昨年ブラジルで開催された「PUBG MOBILE GLOBAL OPEN 2024」で、日本チーム初のシューティングゲーム世界一を勝ち取るなど、華やかな成績を残し続けるREJECT。累計賞金獲得額は4億2千万円以上と、「日本一稼ぐeスポーツチーム」だ。10代でREJECTを立ち上げた甲山翔也社長に今後の展開を聞いた。聞き手=小林千華 Photo=山内信也(P87の写真は甲山氏提供画像)(雑誌『経済界』2025年4月号「『ゲーム』を超えるeスポーツ」特集より)
甲山翔也 REJECT社長のプロフィール

こうやま・しょうや 1999年、大阪府生まれ。10歳からeスポーツを始め、2017年、大学に通いながらプロに。18年に引退し、REJECTの前身となるCYLOOKを創業、社長に就任。
オーナーに裏切られ自身でチーム立ち上げを決意
―― 2018年12月、19歳でREJECT(当時CYLOOK)を創業しました。甲山さん自身も、プロプレーヤーとして活動していた時期です。
甲山 17年の終わりごろからNasteLという名前で、バトルロイヤルゲーム「PUBG」やFPS(一人称目線のシューティングゲーム)系タイトルのプロとして活動していました。そして18年の初め、新たにプロチームをつくりたいという方に出会い、所属プレーヤーの一員となってメンバー集めに協力し、チームを発足させたんです。
当時はPUBGの日本配信開始などをきっかけに、アマチュア、プロ共にeスポーツプレーヤーが大きく増えた時期でした。日本のプレーヤーは年収100万円前後でもまあまあ高い方でしたが、仕事を辞めてプレーヤー活動に専念する人も一気に増えましたね。
ところが18年の終わり、チームのオーナーと突然連絡がとれなくなってしまって。給与も受け取れないまま2カ月ほど待ったのですが「あ、これは飛んじゃったな」と。私はプレーヤーを集めた立場でもあるので、彼らから「どうなっているんだ」と責められもしました。
それで私がプロを引退して、やれるところまで他のプレーヤーをサポートする側に回ろうと考えたのが創業のきっかけです。
―― すごい決意ですね。
甲山 もともと同志社大学で経済学を学びながら、事業家を目指していたんです。創業時は2年生でした。私は東大阪の町工場の生まれで、親から「大阪の商売人の家に生まれたからには、商売人になるか死ぬかだ」と言われて育ちました。だから、自分のいたチームが潰れてしまったことも、今思えば起業のいいきっかけになった面もありますね。
そして元のチームで一緒だったプレーヤー3人、新たに招いた1人と一緒にチームをつくったのですが、最初彼らには「月1、2万円の給与からスタートさせてください」と頭を下げました。元いたチームの他にも、参入したものの収益化できず廃業するチームが続出していた時期だったので、不安も大きかったです。当初は私がウェブ制作などで得た収益を、プレーヤーの給与に充てていました。
―― そんな中、チームを成長させてこられた要因は何だと思いますか。
甲山 時期が良かったこともあると思います。創業以来、毎年のように市場規模が20%以上成長しているマーケットだったこともそうですし、この業界においてはコロナ禍もプラスに働きました。プレーヤーも増え続け、ビジネス面での伸びも期待されるようになったので。
それと、私たちは創業2年目に初の資金調達を果たしたのですが、当時日本でeスポーツチームを、外部資金を入れてしっかり成長させていこうとしている企業自体がほぼなかったんです。でも海外では、著名なグローバル企業に投資しているような投資家たちが、eスポーツ業界にどんどん投資している。このままじゃ日本のプレーヤーは強くなれても、eスポーツ企業は世界で戦えないんじゃないかという悔しさがありました。そこで日本でユニークなポジションを取り、世界でも戦える企業になるため、最初に資金調達に力を入れました。
その結果、21年には創業2年半で、シリーズAラウンドとして総額3・6億円調達。昨年には伊藤忠商事など国内投資家の他、アラブ首長国連邦・アブダビのGyrfalcon社などから、総額10・7億円の調達を達成しました。アブダビからの投資をきっかけに、今後は現地に拠点を構えて中東進出も進めます。
プレーヤーも企業も世界で戦える未来を目指して
―― アブダビからはどのような経緯で投資を受けたのですか。
甲山 先方から既存投資家のジャフコグループさんに、REJECTを紹介してほしいとの打診があったそうです。現地では、今後中東がeスポーツ業界の中心になるという信念を持って、マーケットを築こうとする動きが盛んです。ただ彼ら自身の保有する著名なブランドがあまりないので、同じく今後伸びていくであろう日本で結果を出しているチームと一緒にやっていきたいと考えていたようです。
面談では、私たちが日本における累計賞金獲得額ナンバーワンのチームであること、eスポーツ事業の他、ゲーミングデバイスの開発販売などの周辺事業も手掛けていることに注目されました。特に賞金獲得額日本一については私たちが戦略的に目指してきたことなのですが、なぜその戦略をとったのか問われました。
―― どう回答したのでしょう。
甲山 私たちは資金力もない独立系の若手チームとして発足し、初めから大手企業をスポンサーに迎えたり、大規模な資金調達を目指したりすることはできなかった。資金力で負ける分、最初はとにかく競技力強化にフルコミットしたんです。
正直大手がスポンサーについているチームでは採りづらいような、成績は良いけど日ごろの発言があまり良くないプレーヤーにも声をかけたりして。「今気持ちを切り替えて、プロとしての将来像を描きながら努力すれば、これから伸びるeスポーツ業界で至高のプレーヤーになれるかもしれないぞ」と毎日彼らを口説くようなことは、他のチームにはできなかったかもしれません。
他にも当時まだ登場したばかりだったモバイル系タイトルに目をつけ、早い段階からトップを目指しにいったこと、大学との共同研究でプレーヤーのパフォーマンス向上策を探ったことも、戦略の一環です。
結果として、最初は月1万円の給与から頑張ってもらったプレーヤーに、今では年間数千万円受け取ってもらえる状況をつくれています。
―― 今後中東ではどのような事業展開を考えていますか。
甲山 まずは現地のトッププレーヤーの採用、施設運営を進める予定です。ただ他の国も中東というマーケットに注目しているので、私たちがいち早く立ち位置を築いていきたい。幸い、中東の中でも存在感の大きい企業、政府と距離の近い企業が私たちに出資してくれているので、スピードを重視しつつ、まずは現地で流行っているタイトルからブランド強化を図っていきます。
海外チームの在り方を参考にしながら、日本〝企業〟として世界で戦える状態を目指してきた。それがようやく実り始めたと思います。