福岡市で生まれ日本を代表する外食企業となったロイヤルホールディングスだが、コロナ禍では塗炭の苦しみも味わった。しかしその中での最善を尽くした結果がコロナ明けの快進撃につながった。(雑誌『経済界』2025年1月号「躍動する九州」特集より)
嵐が通り過ぎるのを待ってはいけない
ロイヤルホールディングス(HD)は江頭匡一氏が1951年に福岡市で創業した。最初は機内食と福岡空港内の喫茶営業。その後、福岡・中洲にフランス料理店「ロイヤル中洲本店」を開いて外食事業に本格的に参入する。その後ファミリーレストラン「ロイヤルホスト」を全国展開していき、さらに2006年に天丼チェーン「てんや」を連結子会社化した。
そのため今は、本社は福岡市ながら本部は東京にある。しかし同社の菊地唯夫会長は、「われわれの原点が福岡であることは強く意識している」と言う。菊地会長自身、月に一度は福岡の空気を直に味わっている。しかもインバウンドの復活とともに、アジアの玄関口である福岡の地政学的重要性が増している。今後も福岡そして九州が、ロイヤルHDにとっての最重要拠点であり続ける。
そのロイヤルHDの業績が好調だ。同社はコロナ禍で業績が急落、20年12月期、21年12月期と2期にわたり赤字を余儀なくされた。ところがそこからⅤ字回復。22年12月期、23年12月期と売り上げ、利益を大きく伸ばした。24年12月期の6月中間決算でも、売上高は前年比12・5%増の726億円、純利益は100・4%増の29億円だった。
その理由を「コロナの時に頭を下げて嵐を通り過ぎるのを待つのではなく、今何ができるかを考え、実行したおかげ」と菊地会長は語る。
菊地会長は04年に入社、10年から社長、16年から会長を務めているが、大学卒業後から1999年までは日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)に勤務していた。当時を振り返って菊地会長は、「金融危機は何とかなるという雰囲気があり、最後は大蔵省(現財務省)が何とかしてくれると思っていた」と語る。しかし日債銀は99年に経営破綻。その経験から菊地会長は、嵐の時こそ今できることに全力を尽くすべき、と考えるようになった。
そこでコロナ2年目の21年には双日と資本業務提携、財務基盤を厚くするだけでなく、調達や将来の海外展開へも備えた。さらには機内食事業も連結対象から切り離した。
機内食は祖業であり、思い入れのある事業だ。しかしコロナ明けは、国内から日常が戻り、国際的な人的交流は後になると、苦渋の決断をした。さらにはレストラン事業のブラッシュアップにも注力した。
その結果、例えばロイヤルホストは21年10月から24年6月まで33カ月連続で売り上げが前年超え。てんやに至っては、21年3月から現在まで前年をクリアし続けている。
ポートフォリオを進化させブランドを有機的に一体化
しかし事業環境は楽観視できない。人口減少が続き、市場拡大が見込めないだけでなく人材確保も難しい。しかも原材料費の高騰が続く。その中で成長を続ける戦略の一つがポートフォリオ経営の進化だ。
ロイヤルHDは「外食事業」、高速道路のサービスエリアや空港の飲食事業等を行う「コントラクト事業」、リッチモンドホテルを展開する「ホテル事業」、主にグループの食品製造、購買、物流業務等のインフラ機能である「食品事業」を4本柱にポートフォリオ経営を行ってきた。
しかしコロナで人流が途絶えると、その全てがダメになった。そこで、家庭用フローズンミールを提供する「ロイヤルデリ」という人流に頼らないビジネスに力を注ぐ。さらにはホテルやサービスエリア等の拠点を移動の目的化にするアプローチ、海外事業の拡大、そしてロイヤルグループ共通アプリ「MyROYAL」のサービスを開始、個客IDの統一によるCRM構築を進め、各ブランドの枠を越えたポートフォリオの有機的一体化を目指していく。
「これまではリスクを最小化するためのポートフォリオだった。これをお客さまのためになるポートフォリオへと進化させていく」と語る。
そして「ロイヤルHDは危機を乗り越えるたびに強くなってきた」とも。今の施策が実現された時、どのような強さを見せてくれるのか。