EXILEや三代目J Soul Brothersなどスターを輩出し、昨年創立20周年を迎えた大手芸能事務所LDH。その躍進の裏には、創業社長でありパフォーマーでもある稀有な経営者、EXILE HIROの存在がある。17年に会長に退いたが、昨年10月に社長に復帰。LDHの未来に向けた新たなスタートを聞いた。聞き手=武井保之 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2024年4月号より)
EXILE HIRO LDH JAPAN会長兼社長CEOのプロフィール
アーティストとしての成功とその先の夢のために会社設立
―― LDHはアーティストマネジメントだけでなく、ライブ運営からマーチャンダイジング、デジタルコンテンツ制作のほか、スクールやアパレル、飲食事業まで多角的に手がけ、社員数はグループ会社も合わせて約500名。最大手芸能プロダクションの1社です。もともとパフォーマーとして表舞台で活躍されていたHIROさんが、自ら会社を立ち上げた経緯を教えてください。
HIRO EXILEとして活動を始めた当初は別の事務所に所属していたのですが、いろいろな事情があってその事務所を離れることになりました。まだ駆け出しではありましたが、アーティストとして認められたい、売れたい、芸能界で勝ち上がりたいという思いの延長線上に将来的に実現したいEXILEとしての夢がありました。諸先輩方に相談していく中で、自分たちで会社を立ち上げるところからスタートするのがベストという判断になり、EXILEメンバーで資金を出し合い、LDHの前身となる会社を設立しました。
―― 「将来的に実現したい夢」とは、具体的にはどういうものだったのでしょうか。
HIRO アリーナやドームツアーを行えて、CDが100万枚売れるような国民的アーティストになることが、EXILEとしての当時の一番の夢でしたが、自分たちの会社があれば、その先の新たな夢に向けてある程度は自由に進むことができます。それは、ダンスを主軸にしたスクールやアパレルなど、今LDHで手掛けているさまざまな事業であり、これから取り組もうとしているプロジェクトでもあります。
20代の頃、ZOOで活動していた時にできなかった夢を実現したいと思ってスタートしたのがEXILEであり、LDHでもあるんです。とはいっても、その時点で今のような規模の会社になるとは想像していませんでした。やりたいことをたくさん抱えながら、ビジネスの知識なんてほとんどないまま周囲のアドバイスを頼りに、メンバーとマネジャーで経験を積み重ねていって。次第にサポートしてくれる人がたくさん集まって組織になり、アーティストとしての影響力が強まるにつれてビジネスのスケールが大きくなっていき、現在に至っています。
―― 会社設立や経営においては苦労もあったのではありませんか?
HIRO 最初は苦しいながらもメンバーが資金を出し合って会社を設立し、無我夢中で夢を追いかけていました。今でこそ会社経営をしっかり考えられていますが、当時は自分たちが掲げた夢に向かってどう進んでいくかだけをもとに、がむしゃらに活動していましたね。
ただ、エンターテインメントは人が根幹ですから、メンバーの脱退をはじめ、対人トラブルなど必ず何かが起こっていて(笑)。メンバーや一緒に仕事をするスタッフだけでなく、ファンの皆さんや関係者の方々も含めて、周囲の心理状態には常に気を配ってきました。その経験が今は財産になっています。
アーティスト経験からの経営攻めすぎて危ういことも
―― EXILEはダンス&ボーカルというジャンルを築き上げ、歌手の後ろにいるのがダンサーというひと昔前のイメージを変えました。
HIRO 自分がダンサーなので、ダンスを世の中に広く浸透させたいという思いはずっと前からありました。バックダンサーというワードが一般的だった中、あえてパフォーマーという呼び方にして、ボーカルの前でも踊るような、歌とダンスが同格になるスタイルを打ち出しました。それが新しかったのか、EXILEのスタイルは世の中に認められていきました。ただ、これが新しいから売れるだろうと始めたのではなく、このスタイルが自分たちの生き様だからそれを広く伝えたい、という感覚でした。
―― 表舞台のパフォーマーとしてのHIROさんは、当初の夢を実現しましたか。
HIRO そう思います。ただ、自分の性格的に、どこまで行ってもその先に行きたくなるんです。10年前の自分からすると、今の自分は夢を実現できていますが、今はまたその先の10年後を見ている。ひとつの夢を実現すれば、もちろん達成感はあります。でも、そこでもっと大きな目標ができる。その繰り返しで生きてきました。常に立ち止まることなく輝き続けなければならないアーティストの世界で、多くの人の感情を動かすためにどうするかをずっと考えてきたことが、僕の経営スタイルにつながっているのかもしれません。
―― 失敗もありましたか。
HIRO 数え切れないほどあります(笑)。EXILEに一番勢いがあった頃は、細かいことは気にせず、攻めることしか考えていませんでした。今思うと全てを賭けていたというか、過激な勝負も普通でしたし、成功したから良かったと言えますが、失敗していたらどうなっていたのか、考えると恐ろしいこともたくさんありました。
当時はその危ういまでの攻めの姿勢が正解だったのかなと思いますが、今の自分だったらできないことも多いかもしれません(笑)。昔の反省は今に生かしています。僕の場合は常に反省ばかりですけど。
―― 攻めの姿勢とは、どのようなものでしたか。
HIRO たとえば、『EXILE LIVE TOUR 2011 TOWER OF WISH ~願いの塔~』ではライブ会場に高さ50メートルの塔を立てたり、僕の引退ツアーとなった『EXILE LIVE TOUR 2013 〜EXILE PRIDE〜』では、当時の世界一というほどのとんでもない制作費をかけたりしていました。そういう時代背景と会社のクリエーティブへの意識があって、EXILEはエンターテインメント業界で勝ち上がっていけたように思います。
僕たちは人間関係をとても大切にしていましたし、揺るぎない信念があったので、もし会社に何かあってもメンバーの力で必ず復活できる、誰かが必ず助けてくれる、そのくらい自分たちのあり方に自信がありました。ただ、当時も今も常にクリエーティブは成功と失敗が紙一重です。
今後10年がラストスパート。絶対的に強いLDHをつくる
―― 2017年に一度会長に退かれ、20周年を迎えた昨年10月に社長に復帰されました。
HIRO グローバルマーケットへの進出を掲げて、北米(ニューヨーク、LAほか)とヨーロッパに拠点を設け、同時に僕は新人育成を含めたクリエーティブに専念するために社長を交代しました。しかし、コロナ禍で全てが変わりました。LDHが思い描いていた10〜20年後や所属アーティストのセカンド、サードキャリアをこのままでは実現できない。全ての責任者として社長に戻り、ここから10年をラストスパートとして、次の時代につなげる絶対的に強いLDHをつくろうと思っています。
―― これから先の成長戦略を教えてください。
HIRO LDHが掲げるビジョンは変わりません。既存の所属メンバーの活動をはじめ、若手の育成、新人開発、デジタル・バーチャル領域でのエンターテインメントの創造などが主軸にありながら、同時にこれからもっとも集中しないといけないのがグローバルマーケットへの挑戦です。コロナ禍で欧米からは一旦撤退しましたが、プロジェクトベースではまだ仕掛けていますし、これからタイを拠点にインドネシアやフィリピン、ベトナムなどアジア進出を本格的に展開していきます。
―― なぜアジアのなかでタイを拠点にするのでしょうか。
HIRO 東南アジアは30年を超えても人口が増加し、経済力が上がって中間層が厚くなります。韓国や中国にもパートナー企業はありますが、これからのアジアのエンターテインメントは東南アジアのZ世代が中心になっていく。この5年で実際にその勢いを肌で感じるようになりました。その中でもタイは、権利関係を含めたインフラが整っており、古くから洋楽の文化が入っているほか、K‒POPの影響もあり、優秀な音楽プロデューサーやクリエーターが増えています。今では、タイ出身の世界的スターが生まれるほど音楽的素地があり、若い世代のエンターテインメントへの熱量が高い。
すでにLDH所属のPSYCHIC FEVERとBALLISTIK BOYZの2組が約2年間、バンコクをベースに活動していますが、今後、新たなプロジェクトも予定しており、彼らを含めた日本のLDHのアーティストがタイのアーティストとつながっていきます。今はアーティスト同士の楽曲やライブのコラボなど、お互いの国を行き来した音楽活動を頻繁に行っていますが、タイからの横展開も含めてアジア全域での活動を視野に入れています。さらに、日本人とタイ人のメンバーを中心にした世界に通用する多国籍スーパースターを発掘、育成していきたいと思っています。
―― 東南アジアの発展途中のエンターテインメントシーンでLDHの役割は多そうです。
HIRO LDHでは、電子チケットシステムやスクール運営などアーティストを中心とした360度ビジネスを手掛けており、エンタメインフラ的な部分でもアジアの国々に、さまざまなことを根づかせることができます。そこへの現地からの期待も感じていますので、スターを輩出すると同時に、テクノロジーを使って各国に最先端のエンターテインメントが生まれるような仕組みをつくりたいと思っています。
パリ五輪のブレイキンを機に世界で日本の存在感を高める
―― 今年のパリ五輪ではブレイキン(ブレイクダンス)が正式種目になります。
HIRO 代表候補として名前が挙がっているほとんどの選手は、僕もさまざまなメディアを通して注目してきましたし、応援しています。日本では12年からダンスが中学校保健体育の必修科目になっていますが、ダンスが文化に根づいている珍しい国であり、世界的に見てもレベルが高い。メダリストが生まれる可能性は十分ありますよね。
数年置きに周期的にメディアではダンスブームが起きていますが、実は根底ではずっとつながっていて、コレオグラファーなどダンスを仕事にする職種も人も増えて、着実に社会に広がっています。その結果のひとつが、エンターテインメントショーとして最上級のダンスを提示しているプロダンスリーグのD・LEAGUEです。僕らが手掛けるアーティストマネジメントとミックスさせることで、日本のエンターテインメントを活性化し、ダンスの素晴らしさをより広く伝えていくことができるかもしれない。パリ五輪を機にダンスが日本中でさらに盛り上がり、世界でも存在感を高めていければと思います。
―― 最後に、HIROさんにとってエンターテインメントとは何かを教えてください。
HIRO 会社名として掲げる、LDH(Love Dream Happiness)ですかね。若い頃には恥ずかしくて言えないような言葉でしたが(笑)、やはりこの言葉は自分の人生そのものに行き着きます。人生でどれだけ愛を感じられたか、夢を持てたか、幸せになれたか、誰かを幸せにできたか。Love Dream Happinessを1人でも多くの人たちと分かち合える未来をつくるのが僕たちのテーマであり、僕にとってのエンターテインメントです。
そして、僕ら昭和世代が気恥ずかしく感じるLDHという言葉も、今の若い子、Z世代にとっては当たり前の感覚みたいです(笑)。