利益は出ています。
―― どうすれば利益が出るのですか。
メイ 新日本プロレスでは、2014年12月から「新日本プロレスワールド」という月額999円の動画配信サービスを始めています。その会員数は現在約10万人で、日本国内だけでなく北米やヨーロッパなど世界中にいらっしゃいます。近年ではチケット販売収入だけでなく、動画配信サービスの会費が安定した大きな収益源になっています。
試合をしていなかった3カ月半の間も、新日本プロレスワールドでは、急遽「Together Project」という企画を始め、選手によるライブトークショーやこれまでの試合に選手自身がライブで実況解説を入れる「テレプロレスリング」、秘蔵映像の特別公開など数多くの企画を行ってきました。
試合がないために会員が減ってしまうことを危惧していましたが、こうした取り組みのお陰で試合再開までの3カ月半の間に退会された方は1割にとどまり、試合を再開してからは、ほぼ元の会員数に戻りました。コロナ禍で大変な時期に、少しでも支えてやろうというファンの方が多くいらっしゃったのだと思います。
―― 他の格闘技団体の中には、自治体の反対要請を押し切ってまで興行を強行したり、無観客試合を行ったところもあります。新日本プロレスにも同様の行動を求めるファンは多かったのではないですか。
メイ 大会休止中だった5月に、私はファンの方に向けてYouTubeで声明を発表しました。他のプロレス団体が無観客試合などの活動を行う中、新日本プロレスは一切試合をしていなかったため、ファンの方々はフラストレーションや不安、疑問を感じていました。
そこで動画で(1)新日本が無観客を行わない理由(2)再開へのロードマップ(3)ファンの方へのメッセージ――の3つのことを伝えました。
この動画をアップした段階では、未確定なことも多く、発表や約束できることはあまりありませんでしたが、表に出て自分の言葉で現状を説明することが必要だと思ったのです。
動画の反響はとても大きく好意的なものばかりで、潮の流れが変わったことを感じました。多くの方が動画配信サービスを解約せず、再開を辛抱強く待っていてくださったのは、会社の状況や考えを説明して理解をしていただけたことも大きかったのではないかと思います。
無観客試合をすぐにやらなかった理由
―― 改めて、無観客試合をすぐにやらなかった理由を教えてください。
メイ 無観客試合までに時間がかかったのは、開催に必要な準備を優先したためです。新日本プロレスには業界のリーダーとしての社会的責任が高いからです。
ですから皆さんの見本とならなくてはいけません。試合をすることで選手にリスクを与えることはできません。無観客試合をやれば短期的にはファンは喜ぶかもしれませんが、長期的視点で考えるべきだと考えたのです。
7月以降、有観客での大会ができていますが、新型コロナはまだ収束したわけではないので、安心はできません。そのため感染拡大防止には細心の注意を払っていきます。
具体的には、スポーツ庁の助言を得ながら観戦のためのガイドラインを策定し、実施しています。選手や関係者の抗体検査、PCR検査、会場の座席と鉄柵すべての消毒、空席を設け間隔を空ける、会場内のゾーニング、チケット半券に来場者の名前や住所、電話番号などを記入してもらうトレーサビリティ、お客さまの時間差入退場、換気、マスク着用、検温、手指の消毒、声援の禁止、会場内飲食に関するルール設定など、事細かく定めています。
新日本プロレスの今後のビジネスの方向性とは
興行以外の収入の重要性
―― イベントの入場者数に関する規制が続いています。入場者数を伸ばすことがむずかしい中、どうやって収益を伸ばしていくのでしょう。
メイ しばらくは感染拡大防止策を徹底しながら、できることを精いっぱいやっていきます。実は18年に社長に就任して以来、コロナの前からビジネスモデルの転換に取り組んできました。
国内のチケット代と会場で販売するグッズ売り上げが中心のビジネスから、先ほど説明した新日本プロレスワールドなどの配信や映像権の販売、海外での興行、グッズを購入できるECサイト。これは国内だけでなく海外からも注文できるグローバルサイトも開始しています。
ほかにも映画やテレビ、ゲーム、アプリ、コラボグッズに進出するIP(知的財産)ビジネスなど、より大きくより広く、大会会場から離れていてもリアルタイムでプロレスを楽しんでいただけるような仕組みづくりに取り組んできました。この取り組みがあり、リスク分散を図ってきたからこそ、前期、黒字を確保することができたのです。
新日本プロレス社内の空気も変わってきました。以前は、興行が成功すればそれでいいと考える人もいましたが、ビジネスモデルの転換によって興行を行わなくても収益を上げられることの意味に気づいてくれました。ですから、今後はさらに加速していきます。
現在の新日本プロレスの収益構造は、興行収入が50%、グッズ販売などのマーチャンダイジング(MD)が30%、映像配信などのコンテンツ収入が20%です。
しかし、世界最大のプロレス団体であるアメリカのWWEは、興行が19%、MDその他が17%なのに対し、映像配信が64%と圧倒的な比重を占めています。また、IPなどデジタル部門の収入は、新日本プロレスの場合わずか11%にすぎませんが、WWEは38%です。
さらに他のスポーツでは、NFL(アメリカンフットボール)のダラス・カウボーイズのIP比率は48%、スペインのサッカーチーム、レアル・マドリッドは62%、FCバルセロナにいたっては77%です。
われわれも非興行収益の比率をもっと伸ばしていきます。そのためには海外における映像配信の強化や見せ方の強化、タレントのメジャー化などに取り組む必要があります。
映像配信でファン層が拡大
―― 収益の拡大にはファン層の拡大が不可欠です。そのためには何が必要ですか。
メイ プロレス会場でプロレスを楽しんでいただく場合、会場に2千人のお客さんがいても、2千人のひとにしか楽しんでいただけません。でも世界中からリアルタイムやタイムシフトで観てもらえるインフラができあがったら、キャパシティは無限に広がります。
動画配信サービスが始まってよかったことは、第一にプロレスを点ではなく線で、つまり展開を続けて観られるようになり、より深く楽しめるようになったこと。第二に会場に行けなくても観られるので国内各地や海外のファンが急増したこと。三番目に自宅のリビングの大きなテレビで映して観られるので家族や子どものファンが増えたことです。ファン層がそれ以前よりはるかに拡大しました。
配信での観戦が増えてくると、カメラワークやライティング、煽りビデオなど、より見せ方の進化が必要になると思います。国によって配信サービスを観るプラットフォームが異なるため、さらなる進化が問われます。
普段はスマホやテレビで配信されたプロレスを観る。そして自分の住む街に新日本プロレスがやってきた時に会場に行き、肉眼で観るプロレス体験は、より貴重で楽しいものになるはずです。