放射線療法は、患者の状態によっては通院しながら仕事などと両立して受けやすいがん治療として重宝されている。なかでも注目されているのが、現在主に用いられるエックス線治療よりも効果の高い粒子線治療だ。しかし粒子線治療を受けられる医療機関は、国内にあまり多くない。文=小林千華 Photo=横溝 敦(雑誌『経済界』2023年11月号 巻頭特集「ベンチャーが導く『がん治療』革命」より
古川卓司 ビードットメディカル社長のプロフィール
導入コストと装置サイズが粒子線治療普及の妨げに
エックス線などの放射線でがん細胞内のDNAにダメージを与え、がん細胞を壊す放射線療法。効果を発揮しやすい前立腺がんや乳がん、肺がんなどによく用いられる。
放射線療法は、大きくエックス線治療と粒子線治療の2種類に分けられるが、現在国内で主に行われているのはエックス線治療だ。治療に使われる装置が粒子線治療のものと比較して安価であることに加え、全てのがんで保険適用されていることが理由として大きい。
しかし、エックス線は体表面で線量が最大となり、体内を進むにつれて威力が徐々に弱まるという性質を持つ。そのため、体内のがんの深部にまで十分なダメージを与えようとすると、その分体表面の正常な細胞にも悪影響を及ぼすことになる。
それに対して粒子線は、体表面からは低い放射線量で入射し、特定の深さで止まる性質を持つ。止まる直前で放射線量がピークに達するため、病巣の大きさや深さに合わせてピーク位置を調整すれば、正常な細胞へのダメージを抑えて、病巣に効果的に線量を集中させることができる。
この「線量の集中」だけにフォーカスすれば、粒子線治療のなかでも重粒子線治療が最も効果的だ。しかし、重粒子線治療に用いる装置の導入費用は150億円程度といわれ、今年6月時点で国内7カ所でしか治療を受けることはできない。医療機関にとっては導入コストの回収、収益の確保も困難だ。放射線治療は、照射そのものにかかる時間は短いものの、放射線を正確に病巣に当てるための位置決めなどの準備に長い時間を要するため、患者一人当たりの治療室占有時間が長くなり、治療できる患者数が制限される。山形大学医学部東日本重粒子センターによると、同センターで2021年2月に重粒子線治療を開始してから今年7月末までの約2・5年間の治療人数は1092人。年間約430人しか装置を使用していないことになる。
そこで現在、重粒子線には及ばずともエックス線よりも高い線量集中性が期待できる、陽子線を使ったがん治療が注目されている。陽子線治療は16年4月まで小児腫瘍の一部を除いて保険適用外だったが、18年、22年の診療報酬改定により、前立腺がんや肝細胞がんなど、合わせて8つのがんで保険適用されるようになっている。陽子線治療は、今年6月時点で国内19カ所の医療機関でしか行われておらず、治療装置がとにかく巨大であることが普及の妨げになっている。陽子線治療室1室に対し、操作室を含めテニスコート1面分の広さが必要で、装置全体の重量は、シロナガスクジラとほぼ同じ200トン近くになる。少なくとも既存の医療機関の施設内への導入は不可能と言っていいだろう。また、導入コストもエックス線治療装置の倍以上かかることが一般的だ。
陽子線治療装置を小型化世界の医療機関へ届けたい
放射線医学総合研究所(放医研)発ベンチャー・ビードットメディカルは、そんな陽子線治療装置を大幅に小型し、コストを下げることで、より多くの医療機関への導入を目指している。放医研で重粒子線治療装置やその臨床応用の研究を行っていた古川卓司社長が17年に同社を立ち上げた。
従来の陽子線治療装置において最もスペースをとっていたのは、正常組織への陽子線照射をできるだけ減らすために、照射装置を回転させてさまざまな方向から陽子線を当てる「回転ガントリー」という機構だ。患者の体の周りを巨大なガントリーが360度回転するため、広大な設置空間が必要になる。
そこで同社は、電磁石を使ったガントリーを独自設計し、巨大な回転機構を不要にした。照射ヘッドを上下方向・円弧状に140度、患者を載せた治療台を水平に180度の範囲で動かせるよう設計。この組み合わせで、病巣への確実な陽子線照射を可能にしている。こうして従来装置より高さを3分の1、重さを10分の1程度にまで小型化することに成功した。
「装置が小型化すれば、より多くの医療機関が陽子線治療の導入を検討できるようになります。そうすれば装置を大量受注して原価を下げることもでき、陽子線治療を必要とする多くの患者さんに届けられるという好循環ができます」(古川氏)
現在、同社の陽子線治療装置は薬機法承認申請中。国内での承認後は、日本と同じ理由で普及の進まない北米・アジアなど海外への展開も見据えている。
また、機能をアップグレードさせた次世代機の開発も視野に入れる。今後搭載を目指す機能のひとつが、MR画像誘導だ。放射線治療においては一般的に、治療開始時に撮影したCT画像をもとに毎回の照射を行う。しかし実際は、体型や臓器の位置に微妙な変化があるため、その都度照射位置を決めることが理想的だとされていた。そこで装置にMRI機能を搭載することで、治療のたびにリアルタイムで患者の体を見ながら陽子線照射ができるような機能の開発を検討している。古川氏は今後の展望をこう語る。
「究極的には内視鏡検査のように、人間ドックやがん検診で、がんを発見したらその場で陽子線照射ができるような未来を目指せないかと考えています」
社名の「ビードット」は、電磁気学の基礎方程式であるマクスウェル方程式に由来する。CT、MRI、放射線治療など、現代医療の根底には物理の先人たちが積み重ねてきた知見があるという自負と、これから同社も物理で医療を下支えしていくという思いを込めて付けられた名だ。こうした先人たちの発明による恩恵を最大化させるべく、同社の挑戦は続く。