柯隆 東京財団政策研究所のプロフィール
深圳での日本人児童刺殺事件、福島原発の処理水を巡る中国政府の動きなど、2024年の日中関係も厳しい状況が続いた。エコノミスト・柯隆氏は、中国経済が低迷する中、中国政府は日本政財界に強い反感を抱かせたくはないはずだと分析する。互いの感情が両国の政治経済に及ぼす影響は、決して小さくない。構成=小林千華(雑誌『経済界』2025年2月号「2025年を読み解くカギ」特集より)
暗雲垂れこめる日中関係。習近平主席が見せた微笑とは
2025年は不確実性に満ちた1年になるだろう。世界一の覇権国家のアメリカではトランプ前大統領がカムバックして、どのようなグローバル戦略が展開されるか全く予測がつかない。トランプ氏の世界観といえば、アメリカファーストである。トランプ氏のグローバル戦略とバイデン政権との継続性が期待できないため、大きな混乱をもたらす可能性がある。
一方、世界2番目の経済規模を誇る中国経済がいつ底を打つか、いまだ見えてこない。不動産不況の長期化と雇用の悪化により、社会の治安悪化が想像以上に深刻化している。しかも、中国経済のさらなる減速は日本経済に深刻な影響を及ぼす。
11月、南米ペルーで開かれたAPECに出席した日中両首脳。会談の際の記念写真を見ると、習近平国家主席は笑顔を見せたのに対して、石破首相は全く笑わなかった。目下の日中関係を踏まえれば、石破・習近平両首脳は微笑む理由などないはずである。
今年に入って、中国在住の日本人が襲われる事件は2回も起きた。とくに深圳の日本人学校の男子児童が暴漢に刺殺されたことは日本社会に衝撃を与えた。中国政府は福島原発の処理水を原因として日本の水産物の輸入を禁止した。それ以外に、日本人ビジネスマンが中国の反スパイ法に触れて逮捕された問題について、どのような行為で中国の法律に触れたかは明らかになっていない。
こうした状況のなかで、なぜ習近平主席は石破首相との記念写真で笑顔を見せたのだろうか。素直に受け止めれば、習近平主席は日本との関係を改善したいから笑顔を見せたとみてよかろう。それに対して、石破政権は少数与党の不安定な政権運営を強いられており、日本国内の反中感情に配慮せざるを得ないから暗い表情を見せたのだろう。石破首相は習近平主席と会談する直前にマレーシア首相と首脳会談した。そのときに撮られた記念写真では、ちゃんと笑顔を見せた。
日中両首脳が見せた表情は目下の日中関係を如実に表しているといえる。まず、習近平主席がもっとも困っているのは中国経済が予想以上に落ち込んでいることである。こうしたなかで日本企業が大挙して中国を離れてしまうと、中国経済に深刻なダメージを与えてしまう。したがって、習近平主席の笑顔は石破首相に見せたものというよりも、日本の財界に見せたものとみるべきである。
一方、石破首相の暗い表情は日本の政情を表すものといえる。習近平主席には言うべきことを必ず言って、少しでも支持率を上げたいと考えているに違いない。仮に石破首相が習近平主席に笑顔を見せたら、日本国内で「KY(空気が読めない)」と批判されてしまう恐れがある。かつて日中首脳は会談する際、必ず日本の首相が戦争責任を認め、中国首脳に対して謝罪から始まるのが定番だった。今回の首脳会談はこうした定番にとらわれず、本音で言い合うことができてよかったといえる。
人脈外交からの転換と若年層に根付く新しい視点
長い間、日中外交の基本は人脈外交だった。人脈外交の元を辿れば、周恩来に起源するものである。日中国交正常化以前から中国政府は日本政財界のキーパーソンを中国に招待して、中国のために日本政府にロビー活動を展開してもらっていた。これは中国共産党の「統一戦線工作」というものだった。
日本政財界のキーパーソンは中国を訪問するたびに、日本では絶対に味わえない特権を味わうことができる。彼らの行く先々で交通信号は絶対に赤にならない。北京の国立故宮博物院を見学しに行くとき、絶対に行列には並ばない。彼らは中国訪問から帰ってきて、中国の印象が素晴らしいものばかりと口をそろえる。しかし、彼らが目にした中国は中国政府がみせた光の一面でしかない。影の一面は絶対に目にできない。
しかしここ10年来、日本のマスコミは中国の実情に切り込んで報道するようになった。人々がマスコミを通じて知った中国と、これまで政財界の要人が語った中国が別物であることに気が付きつつある。
こうしたなかで、日本政財界の世代交代が急速に進んでおり、これは日本の対中外交に大きな影響を与えている。日本人の高齢者は中国の古典文化に強い憧れを持っている。しかし、中国が近代化するにつれ、古典文化の香りは薄れつつある。他方、日本では、政財界の世代交代を受けて、中国の古典文化への憧れも薄れている。どちらかといえば、日本人は是々非々の眼で中国をみるようになりつつある。
とくに、最近の10年間、日本人の若い世代と中国との距離が徐々に遠ざかっているようにみえる。これは日中関係を考えるうえで望ましいことではないが、仕方のないことである。なぜならば、日中が直面している問題は価値観の相違であるからである。利益を共有しても、友情は長く続かない。価値観を共有するからこそ友情は永遠になる。
互いへの感情は複雑なまま憎悪払拭のためには
40年前のことだが、自分が中国で日本語の通訳を担当したとき、日本からの「友好の船」という訪中団が、訪問の先々で熱烈歓迎を受けていた。40年後の今、中国で日本の浴衣を着た中国人の若い女性が警察に連れていかれた動画をみて、世世代代の友好というスローガンは単なるユートピアに過ぎないと気が付いた。
なぜ中国社会はこんなにも排他的なのだろう。中国国内のSNSをみると、先進国を罵る動画が多数アップロードされている。中国の若者の間に根強い反日感情が存在するのは、長年の愛国教育と無関係ではない。
むろん、インバウンドで日本を訪れている中国人富裕層は反日ではないはずである。それでも彼らの中に靖国神社の石柱に放尿し、日本の法律に触れる人もいる。こういった行為は日本人の反中感情を掻き立てるだけだ。
これからの日中関係を展望すると、中国政府は関係改善のために、日本に対する工作を強化する可能性が高い。日本の政界に筋金入りの親中派長老議員のほとんどがすでに引退している。それでも日中関係が重要であると思っている日本人の有力者が、北京に招かれている。日中関係が多少悪化しても、戦争に突入することはなかろう。重要なのは日中双方の表層的な憎悪を払拭して、相互信頼を確立することだ。そのためには、双方が胸襟を開いて言い合える環境を醸成するべきである。