強烈なカリスマ創業者の中には「俺について来い」というタイプの経営者も珍しくない。トップの言うことを聞いていれば会社は伸びる。しかしそれでは組織としてあまりに脆弱だ。創業者が退き、代替わりした時に大混乱が起こるというのはよくある話。永続的な組織をつくるには、社員が自ら育ち、企業を支えていくためのシステムが必要だ。名経営者はどんな手段を選んだのか。(雑誌『経済界』2023年5月号巻頭特集「守る組織、勝つ組織」より)
松下幸之助がつくった事業部制の功罪とは
起業家にしてみれば、自分がつくった会社はわが子のようなもの。子供の成長に期待し、子孫の繁栄を願うように、会社は未来永劫存続、永続的に発展してほしい。古今東西、多くの経営者たちが、そう考え、知恵を絞ってきた。
「経営の神様」松下幸之助翁もその一人だった。
幸之助翁の組織運営上の大発明が事業部制の導入だ。これは日本経営史上に残る偉業と言っていい。
幸之助翁が事業部制にたどりついたのは、幼い頃から病弱だったことと無縁ではない。健康で腕力の強い経営者なら、会社のすべてを自分でコントロールできると考えるかもしれない。しかし病弱な幸之助翁にそれは不可能だ。そこで組織を事業部ごとに細分化し、その一つ一つを「会社」として運営していく。事業部が切磋琢磨することでそれぞれ成長し、会社としても大きく発展できる。
幸之助翁の言葉として残っている「一人一人が経営者」も事業部制の延長線上にある。組織の一員としてではなく、社員それぞれが当事者意識を持ち、自分のことだけでなく会社全体のことを考える。そういう組織を幸之助翁は目指した。
もちろん神様がつくったものとて完璧ではなく、1989年に幸之助翁が死去する頃には事業部制は機能不全を起こしていた。そのため当時の松下電器(現パナソニックホールディングス)では、事業間に横串を刺したり、事業本部という屋上屋的な組織をつくったこともあった。
それでも低迷から抜け出せなかったため、2000年に社長に就任した中村邦夫氏はついに事業部を「捨てる」決断をする。事業部制とは、事業部の中に企画・開発・製造・販売のすべての部門を持つことだが、中村氏は販売部門を切り離した。長年の間にたまった澱は、そうでもしなければ取り除けなかったのだろう。当時中村氏は「創業者が生きていたら同じことをした」と語っていたが、確かに幸之助翁は「日に新た」という言葉を好んだように、すべてのことを状況に応じてイノベートしていくべき、との信条の持ち主だった。幸之助翁の決めたことだからといって、何も変えないのは、むしろ創業者の意志に反すると中村氏は判断したのだ。
しかし12年に社長に就任した津賀一宏氏は、事業部制を復活させる。そして現社長の楠見雄規氏は、幸之助翁がつくった「経営基本方針」を現代版に改訂して社員に浸透させようとしている。中でも力を入れているのは「自己責任経営」。つまり事業部制および「一人一人が創業者」を社員に体現するよう求めているのだ。幸之助翁が世を去って来年で約四半世紀。原点に帰ることで再びパナソニックを成長軌道に乗せたいと楠見氏は考えている。
幸之助翁が神様と呼ばれるようになったのは、単に経営にイノベーションを起こしただけでなく、経営に哲学を持ち込んだためだ。
幸之助翁が天理教を訪れた時、そこで信者が生き生きと働く姿を見て、人間にとって理念や使命を持って生きる、働くことがどれだけ大事であるかを知り、この年(1932年)を命知元年と制定したことは、幸之助翁を信奉する人の間では有名なエピソードだが、その使命を達成するために打ち立てたのが「250年計画」だ。これは250年を10期に分け、さらに25年を3期に分け、最初の10年は基礎をつくる建設時代、次の10年は活動時代、最後の5年は世の中への貢献時代とし、それを10回繰り返すというものだ。命知元年は松下電器が誕生してちょうど20年の年に当たる。この段階で幸之助翁は250年続く組織を考えていたことになる。
孫正義が構想する企業300年の計
幸之助翁に劣らないスケールで、事業体の永続的発展を夢見ているのが、ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長だ。孫氏は次のように語っている。
「創業当時から300年ぐらいのスパンでビジョンを掲げてきた」
幸之助翁の場合、25年を積み上げていって250年後を考えるが、孫氏の場合、300年後を想像し、そこから未来へ向けて為すべきことを決めていくやり方だ。
もちろん300年後に孫氏が生きているわけではない。さらには最初パソコンソフトの卸売業からスタートしたソフトバンクが、出版業、見本市事業に翼を伸ばし、そこからデジタル領域へと入っていったように、事業領域も今後大きく異なる可能性もある。
「だからこその群戦略」と孫氏は言う。群戦略とは10年ほど前から孫氏が提唱する組織形態で、持ち株比率が10~20%ほどの緩やかな企業連合を意味している。
ソフトバンクグループが出資している会社は世界中に数百社ある。これまでにない技術が世界を席巻する日がきても、その中から、次代を担う企業と経営者が誕生し、そこを中心にグループが動くという考え方だ。イメージとしては銀河系のように複数の恒星があり惑星、衛星があり、お互いが遠心力と引力で絡まりあいながら、徐々に拡大していくと孫氏は説明する。
中央集権ではなく分散型。この考え方はメタバースなどウェブ3と同じものだ。孫氏が群戦略を唱えた時、まだメタバースは誕生していなかった。このことからも孫氏の先見性が分かろうというものだ。
住民の満足度を増しロイヤルティを向上
先見性という意味では、小林一三翁を忘れてはならない。言うまでもなく阪急グループの創始者であり、宝塚歌劇団の生みの親だ。
一三翁も孫氏と同じく未来の変化を予測し、ビジネスを積み上げていった。
阪急電鉄は箕面有馬電気軌道として設立されるが、現在のJR福知山線と並行するため、前途が危ぶまれ、株の引き受け手を探すのも一苦労だった。しかし一三翁は沿線開発によって乗客を増やすことが可能になると考えた。一三翁の遺した言葉「乗客は電車がつくる」がまさにそれで、線路を敷き、沿線開発することで、人口が増加し、その住民の需要を満たせば必然的に乗客も増え収益も増えるという考え方だ。
事実、一三翁は沿線に動物園や宝塚温泉、そして宝塚歌劇団の劇場を建設、さらには梅田駅にビルを建て百貨店を開業する。今の私鉄のビジネスモデルの大半は一三翁が生み出したものだ。
そして沿線住民の満足度を高めることが、鉄道会社へのロイヤルティを生み、それが企業の永続的な発展につながることを喝破した。今でも阪急電車は、関西随一の高級路線の地位を保っているが、それは一三翁の戦略が正しかったことを物語っている。
今多くの企業が社会課題の解決を掲げているが、一三翁のビジネスモデルはまさにそれで、沿線住民にとっての便利さを最大限追求した。それが住民から支持される組織へとつながった。
アメーバ経営の目指す社員全員参加経営
最後にもう一人、昨年亡くなった稲盛和夫氏の組織のつくり方を取り上げたい。
稲盛氏といえばすぐに「アメーバ経営」が思い浮かぶ人も多いだろう。アメーバ経営とは、組織を10人程度の小集団に分け、各アメーバではリーダーを中心に目標を立て、計画に従って達成を目指すというものだ。これにより社員一人一人が主役となり、自主的に経営に参加する「全員参加経営」を実現しようというものだ。
幸之助翁の事業部制をさらに細分化したものだが、2人の考え方は極めて近い。稲盛氏も幸之助翁と同じく、若い頃に肺結核を患うなど、健康面に不安があった。そこで社員全員が主役となる組織づくりを目指したのだ。
次稿でモチベーションジャパンの松岡保昌社長が語っているが、強い組織をつくるには、意識の高い社員にやる気をもって働いてもらうことが第一だ。また会社の方向を明示することも重要だ。その点、孫氏や一三翁は未来を示し、そこに共感する社員が集まる仕組みをつくり上げた。タイプはそれぞれ違うが、目指すところは同じことがよく分かる。